第18話 ヤマダくん、会議を開く?

「うーん…………これは、たしかに……」
 苦りきった表情でヤマダくんが控え目に同意を示すと、
「でしょう? やっぱり、誰が見てもそう感じますよね?」
 ほら見たことか、だから言わんこっちゃない――とでも言いたげな口調で、205号室のサカグチさんはきっぱりと断言した。
「一事が万事この調子なんですから。いくら私でも、ガマンできることとできないことがあります」  サカグチさんはそう言って、ぴたり、ヤマダくんの足元のそれを指さした。  
 ――バスルームの排水口にわさわさと詰まった、黒い塊を。

 髪の毛――より正確にいえば、ちぢれたシモの毛もかなり混ざっているに違いない――とにかく、人間の体毛の塊である。どこの家のバスルームでも、べつに珍しいシロモノではない。2〜3日掃除をサボれば、このくらいの量の毛は平気で溜まるだろう。
「そりゃ、家族なら気にしないで済むかもしれませんけど、シェアメイトは同居人といってもアカの他人です。他人同士がいっしょに暮らす以上、最低限のルールがあるべきでしょう?」
 サカグチさんの言葉は正論である。言い返す余地はない。
 ――でも。
 彼女の正しさを認めつつ、ヤマダくんは心の中で弱々しくつぶやかずにはいられなかった。
(ちょ〜っと、潔癖症気味なんじゃないの? このくらいのことでさぁ……)

 ヤマダくんのシェアハウス『バーデン-H』における入居者間のトラブル――正確には、近い将来トラブルに発展しかねない火種を見つけたヤマダくんとワタナベさんは、手分けしてその対応に取り組んでいた。罪のない無神経さでハウス内に火種を持ち込みかけていたオカモトくんには、ワタナベさんが女性の視点でさりげなく、かつピシャリと言って聞かせていた。オカモトくんも理解してくれたらしく、少なくとも女性がいる場では無神経な言動は影をひそめるようになった。もちろん、人間の性格がそうカンタンに変わりはしないが、そこはそれ、若いといっても24歳の立派な社会人である。もともと対人スキルが低いわけでもないので、無難に対応するすべを心得ているようだった。

 問題は、むしろサカグチさんのその後の対応だった。
 あるいは、ヤマダくんの言い方がマズかったのかもしれない。そもそもこの件に関しては彼女に非のあることでもなかったので、ヤマダくんはこんなふうにサカグチさんに話をしてしまったのだ。
「……これからも、気がついたことがあったら遠慮なく指摘してくださいね」と。

 いや、これはヤマダくんの責任といったら酷かもしれない。この場合、誰だってこんなふうな言い方をしただろうし、それでたいていはケリがついたはずだ。
 ただ、サカグチさんは素直な性格だった。どちらかといえば素直すぎた。ヤマダくんの言葉を「言葉通りに」理解し、「言葉通りに」実行するようになってしまったのである。

「102号室のカワムラさん、ですか? あの人、この間のゴミ当番のとき、2階までゴミを自分で取りにきたんですよ!」
 こんなふうにまくしたてられても、ヤマダくんには何が悪いのかピンとこない。後でこっそりワタナベさんに相談すると、「女子トイレのゴミとか、男の人には触れられたくもないゴミだってあるのよ!」と言われ、ようやく納得するヤマダくんだった。

「202号室のナカタニさん、ときどき夜中にベランダでタバコ喫ってるんですけど!」
 ……いや、でも室内は禁煙というルールは守ってるわけだし、夜中なら洗濯物にニオイがつくこともないんだから、そのくらい大目に見てあげていいんじゃないの?

「お隣の204号室のツツミさんですけど、わたしの洗濯物をいつも勝手に洗濯カゴに取り出して脇に置いとくんですよ!」
 ……いや、でもそれって、むしろサカグチさんの方が悪いんじゃないの?

 と、まあ、こんな調子で――何ごとも「なあなあ」で済ませることができない性分なのか、サカグチさんはひっきりなしにヤマダくんの元を訪れては、他の入居者に関するクレームを持ち込むようになっていた。
『バーデン-H』では、オープン前にひと通りのルールは決めておいたし、その後も気がついたらその都度、追加でルールを決めて壁に貼りだしていたのだが、サカグチさんが後からあとから見つけ出してくる問題のため、ヤマダくんはいささかウンザリしていた。  今日も、休日の朝からバスルームに連れてこられて、こうして排水口の髪の毛の件でひとしきり不平を聞かされているヤマダくんであった。

(まあ、言ってることはわかるし、少なくともこの件については正論だとも思うけど……)
 ヤマダくんはさすがに少々悩んでいた。
(それに、本人に直接言われてもハウス内の空気がギスギスするだけだから、こっちに言ってくれるのはむしろありがたいことなのかもしれないけど……)
「けど……」「けど……」である。決して頭ごなしに否定するつもりはないが、このままだと、サカグチさんの存在がハウス内の爆弾になりかねない。今でさえ、彼女の存在はかなり「浮いて」いる。他人同士がひとつ屋根の下で暮らすからには、彼女の言う「最低限のルール」は必要だが、あまりガチガチにルールで縛ってしまっては“ハウス”つまり家の意味がなくなってしまうのではないだろうか……。

「……と、そんなふうに思ってるんだけど」
 その夜、ワタナベさんとふたりきりになったタイミングで、ヤマダくんはそのあたりのことを打ち明けてみた。
「そうね。わたしもそう思う」
 ワタナベさんはあっさりそう答えた。
「ここは職場じゃないんだし、家に帰ってまでガチガチのルールが決められてたんじゃ息が詰まるもの。でも、サカグチさんの言うこともわかる……でしょ?」
「だから悩ましいんだよな……」
「だからね。だから、こういうことはお互いキチンと話し合って決めるべきだと思わない……?」
「お互い……話し合って……?」
「そ。入居者同士、一度時間をつくって話し合う場を設ける必要があるんじゃないかしら」
「なるほど……“家族会議”みたいなもんか」

 そんなわけで――。
 急遽、『バーデン-H』の第1回ハウス会議が開かれることになった。
(つづく)


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