第35話 ヤマダくん、絶句する!?

「まあ、楽にしてください」
 贅を尽くしたおせち料理がところ狭しと並んだテーブル越しに、お銚子を片手にワタナベ氏が話しかけてくる。
「は、はあ……」
 緊張に上ずった声音で生返事をするヤマダくんのお猪口に、ワタナベ氏が有無を言わさず熱燗を注ぐ。お銚子の注ぎ口に細工があるらしく、コポコポと小気味いい音がする。
「あ、ありがとうございます……あ!」
 ご返盃を、とヤマダくんが慌ててお銚子をひったくるように取ると、ワタナベ氏は美味そうにお猪口を干してから、ヤマダくんに向かってぐっと突き出してきた。無造作につかんだお銚子の熱さに、危うく取り落としそうになりながら、ヤマダくんはぎこちなく返盃する。
 差しつ、差されつ……初老の男と三十男が言葉少なく酒を酌み交わしている間、ワタナベ夫人は娘と台所でかいがいしく料理の支度に余念がないようすだった。
(………………はぁ…………)
 声に出せないため息をかみ殺しながら、ヤマダくんは足のしびれも忘れて正座したまま固くなっていた。

 ――年末に予定していたワタナベ家への訪問は、けっきょく、年明けに変更された。
 ハウスの大掃除が思いがけず長引き、大晦日の午前中いっぱいまでかかったことに加え、「せっかくだから、母がお正月にいらっしゃいって……」というワタナベさんの言葉もあって、1月2日の午後、ということになったのである。
 ワタナベさんは大晦日の夜に一足先に帰宅し、ヤマダくんはヤマダくんで元旦には一度実家に顔を出すことにした。母親には、運営するシェアハウスについて根掘り葉掘り質問されたが、幸い、ここしばらく『バーデン-H』は順調そのものだった。念願の満室稼動となってから3ヶ月余り、シェアメイト同士のトラブルもこれといってなく、家賃収入も滞りなかった。ローンの支払いも、一時は自腹を切るところまで追い詰められたものの、今ではだいぶゆとりが出てきた。長期修繕費用の積み立てを考えるとまだ少々心もとないが、もともと新築未入居物件を購入しているため、まだ1〜2年は大がかりな工事の必要はなさそうだった。
 そんなこんなで、母親の心配を一蹴したヤマダくんだったが、
「……そろそろ、結婚とか、考えてるの?」
 という母親の質問に対しては、思わずむせる結果となった。
「たしかあんた、出資していただいた方のお嬢さんとおつきあいしてるって言ってたわね?」
「あ、ああ……まあね」
「いい加減、紹介してくれてもいいんじゃないの?」
「いや、それは……そのうち、ね」
「先様にはもう、ご挨拶は済ませたの?」
「い、いや……あ、明日お伺いすることに……」
「あらやだ! ちょっと、そういうことは早く言いなさいよ!」
「………………」
 ――けっきょく、あれやこれやと手土産を大量に持たされ、ヤマダくんは翌日、心細い足取りでワタナベ家へ向かうことになった。

 ワタナベ家は東京23区の外れにある住宅街の一角にあった。最寄駅からは徒歩15分ほどの距離があり、周囲に商店街やスーパーなどは見当たらない。そういう意味ではやや不便そうな立地だが、徒歩3分ほどの大通り沿いにコンビニが一軒あり、また日常の買い物はネットスーパーの宅配サービスも利用しているとのことで、生活に不自由はないとのことだった。
 目印のコンビニでワタナベさんと待ち合わせ、自宅へ案内されたヤマダくんだったが、ワタナベ家の門前に立ったときにはいささかテンパっていた。
 豪邸、とか、お屋敷、というほどのモノではないのかもしれないが、それでもヤマダくんの実家に比べれば数ランク上の一戸建てだった。家屋そのものは、それなりに築年数の経過した2階建てだったが、よく手入れされていて古びたところはない。ガレージには国産車が2台。クルマにそれほど興味のないヤマダくんの目にも、安物の大衆車でないことはわかる。そして何より、家屋とガレージを除いてもたっぷり100坪はありそうな庭が広がっていた。
 要するに、映画やマンガによくある「絵に描いたような大金持ち」ではないにしても、それなりの資産家であることは一目瞭然だった。
(まあ……考えてみれば、ビルやアパートを何棟も所有するオーナーさんだもんな……)
 気おくれしているヤマダくんを尻目に、ワタナベさんはさっさと家に先導する。門から玄関までの距離は1分ほどだったが、ヤマダくんは早くも緊張しまくっていた。
 玄関口で待ち構えていたらしいワタナベ夫人は、見た目はまだ40代でも通用しそうな上品な女性だった。今日は来客――ヤマダくんのことだ――を迎えるためか、身なりもきちんとしていて、うっすらお化粧もしている。なまじ主人であるワタナベ氏とは面識があるため、ダウンジャケットにフリースにジーンズというかなりラフな格好で来てしまったヤマダくんは、いかにも場違いな気がして居心地の悪い思いをしていた。
「まあ、まあ、遠いところをよくいらっしゃいました」
「は、はじめまして。ほ、本日はお招きいただき……あ、これ、つまらないものですが……」
 口ごもりながら挨拶しつつ、おずおずと実家から持たされた手土産を差し出す。
 そして、客間に通されると、そこにはすでに顔を赤くしたワタナベ氏が待ち構えていたのである。

 アルコールである程度舌のなめらかになったヤマダくんは、問われるままに『バーデン-H』の近況を報告する。一応、共同経営者――事実上は、ヤマダくんの母親も言っていたように「出資者」に近い――であるから、ハウスの状況は定期的に事業報告書を提出していたが、面と向かって話すのはひさしぶりである。ワタナベ氏は、さすがにベテランの不動産オーナーらしく、ポイントを突いた鋭い質問をぶつけてくる。ヤマダくんも、順調な経営状況に後押しされて、スラスラと質問に答えていたのだが……。
 やがて――ふいに、ワタナベ氏は表情を引き締めて、何ごとか切り出そうとした。
「ところで、ちょっと気が早いかもしれませんが、そろそろ……」
(きた―――――!!!!)
 ヤマダくんは全身に緊張をみなぎらせた。ついに、来るのか?――「結婚」の一言が……!?
 だが、続いてワタナベ氏の口から出た言葉は、ヤマダくんの予想を大きく裏切るものだった。
「……そろそろ、『2軒目』についても考えてみませんか――?」
「………………え!?」
 思いがけないひと言に、ヤマダくんはとっさに返す言葉を失っていた。
(つづく)

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