第28話 ヤマダくん、気に病む

「じゃあ、来週の金曜日の夜……で、いいんだね?」
廊下で話している電話の声が、リビングまで漏れ聞こえていた。
「ウン……ウン、ああ、わかってるよ」
どことなくぶっきらぼうな、そのくせ親密さを感じさせる口調は、思わず聞き耳を立ててしまっているヤマダくん自身にも身に覚えがある。独身男性が家族、それも母親と話すときにありがちな態度だった。
 さらに二言三言のやりとりののち、「おやすみ」を言って電話を切ったようだ。
 リビングのドアノブに手をかける気配がして、ヤマダくんはあわてて視線を見てもいないテレビの方へ戻した。べつに聞かれても構わない会話だったはずだが、なんとなく盗み聞きしていたようでバツが悪いのだ。
「やあ〜、ごめんごめん、お待たせ〜」
 言いながらドアを開けて入ってきたのはアオノさんだ。リビングには、ヤマダくんとワタナベさん、それに103号室のスガワラくんと203号室のタバタさんの4人が所在なげにテレビを囲んでいる。画面は騒がしいバラエティ番組を映していたが、4人とも心ここにあらずといったようすだ。アオノさんが話しかけても、すぐに反応しようという者はなかった。
「…………ええと」
 ややあって、ヤマダくんが意を決したように口を開いた。
「決まったの? 式の日取りとか……」

 ヤマダくんのシェアハウス『バーデン-H』は今、奇妙な緊張感に包まれていた。
 102号室の住人であるアオノさんと、204号室の住人であるフジノさん。
 このふたりは、『バーデン-H』に引っ越してくるずっと以前からの恋人同士である。いつからつきあっているのかはヤマダくんも正確には知らないが、少なくとも2年前にヤマダくんが以前のシェアハウスでアオノさんと知り合ったときには、すでに長い春にあったというふうに聞いている。
 今年の2月、ふいにアオノさんが実家に里帰りしたとき、彼はフジノさんを伴っていた。さらに3月のはじめには、今度はフジノさんの実家にアオノさんが同行している。それから話が本格的に動き始めたらしく、今は両家の顔合わせの段取りが進められていた。
 先ほど漏れ聞こえた電話の内容からすれば、ご対面はどうやら来週末あたりにセッティングされているらしい。親同士の顔合わせまで話が進めば、いよいよ秒読みの段階に入ったとみていいだろう。
 ――結婚。
 長いつきあいの男女にとっては、ひとつの節目であり、特に花嫁となる女性にとっては人生にたった一度の――できれば一度にしておきたいだろう――重要なイベントだ。
 ヤマダくん自身はもちろん、ワタナベさんも、他のシェアメイトたちにしても、ふたりの結婚は心から祝福したいと思っている。これはふたりの、特にアオノさんの人望によるところが大きい。招待してくれるなら喜んで披露宴にも出席したいし、スピーチや余興を頼まれたとしてもふたつ返事で引き受けるに違いない。
 しかし――。
 結婚して、ふたりが退去することになれば、『バーデン-H』は一度に2部屋の空室を抱えることになる。オーナーの立場として、これは決して歓迎できる事態ではないが、それはそれで仕方のないことでもあるし、ヤマダくんにしても、なにも家賃収入が減るのを心配しているわけではなかった。
 空室は、新しい入居者を募集すればいい。すぐには決まらないかもしれないが、そんなことを今から心配してもしょうがない。それよりも。
 ――シェアメイトたちのリーダー格であるアオノさんが抜けることで、せっかくひとつにまとまっているハウスの空気がバラバラになってしまうのではないか?
 ヤマダくんの心配はそこにあった。

「ああ、『式』ね……」
 ヤマダくんの質問に、アオノさんはちょっと困ったような顔を見せた。
「じつはまだ、具体的なことは決まってないんだ。俺としては『年内』くらいに漠然と考えていたんだけどさ……」
 一瞬、場にホッとしたような空気が流れた。そんなに急な話でもないのか、と。だが、アオノさんの次の言葉に、ふたたび空気が緊迫する。
「ただ、向こうのおふくろさんが、『式を挙げるならジューンブライドがいい』とか言いだしちゃってさぁ……」
「…………!」
 ヤマダくんは思わず息をのんだ。6月だとすれば、あと2ヶ月もないではないか。
「けど、急いで式場を押さえるとしても、今からじゃなあ……。だいいち、6月はシーズンだから式場も予約で一杯だろうし」
 場の空気は微妙だった。どう反応していいのか、ヤマダくんもとっさにはわからない。一般論でいえばアオノさんが懸念している通りなのだろうが、同意するのもおめでたい話に水を差すようで気が引ける。
「でも、ほら、消費税が上がったし、意外と予約も空いてるかも……」
 とりなすようにワタナベさんが口をはさむと、
「うん、おふくろさんもそう言うんだよ。だからまあ、一応当たってはみるけどね」
 アオノさんもあまり期待していない口調で応える。ハウス内でのパーティなどの段取りは得意中の得意であるアオノさんだが、こういう自分自身のイベントとなると、案外面倒くさがりなのかもしれない。
「とにかく、そのあたりのことはスケジュールが決まり次第、みんなにも報告させてもらうけど……」
 アオノさんはそこで言葉を切って、一座をぐるりと見回す。
「……で、今日の話って?」
 一同を代表して、ヤマダくんが答える。
「じつは、ハウスのみんなで、ふたりの婚約パーティを開こうって話してたんだ」
(つづく)

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