第39話 ヤマダくん、意見を変える

「………………ッ!」
 言葉にならない、かすかな低い呻き声が漏れる。
「へぇ………」
 感嘆とも、感動ともつかないつぶやき。目の前の建物を見上げながら、ヤマダくんは不思議な興奮を覚えていた。
 正確なところはわからないが、パッと見で築50年以上経っていることは間違いないだろう。これくらい古い物件になると、30代前半のヤマダくんにとってはもはや「懐かしい」というレベルではない。まして、まだ20代半ばのワタナベさんから見れば、ほとんど未知の領域、歴史の教科書に載っていてもおかしくない世界だろう。
 ひびの入ったモルタル塗りの外壁と、黒ずんだ木枠に嵌ったすりガラスの窓。錆びた針金でくくりつけられた、牛乳配達用の木製のポスト。至るところが古びているが、それだけに、新築家屋にはない落ち着いた重厚感があった。玄関先に立っただけで、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズに出てきそうな、濃密な昭和30年代の空気が漂ってくる。
「う〜〜〜〜〜ん…………なるほど、“古民家”か……」
 しみじみとつぶやくヤマダくんだった。

 ヤマダくんとその恋人ワタナベさんによる「2軒目」のシェアハウス探しは、このところ、少々行き詰っていた。かれこれ半年以上も探しているだけに、所期の条件設定に当てはまる物件は、すべて一度は検討した上で、それぞれの理由からNGと判断された。やむなく条件の見直しを行い、「1軒目である『バーデン-H』から徒歩圏、もしくはH−駅から3駅以内」というエリア、「新築、もしくは未入居の戸建」という築年数、あるいは「最寄り駅から徒歩10分圏内」という立地などの諸条件の縛りを緩和することにしたのだが、それでもなかなか手頃な候補物件は見つからない。
 そこで、一度これらの条件を全部忘れて、自由な発想で視野を広げてみようと考えたのだったが……。
 新築の分譲マンション、中古でも比較的築浅で面積の広い分譲マンション、中古アパート、雑居ビルなど、いろいろなパターンの物件を見て回ったものの、いまだに「これ」という物件には巡り合えずにいた。
 ひとつには、予算の問題がある。
 ワタナベさんとも相談の上、2軒目の費用は基本的に自分たちで捻出することは決めてあった。今回は、恋人の父親であるワタナベ氏の援助は求めない、というのが方針だった。
「そりゃ、お父さんに頼めばそれなりの援助はしてくれると思うけど……」
 ワタナベさんはきっぱりと言った。
「でも、それじゃ意味ないと思うの。……それでいいよね?」
「もちろんだよ」
 ヤマダくんも否やはなかった。ワタナベさんとはいずれ結婚するつもりだし、そうなればワタナベ氏は義父となる。ワタナベ氏は複数の不動産を所有するオーナーであり、ヤマダくんとは比較にならない資産と銀行からの信用がある。将来的には、お互いの所有不動産の名義変更などの節税対策も必要になってくるかもしれないが……今はまだ、その時期ではない。そんなことよりも、ワタナベ氏の力を借りずに、自分たちだけの力で2軒目を取得し、成功させることを考えるべきだろう。
 自分たちだけで費用を捻出するとなると、まとまった資金としては『バーデン-H』を担保にして銀行から借りるしかない。取引先銀行の予備審査により、おおよその予算枠は把握していたが、この枠内で2軒目を、となると、かなり条件的には厳しいものになっていた。
 そんな中で、管理会社のオオシマ女史が思いがけないヒントをもたらしてくれた。

「え!? 古民家……?」
 その単語を耳にしたとき、いっしゅん、ヤマダくんはあっけにとられた。
 反射的に脳裏に浮かんだのは、小学生の頃までヤマダくんの実家の近所に残っていた、ボロボロの廃屋だった。当時、人が住まなくなって10年以上は経っていたらしく、床は腐って抜け、トタン屋根はめくれ上がっていた。悪ガキ連中が「幽霊屋敷」と呼び、夏場に肝だめしと称して潜り込んだり、秘密基地ごっこをしたりしてよく遊んでいたものだ。
「ヤマダさんがお探しのエリアには、売りに出ている空き家が何軒かあったはずです。空き家と言っても、売り物件は最低限の管理が入っていますし、リフォームすればかなり快適になるものも少なくありません」
 それに、とオオシマ女史は続けた。
「どのみち、新築を買ってもシェアハウス化するにはリフォームは必要です。古民家の場合、リフォーム費用は新築よりもかかりますが、物件の取得費用が新築とは比べ物になりませんから、トータルでは安く上がるはずです」
「…………いや、でも、いくらリフォームしたところで、古民家のシェアハウスなんて入居者が入りますかね?」
 ヤマダくんはまだ懐疑的だった。趣味として見るだけならおもしろいかもしれないが、そこで暮らすとなると話は違うはずだ。
「それに、2軒目は女性専用で考えていることですし……」
 セキュリティの問題や、設備の問題もある。そこはリフォームである程度カバーできるとしても、入居者のイメージというものもあるだろう。うら若い独身女性が、そんなところに好き好んで入ってくるかどうか……?
「それが案外、そうでもないようですよ」
 オオシマ女史は自信ありげにヤマダくんの反論を封じにかかる。
「古民家のシェアハウスは今、静かなブームになっています。レトロ志向もありますし、もともと、古い民家は共同生活に向いたつくりになっていますからね。古民家に備わっている家族の団欒のための機能が、そのままシェアメイトの交流にも転用できるんです」
「うーん……そういうものですかね〜」

 ――そんなこんなで、その場ではイマイチ納得しきれなかったヤマダくんだったが、帰ってからワタナベさんに相談すると、
「それもアリ、なんじゃない?」
 と、意外にも彼女の反応は好意的だった。そして、次の休日にさっそく、何軒か実物を見てみよう、という話になった。
 7月最初の日曜日――ヤマダくんとワタナベさんは、連れ立って古民家の売り物件を見て回っていた。梅雨時のことで、この日も朝から曇天模様だったが、午後に入るとときどき、雲間から陽射しが覗くこともあった。
 最初の古民家の前に到着したのは、ちょうどそんな晴れ間のタイミングだった。
 そのせいかもしれない。ヤマダくんの目には、目の前の物件が何故か、キラキラと輝いて映ったのである。
「……ここ、何か、いいよね」
 ヤマダくんが思わずそうつぶやくと、ワタナベさんは、あっさり意見を覆した恋人をたしなめるように言った。
「まだ中も見ないうちに何言ってるの? 今日はこれから、あと3軒は回るわよ!」
(つづく)

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