第38話 ヤマダくん、背中を押される

「……」
 パラリ――と紙をめくる乾いた音がする。
「……………………」
 また、パラリ――。
 室内を覆う重苦しい沈黙の中で、その音だけがかすかに空気を動かしていた。
ややあって――沈黙の重さに耐えきれなくなったように、ヤマダくんが口を開いた。
「…………どう……でしょうか?」
 上司に企画書をチェックしてもらう部下のような――あるいは、教授に論文を提出する学生のような、いつになく緊張した面持ちであった。
 わずかA4用紙3枚ほどの資料に、たっぷり5分以上もかけて隅々まで目を通していたオオシマ女史は、書類に目を落としたまま確認するように言った。
「……なるほど。つまり、2軒目は女性専用にしようというお考えなのですね?」

 5月下旬――ヤマダくんが「2軒目」のシェアハウス取得を考えはじめてから、早くも半年近くが過ぎていた。
 ヤマダくんは恋人であるワタナベさんとも相談の上、まず「2軒目」のイメージを具体化する作業に取りかかった。ちょうど年度替わりの時期で、会社の方がやや忙しくなってきたため、作業は遅々として進まなかったが、ゴールデンウィークの連休を利用してようやく計画書をまとめることができた。そしてこの日、ふたたび管理会社のオオシマ女史を訪ねたのであった。
 前回、オオシマ女史と相談したときからでも3ヶ月近く経っている。内心、何をグズグズしていたのかと叱られそうな不安もあったのだが、さすがにプロであるオオシマ女史は、そんな態度は少しも見せず、黙ってヤマダくんの見せた計画書に目を通してくれた。
 オオシマ女史の確認に、ヤマダくんは頷いて答えた。
「ええ。やはり、そうするのがベターではないかと」
「ここにも書かれていますが、たしかに女性専用とすることのメリットはいくつもあります」
 オオシマ女史はそう前置きして、要領よくまとめてみせた。
 ・入居者を集めやすく、稼動率が高くなること。
 ・入居者間のトラブルが少なく、コミュニティがまとまりやすいこと。
 ・部屋の傷みも少なく、物件の資産価値を維持しやすいこと。
 そもそも、他人との共同生活の場において異性が介在しない方が余計な気を遣わずに済むのはもちろんだが、統計的に見ても、シェアハウスへの入居希望者は女性の方が多い。女性専用マンションなどはセキュリティを厳重にしているため、その分家賃が高くなる。一般に女性の方が同年代の男性より収入が低いから、マンションの高額な家賃は負担となる。かといって、家賃の安いアパートではセキュリティの面で不安がある。また、彼氏ができて同棲、あるいは結婚するということになったとき、入退去の手続きがいちいち煩雑だ。その点、シェアハウスなら入退去も容易で、敷金・礼金のトラブルもない。そういった理由から、ひとり暮らしの女性が安心して住むことができる場所として、シェアハウスのニーズはますます高まってきている。
 さらに、男女共用のハウスにはつきものの恋愛がらみのトラブルも起こりにくく――ヤマダくんは、昨夏のタバタさんとスガワラくんの一件(第31〜32話)を思い出した――男性に比べて女性は協調性が高いから、コミュニティとしてまとまりやすい。
 もうひとつ、女性は基本的に生活の場をきれいに保ちたがることが多いから、部屋が傷つくようなことはあまりしない。もちろん、中には「汚部屋」「ゴミ屋敷」にしてしまうようなズボラな女性もいるが、それは面接の段階である程度回避することが可能だ。また、家賃の滞納トラブルなども女性の方が少ないという。
 すなわち、女性専用シェアハウスは、ビジネスモデルとしてきわめて効率的であるということだ。
 オオシマ女史もそのことは全面的に認めつつ、「ただし、……」とつけ加えた。
「……ただし、女性専用であるが故の難しさも当然あります。それはおわかりですね?」

 女性専用シェアハウスの難しさ。それは、まず何といっても、オーナーであるヤマダくん自身が男性である、ということだ。
1軒目の『バーデン-H』は男女共用であり、ヤマダくんはオーナー兼入居者として常駐することで、ハウスを基本的に自主管理で運営していた。オオシマ女史らの管理会社には、素人では難しい設備管理の一部を委託し、またハウス運営に関するコンサルティングを受けるだけの契約だった。
 しかし、2軒目に関してはこのやり方はできない。女性専用だから入居するわけにもいかないし、オーナーだからといって女性だけの生活空間にズカズカ入り込むことは難しい。だいいち、そんなことをしたら入居者からクレームが殺到するし、そもそも入居者が居つかないだろう。今日び、悪い評判はインターネット上にさらされ、あっという間に拡散・炎上する。シェアハウス入居者は日々ネットで情報収集しているから、悪評の立ったハウスはたちまち閑古鳥が鳴くことになる。そのことは、2年前のサカグチさんの騒動(第22話)でヤマダくんは骨身にしみていた。
「もちろん、わかっています。管理は御社に全面的にお任せするつもりですし、開業後しばらくは彼女を入居させようと思っています」
 ヤマダくんの言葉に、オオシマ女史は大きく頷いてみせた。
「ワタナベさん、でしたね? ご本人もそのことを?」
「ええ。というより、これは彼女自身の提案なんです」
 そう答えながら、ヤマダくんはその話をしたときのことを思い出していた。

 ――そもそも、2軒目を女性専用にしようと言いだしたのは、じつはワタナベさんの方だったのだ。
「絶対、その方がうまくいくと思う」
 ワタナベさんが、いつになく強硬にそう主張したのである。
「うーん……いや、もちろん、それはよくわかるんだけどね……」
 ヤマダくんの方はいささか煮えきらない態度だった。女性専用となると、自分はオーナーといってもほぼ名ばかりの存在になってしまう。資金に関しては、どうせまた彼女の父親であるワタナベ氏に出資を仰ぐことになるだろう。それは仕方ない。ヤマダくんの自己資金は高が知れているし、もともと「2軒目」の話を持ち出したのはワタナベ氏の側なのだ。当然、「金は自分が出す」という意味であり、ヤマダくんは雇われオーナー――というのもおかしな言い方だが――のような微妙な立場にある。せめて、『バーデン-H』と同じように、物件のコンセプトメークから運営管理まで自力でやらなければ、何というか、男として情けない気分だったのだ。
「オーナーって、管理人とは違うでしょ? あなたが自分で管理しなきゃならない理由なんてないのよ」
 ワタナベさんの言葉はたしかに筋が通っている。それがわかっていても、ヤマダくんとしては素直に頷けない。
 そんなヤマダくんのようすを見て、ワタナベさんは静かに言葉を続けた。
「お父さんとあなたは共同経営者。そして、わたしはあなたのパートナー……」
「…………?」
「……だったら、わたしが管理しても同じことだと思わない?」
「……!」
 ヤマダくんは思わず、ワタナベさんの顔を正面から見た。ワタナベさんはにっこり笑って言う。
「もちろん、完全な自主管理は難しいと思うけど、今だってわたし、女性ハウスメイトのリーダーみたいな立場なのよ?」
「……そうだね。きみならできると思う」
 ヤマダくんは初めて、晴れ晴れとした顔で頷いた。
(つづく)

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