第20話 ヤマダくん、追い詰められる!!

「ヤマちゃん。ちょ〜っと、いいかな………?」
 その日、会社から帰ったヤマダくんを待ちかまえていたように――じっさい、待ちかまえていたのだろう――玄関先で捕まえたのは、102号室のカワムラくんだった。
 ハウスの玄関脇の壁に架けられた時計の針は、もうすぐ12時になろうとしている。
 ヤマダくんが平日、こんなに帰りが遅くなるのは珍しい。将来的な話はともかく、当面は兼業でサラリーマン大家さんを続ける気でいたから、本業の方も仕事自体はごくごくマジメにやっているのだが、ヤマダくんの場合「勤め先も、住んでる場所も、婚約者と同じ」という特殊事情もあってか、繁忙期を除けばふだんはあまり残業で遅くなることもなかった。
 それが今夜は珍しく仕事が立て込み、ワタナベさんが先に帰った後も会社に居残っていた。金曜日の夜とあって、残業を済ませた後、遅い夕食がてら軽く一杯引っかけてきてもいる。といっても、ほんのり“微薫を帯びている”程度だが。
 思いがけないカワムラくんの出迎えを受けて、ヤマダくんは玄関で靴を脱ぎかけていた動作を止めた。呼び止められた時間帯も時間帯だが、声をかけてきたカワムラくんの顔に、何やら思いつめたような厳しい表情を認めたからだ。
 夜中の12時といえば、いくらひとつ屋根の下で暮らす親しいシェアメイト同士といっても、ふつうなら遠慮するはずの時間帯である。それなのに、敢えてこんな時間に声をかけてきた、ということは……。
「明日じゃダメ……ってことなんだね?」
 深夜ということもあって、声をひそめてヤマダくんが訊くと、カワムラくんは無言で大きく頷いてみせる。ヤマダくんも頷きかえして、チラ、と奥の階段の方へ眼をやる。2階の女性陣は、寝静まっているのかどうかはわからないが、少なくとも階下のようすを覗きにくる気配はなかった。

「じゃ……ちょっと出る?」
 ヤマダくんが誘うと、カワムラくんももとよりその気だったと見えて、ふたりは連れ立ってハウスの外に出た。
「出る」といっても、この時間だと選択肢はおのずと限られる。近所のスナックか、駅前の方まで行ってファミレスか――。
 カワムラくんのようすから、スナックで話すようなことでもなかろうと判断したヤマダくんは、先に立って駅前への道をずんずん歩いていく。ふり返りもしないが、カワムラくんが黙々とついてきているのはわかっているようだ。
 人通りの少ない深夜のH−駅前。
 とうに終電も出て、駅舎は照明を落としていたが、駅前ロータリーを挟んだファミレス内では煌々と明かりが灯されていた。店内に客の姿はさすがにまばらだったが、少なくとも3〜4人の先客はいるようで、込み入った話をするにはかえって都合がいい。

 ふたりともタバコは喫わないので禁煙席に陣取り、すかさず注文を取りにきたウェイトレスには、適当にドリンクバーでも注文しようとしたヤマダくんだったが――それを遮るようにして、カワムラくんが生ビールの中ジョッキを注文する。
 しかたなく自分の注文も生ビールに切り替え、ついでに枝豆をつけると、ヤマダくんはカワムラくんに向き直った。

「……で?」
「まあまあ、ビールが来てからでも遅くないだろ?」
 そう言われては無理に話を促すこともできず、中ジョッキがテーブルに届くまでの間、ヤマダくんはじりじりしながら待たされ続けた。ようやく注文の品が届くと、カワムラくんはもったいぶって乾杯を要求し、ヤマダくんはおざなりにジョッキを合わせる。
「………………で?」
 乾杯もそこそこに切り出したヤマダくんの剣幕に、カワムラくんは苦笑しながら答えた。
「うーん……まあ、ヤマちゃんも気づいてるみたいだけど……ハウス、出ようかと思っててさ」
 さらりと切り出されたその言葉に、ヤマダくんの表情が、一瞬、凍りつく。

「『バーデン-H』を……出る……?」
「そ。今月中には新しいとこに移りたいからさ、この土日で決めちゃおうと思って」
 つまり、明日明後日の土日は引っ越しの準備でバタバタして時間が割けないので、今夜のうちに話しておきたい――というのがカワムラくんの言い分なのだった。
 もちろん、出ていきたいというカワムラくんを引き留める権利は、ヤマダくんにはない。出ていきたければ、いつでも好きなときに退去できるのがシェアハウスの原則である。
 しかし――。

 ヤマダくんにとってカワムラくんは、初めてシェアハウスに住んだときからのシェアメイトであり、ヤマダくん自身とワタナベさんを除けば、ヤマダくんのシェアハウス『バーデン-H』最初の入居者でもある。年齢も近く、ウマが合う相手というだけでなく、カワムラくんには場の雰囲気を和ませるムードメーカーとしての資質があり、もっともっと『バーデン-H』を一緒に盛り上げていって欲しかった。
「……理由を、聞かせてもらえないかな?」
「………………」
「話せる範囲でいいから」
「あ、うーん、その……理由ってほどのモノはないんだけどさあ……」
「うん……?」
「なんつうか、ハウス内の雰囲気が楽しくなくなった、というか……」
「…………?」
「何だか、息が詰まるんだよね……最近のあそこ」

 カワムラくんが言うのは、先日のハウス会議前後の『バーデン-H』の状況である。最終的にはシェアメイト全員が意見をぶつけ合うことになり、それなりに有意義な話し合いだったとヤマダくんは思っているのだが……。
 本来は「お互いに気持ちよく暮らすためのルールづくり」だったはずが、「自分が追い出されないために、守らなくてはいけないルールづくり」のように感じた者もいたようだ。あるシェアメイトは、あれからハウス内での会話が妙によそよそしくなった。またあるシェアメイトは、あの日以来リビングに顔を出さなくなり、自室に閉じこもりがちになった。
 その結果――前回の会議から1ヶ月の間に、204号室のツツミさんと103号室のオカモトくんが相次いで退去していた。ただちに募集をかけたものの、今のところ次の入居者は決まっていない。

 月1回開催するはずだったハウスパーティも、すでにここ3ヶ月ばかり開かれていない。声をかけても参加者が集まらないのだ。『バーデン-H』のコミュニティは、今や崩壊寸前にあると言ってよかった。
 そしてとうとう、盟友カワムラくんまでもが去ろうとしている……!
 ヤマダくんは今や、土俵際ギリギリまで追い詰められていた。
 どうするヤマダくん? どうなる『バーデン-H』!?
(つづく)


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