第16話 ヤマダくん、またもや悩む

 「うぅぅーーーーんんん…………」
 地の底から響いてくるような、獣じみた唸り声を上げているのはヤマダくんである。
「……まだ悩んでるの?」
 心配そうな、それでいて少しあきれたような声をかけたのは、今や親公認のヤマダくんの“フィアンセ”であるところのワタナベさんだ。彼女の傍らで、さっきから30分以上も黙って考えこみながら、ときどき思い出したように唸り声を上げるヤマダくんに対して、いささか批判がましいまなざしを向ける。
「いくら悩んだって仕方ないじゃない。こういうときはパーッ、と気持ちを切り替えなくちゃ」
「うん……それはまあ、わかってるんだけどさ……」
 何とも煮え切らない口ぶりで、ヤマダくんはワタナベさんの方を見ずに応える。と、その舌の根も乾かないうちに、またもやタメ息のような唸り声がヤマダくんの口元から漏れる。
「うーーーん………」
 それを聞いて、ワタナベさんは声に出さずにそっと息をついた。
(……まったく、ヘンなとこばっかり生真面目なんだから)
 彼女にしても、悩んでいる婚約者を冷たく突き放すようなマネはしたくないのだが、こればかりは彼女自身も言うように「仕方ない」ことなのだ。慰めるにせよ、励ますにせよ、ヤマダくんの抱えている悩みが解決することはない。
 そもそも、ヤマダくんは何について悩んでいるのか? 間近に迫った衆議院選挙で誰に投票するか――な〜んてことでないことは確かだ。もちろん、婚約者とケンカしているわけでもなければ、ここしばらく繁忙期で振り回されている会社の仕事の悩みでもない。
 話は、2週間ほど前にさかのぼる――。

 きっかけは、些細なことだった。
 ヤマダくんのシェアハウス『バーデン-H』がオープンして早くも2ヶ月が過ぎ、街はクリスマス一色に染まっていた。イブ本番の3連休にはみんなもそれぞれ予定があるだろうと、1週早くハウスのクリスマスパーティを計画していたヤマダくんは、シェアメイトたち一人ひとりに声をかけていたのだが……。

「申し訳ないですけど、わたし、そろそろここを出ようと考えてますので」
 いきなり、そんな爆弾発言が飛び出したのである。205号室のヨシザワさん――オオシマ女史とヤマダくんが行った面接で入居が決まった、20代後半の女性だった。
「…………え?」
「すいません。もっと早くお伝えすればよかったんですが……」
 思わず絶句するヤマダくんに、ヨシザワさんは冷ややかな切り口上で続けた。
「次のハウスが決まり次第、年内にはここを引っ越すつもりです」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ヨシザワさん……」
「ごあいさつが前後しましたが、今までお世話になりました」
 ぺこり、と頭を下げると、そのままヨシザワさんは2階の自室へ引き上げていった。ヤマダくんが呼び止めるヒマもなかった。
 呆然と彼女の後姿を見送ってから、ヤマダは口の中でもごもごとつぶやいた。
「ちょ……なんで……?」

 それっきり、ヤマダくんはヨシザワさんと話をする機会がなかった。なんとなれば、11月から12月にかけてはヤマダくんの会社は繁忙期で――つまり、ワタナベさんも状況は同じである――平日は連日残業のうえ、たまに休日出勤もあるといった毎日で、じっくり事情を聞き出す時間的余裕がなかったのである。
 そうこうしているうちに昨夜、ヨシザワさんから「今度の日曜日に引っ越します」という連絡を受けた。
 出ていきたいという相手を今さら説得するつもりはなかったが、せめて、何故ここを出たいと思ったのか、その理由くらいは聞いておきたい。今後のシェアハウス経営の参考に――そう考えていたヤマダくんだったが、ついにその機会は訪れなかったのだ。

 おまけに、ヨシザワさんの引っ越し前日の土曜日に予定していたクリスマスパーティもなしくずし的にお流れになってしまった。本来なら彼女の送別会も兼ねて盛大にやりたいところだったが、彼女が頑として出席を拒否したうえ、2階でゴソゴソ引っ越しの荷物をまとめているその夜に、階下で他のメンバーがパーティに興じるというのもどこかしらじらしい気がする。本人たちにその気がないとしても、まるでヨシザワさんひとりを仲間外れにして追い出すようで、気分が乗らないことおびただしい。
(まあ、確かに「いくら悩んだって仕方ない」ことなんだろうけどさ……)
 ヤマダくんはすっかり考えこんでしまった。

 ――けっきょく、悩み抜いたヤマダくんが最後に相談に訪れたのは管理会社のオオシマ女史のところだった。
「――ヨシザワさんの件でしたら聞いています」
 ヤマダくんの話を聞いて、オオシマ女史はあっさりそう答えた。さすがに話が早い。
「退去の理由については何もおっしゃらなかったんですが、私も気になったもので、少しお話をしてみました」
「え?」
 それは初耳だった。オオシマ女史の察しの良さとすばやい行動力にヤマダくんが驚いていると、彼女は少し声をひそめるようにして続ける。
「これは私の想像なんですが、どうもヨシザワさん、最近恋人と別れたみたいでなんですよね……」
「へぇ……?」
「つまり――クリスマスを前に、幸せそうなおふたりを見ているのが辛くなったのではないかと……」
「はぁ……」
 明らかにピンと来てないようすでヤマダくんが相槌を打つ。
「その、『幸せそうなおふたり』っていうのは?」

 オオシマ女史は軽くタメ息をついた。
「……それはともかく、このケースでは住人が退去したことを気にする必要はないと思われます。次の入居者の募集は開始していますか?」
「え? いや、それはまだ……ちょ〜っと今忙しいもんで……」
 もごもごと言い訳がましく答えるヤマダくんに、オオシマ女史はきっぱりと言った。
「では、その件はこちらで動きましょう。空室期間は短ければ短いほどいい。ヨシザワさんが退去を申し出た時点で募集を開始していれば、年内に次の入居者が決まっていたかもしれませんが……」
 ちくり、皮肉をこめるのを忘れずに指摘するオオシマ女史に、ヤマダくんは肩をすくめてうなずいてみせた。
(つづく)

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