第33話 ヤマダくん、戦慄する!?

「……そのときね、耳元でハッキリ聞こえたんだって。……『今から行くよ』って……」
 ボソボソとささやくようなかすれ声で、204号室のスギシタさんが語り終えた。凍りついたように無表情なまま――。
 一瞬の間をおいて、場にざわめきが起こる。
 言葉にならないざわめきの中には、背筋の寒くなるような、なんともいえない余韻が漂っていた。
「……う、うまいじゃん、スギシタさん!」
「ホント、ホント。おれ、マジでぞっとしちゃったよ!」
 ぎこちない沈黙を破って、102号室のイトウくんと103号室のタケカワくんがうわずった声を上げる。
 あ、こいつら、けっこう本気でビビッてたな――上から目線でそう決めつけることで、無理やり気持ちに余裕を持たせようとするヤマダくんだった。

 ヤマダくんのシェアハウス『バーデン-H』ではこのところ、季節外れの怪談ブームが起こっていた。
 きっかけは、10月から202号室に入居したキムラさんだった――そう、『バーデン-H』はようやく8人目のシェアメイトを迎え、開業直後の数ヶ月間以来となる満室稼動にこぎつけていたのである。新たな入居者たちもすっかり雰囲気になじみ、スガワラくんの退去騒動がらみで一時期落ち込んでいた203号室のタバタさんもすっかり元気を取り戻していた。そんななかで加わった新しい仲間に、ハウスのメンバーたちは大よろこびで歓迎会を開いた。――その、席上で。
「あの……いきなりこんなこと言ったらヘンに思われるかもしれませんが……」
 ふいに真顔になったキムラさんが、とんでもないことを言いだしたのである。
「ここのハウスは、その……大丈夫、ですよね?」
「何が?」
 軽くアルコールの入っていたヤマダくんが何の気なしに問い返すと、
「つまりその……“出る”とかって話は……?」
「出るって、何が?」
 ただならぬ雰囲気にも、まだ気づかずにいたヤマダくんだったが、ふと視線を動かした先で、ワタナベさんの顔がこわばっていた。そこでようやく察して場を見回すと、何人かの顔に緊張の色が浮かんでいるのが目に入った。
(おいおい……まさか、妙なことを言いだすんじゃないだろうな……)
 キムラさんは20代後半の落ち着いた女性で、コンピュータプログラマーの派遣社員ということだった。入居審査の面接でも、特に問題は感じられなかったのだが……。
 沈黙のなか、一同の視線を浴びながらうつむいていたキムラさんは、そこで、スッ――と顔を上げた。
「…………あ〜、よかった!」
 屈託のない笑顔が戻っていた。
「私、こう見えてけっこう敏感なんですよぉ。前に住んでたハウスも、じつはそれで……」
 ――なんでも、キムラさんが住んでいたシェアハウスには、ときどき“出た”らしいのだ。“感じない人”にとってはぜんぜん気にならないようで、長い間住んでいる入居者もいたのだが、その一方で、キムラさんのような“感じる人”はなかなか居つかないというウワサがあったという。
「ねえねえ、“出た”ってどんなの?」
 さっそく興味をそそられたタバタさんが質問すると、キムラさんはすらすらと体験談を語りだした。ひとりで個室にいるときに誰かの視線を感じたとか、室内に干してあったタオルがぐっしょり濡れていたとか、空室のはずの部屋から夜中に声が聞こえてきたとか――言ってみれば他愛のない怪談話ばかりだったが、秋の夜長に耳にするとなんとも異様な雰囲気があった。
 そんな、キムラさんの体験談がひと区切りついたとき。
「――そういえば、この前のことなんだけど……」
 突然、ボソッとつぶやいたのがスギシタさんだった。

 ――以来、『バーデン-H』のリビングでは、3人以上集まると、必ずといっていいほど、誰かが怪談話を始めるのが恒例になってしまったのである。おもにキムラさんとスギシタさんが中心だったが、他のメンバーも怖い話をどこかで仕入れてきては披露するようになり、誰かがロウソクを持ち込んだりして、どんどん本格的になってくる。
 今夜も、ヤマダくんが会社から帰ってくると、リビングの照明を落としてロウソクを灯し、怪談会の真っ最中だった。とりあえず自室である101号室に戻って荷物を置き、部屋着に着替えると、ヤマダくんもリビングに向かうことにする。
 薄暗いリビングには、たった今語り終えたスギシタさんをはじめ、2階の女性陣はワタナベさんを除く全員が、1階の男性陣もヤマダくんを加えてこれで全員が集まっている。ソファセットは壁際にずらされ、フローリングに敷いたラグの上で一同は車座になっていた。ここしばらく、リビングのテレビが点いているのは朝だけだ。
(――ま、みんな仲がいいのはけっこうなことなんだけどね……)
 ヤマダくんもラグの隅っこに胡坐をかいて座に加わった。
 次に話を始めたのはイトウくんだった。中途半端に稲川淳二をマネたような語り口調で、どこかで聞いたような怪談話を得々と披露する。話している本人は興が乗っているようだが、たいして怖くはない。お約束通りの展開、そしてお約束通りのオチ。
 一応、礼儀としてオチまで聞いてから、ヤマダくんはそっと席を立った。もっとも、自室に引き上げるつもりはない。冷蔵庫から何か飲み物でも取ってこようと思い、リビングに隣接したキッチンに向かう。
 そのとき、ズボンの尻ポケットに突っこんであったケータイの着信履歴に気づく。メールが届いていたようだ。

 メールは、ワタナベさんからだった。メッセージは、たった1行。
《怪談、やめさせられない?》

 唐突なメッセージだが、ヤマダくんには思い当たるふしがあった。
(……そういや最近、夜はリビングに顔出さなくなってたなぁ……)
 はっきり聞いたことはなかったが、どうも怖い話が苦手らしい。他のシェアメイトが全員ノリノリなだけに、水を差すようなことは口に出さないものの、この状況が1ヶ月近くも続いているとさすがに限界なのだろう。
 かといって、せっかくみんなが仲良く盛り上がっているものを、頭ごなしにやめさせるわけにもいかず――。
(さてさて、どうしたもんか……?)
(つづく)

ログイン

ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失


シェアハウス大家さん
倶楽部(無料)

シェアハウスで不動産投資に踏み出すサラリーマンやOLの皆様を応援する会員制プログラムです。ご登録いただくと各種不動産投資情報やサービスを無料提供致します。
入会申込(無料)