第6話 ヤマダくん、中だるみ?

「はい。はい……かしこまりました! では、本日中に……」
 そういって電話を切り、デスクトップ上で作成途中の書類に戻ろうとしたとたん、息つく間もなくヤマダくんの前の電話が再び鳴りだした。
「はい、いつもお世話になっております……」

 ――ヤマダくんの会社はいま、一年中で最もあわただしい繁忙期を迎えていた。例年、10月の上旬から徐々に仕事が忙しくなりはじめ、11月・12月にピークを迎える。これから年末の仕事納めの日まで、ほぼ連日深夜まで残業が続き、土日もちょくちょく休日出勤で駆り出される。日付が変わる前に家にたどり着ければラッキー、終電帰りは当たり前、会社に泊まることも珍しくなかった。

 そんなこんなで、このところワタナベさんとのデートもおあずけ、ハウスに彼女を招待するという約束も延び延びになっていた。
 平日はハウスメイトともほとんど顔を合わせず、夜遅くなってから寝に帰るだけの日が続いていた。こうなってみると、深夜にシャワーを浴びたり、キッチンでゴソゴソやっているのもいささか気が引ける。アパート暮らしのときはあまり意識していなかったヤマダくんだが、集団生活のむずかしさ、みたいなものを改めて感じはじめていた。

 ――ようやく電話対応を終えて、ヤマダくんは、ふう、とため息をつく。
 考えてみれば、かれこれ2ヶ月以上、不動産屋めぐりのほうはご無沙汰している。シェアハウスに適合する物件を探すといっても、予算も経験も乏しいヤマダくんにとっては、なかなか手が出せるものではない。一応、以前参加したセミナーを主催している管理会社に声をかけ、手頃な物件があれば紹介してくれるように頼んではいたが、そうそう簡単に都合のいい物件が見つかるものでもなかった。

 ヤマダくんの「30歳までに家を買う宣言」から、早くも半年が過ぎていた。

 その間、引っ越しやデートなどでの出費はあるものの、以前のように競馬やパチンコで浪費することもなくなり、また多少なりとも意識してムダ遣いを抑えているため、貯金もいくらかは増えていた。とはいえ、現在のところ150万円ちょっと。年末のボーナスをそっくり貯金に回したとして、かろうじて200万円に届くかどうかというレベルだ。最低でも300万円は頭金に欲しいが、今のペースだと……。
 思わず考えこんでしまったヤマダくんに、背後の席から課の後輩が声をかけてくる。
「――ヤマダさぁん、××社の見積もり、まだですか?」
「あ、悪い……あと15分で上げるから、ちょ〜っと待ってて」
 ふり向きもせずに背中で返事をすると、ヤマダくんはめまぐるしくキイ・ボードを叩きはじめた。

 ――その夜。
 例によって終電ギリギリの時間まで会社に詰めていたヤマダくんは、まだデスクにしがみついている同僚に「お先に」と声をかけ、上着を引っかけて会社を出た。同僚のほうは、おそらく今夜も泊りになるのだろう、聞こえるか聞こえないくらいの声で「お疲れ」と応じただけで、あいかわらずパソコンのモニタにかじりついていた。
 一歩ビルから出たとたん、冷たい夜風が身に染みて、ヤマダくんは思わず身震いする。コートを着るにはまだ早いものの、いつの間にか、朝晩はけっこう冷えこむようになってきた。そう、季節はもうじき冬になろうとしているのだ。

 ――そろそろ本腰入れないと、タイムリミットか……。
 30歳の誕生日まで、半年近くあるとはいえ、シェアハウス化の工期や何かを考えれば、実質その半分ほどと考えたほうがよさそうだ。つまり、遅くともあと3ヶ月以内に物件を決めなければ間に合わない。
 もちろん、「誕生日までに」というのは、必ずしも絶対条件というワケではなかった。言ってみれば努力目標というか、目安みたいなものであり、具体的なタイムリミットを設定しておいたほうが頑張りやすいから、というだけの理由に過ぎない。ヤマダくんの両親にしろ、ワタナベさんにしろ、誕生日に何日か、あるいは何ヶ月か遅れたとしても、最終的に年内に家が買えさえすれば「ウソつき!」などと目くじら立てることはないはずだ。だからまあ、そこまで必死になることも、ないといえばないのだけれど。
 間に合わなかったら負けのような気がするヤマダくんなのだった。

 ――必死で頑張って、それでも結果的に間に合わなかったのなら仕方ないけど、最初から遅れてもいいやと思ってたら、いつまで経っても家なんか手に入らないからな!
 そう考えて、ヤマダくんはグッと拳を握った。
 ――そのためには、やっぱり情報収集だよな。今週末あたり、また物件めぐりを再開しよう……。

 最終電車に揺られながら、そんなことを考えていたヤマダくんだったが、そのとき、内ポケットの中でケータイがブルルル……と振動した。メールの着信だ。見ると、ワタナベさんからだった。

《遅くまでおつかれさま♡ 今度の日曜は休めそう? ひさしぶりにどっかへ出かけない?》

 その文面を見たとたん――ヤマダくんの顔がフニャフニャとだらしなく崩れた。
 嬉々としてOKの返信を打つヤマダくんの脳裏には、ほんの数十秒前までの力強い決意は跡形もない。いや、送信ボタンを押す寸前、ちらりと思い浮かべはしたのだが……。

「――ま、いっか」

 いやいやいやいや――そんなんでホントに大丈夫なのかい? ヤマダくん?

(つづく)

ログイン

ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失


シェアハウス大家さん
倶楽部(無料)

シェアハウスで不動産投資に踏み出すサラリーマンやOLの皆様を応援する会員制プログラムです。ご登録いただくと各種不動産投資情報やサービスを無料提供致します。
入会申込(無料)