第40話 ヤマダくん、反省する

「ふんふん……なるほどねぇ……」
 軽いといえば軽い、どころか、ほとんど無関心にも思えるくらい投げやりな口調で、ヤマダくんはたった今内見した物件をバッサリ斬り捨てた。
「まあ、悪くはないんでしょうけど……ちょ〜っとね、違う気がします」
 なにやら、妙に偉そうな態度と口調である。「違う」と言われた不動産業者は思わずムッとし、その場に同席していた恋人のワタナベさんは必要以上に恐縮するそぶりを見せていた。
「……ええと、では、本日ご覧いただいた物件はすべて不合格ということで。……また、近いうちに次の候補物件をお持ちしてご連絡さし上げます」
 不動産業者のその言葉で、ひとまず今回の物件案内は終了。いささかうんざり顔でヤマダくんは応える。
「よろしく。次回こそは期待していますよ」
 口調こそごく自然だったが、そのやりとりは、ほとんど売り言葉に買い言葉であった。おそらく、「次」の連絡は来ないのではないか……とワタナベさんは内心思っていた。そして、ヤマダくんの方では「そうなっても構わない」と考えているだろうということも。

 この日は物件案内終了後、店舗には戻らず、現地解散という流れになった。
 不動産業者と別れて、ふたりで歩き出すとすぐ、ワタナベさんは恋人に食ってかかった。
「ちょっと。……あの言い方はないんじゃない?」
「……?」
 だしぬけにそう噛みつかれて、ヤマダくんはきょとん、とした顔をする。
「あんな態度じゃ、不動産屋さんだって面白くないでしょ。これじゃ、もしいい物件が見つかっても、私たちには声かけてくれないかもしれないじゃない」
「そう……かなぁ?」
 ヤマダくんは、まだピンときていないようすだ。それを見て、ワタナベさんはそっとため息をつく。それから、やや口調を改めてこう言った。
「お父さん、いつも言ってるわ。『街の不動産屋さんほど情報を持っているところはない。だから、不動産屋さんとはできるだけ良好な関係を築いて、相手から信用を得なければ、いい物件は手に入らないぞ』って……」

 ワタナベさんの父、ヤマダくんにとってはシェアハウス『バーデン-H』の共同経営者――実質的には“出資者”に近い――でもあるワタナベ氏は、他にもマンションやテナントビルなど複数の不動産物件を所有するオーナーだ。30年以上前からこの道で生計を立てているキャリアと経験値は、ヤマダくんなどとうてい足元にも及ばない。
 恋人の口から正論を指摘されて、ヤマダくんは軽くうなだれた。
 ――ヤマダくんだって、わかってはいるのである。ダテにワタナベ氏のようなベテランオーナーや、管理会社のオオシマ女史のようなプロフェッショナルとつきあっているわけではない。たしかに、昨今ではインターネット上に不動産情報があふれているが、本当に必要な情報はそこにはない。自分の足で歩き回り、自分の目で見てきている街の不動産業者は、現地の生の情報をリアルタイムで把握している。彼らはキャッチした情報を、長年築き上げてきた人脈を通じて優良顧客に売買し、利益を得ている。そして、そこで売れ残った物件だけがインターネット上に公開されるのだ。すなわち、公開されている情報は、いわば箸にも棒にもかからない残りかすなのだ。
 だからこそ、不動産業者との関係は良好なものにしなければならない。“いいお客さん”だと思われるか、“どうでもいいお客さん”だと思われるかで、紹介される物件には雲泥の差がつくのである。

「……ごめん」
 殊勝に謝ってみせるヤマダくんだったが、言い訳するようにこう付け加えた。
「なかなかいい物件が見つからないところへ持ってきて、この暑さだろ。ちょっとイライラしちゃってたんだ」
「………………」
「次から気をつけるよ、うん。……で、今日このあとなんだけどさ」
「なに?」
 とりあえずは素直に反省しているらしい恋人の表情を無言で見守っていたワタナベさんだったが、ここでようやく声に出して返事をした。それを見て、ヤマダくんはほっとしたような笑顔を浮かべて先を続ける。
「物件探しとは別に、ちょっと寄ってみたいところがあるんだけど……いいかな?」

 ――ヤマダくんがワタナベさんといっしょに「2軒目」のシェアハウス探しを始めてから、早くも3ヶ月が過ぎようとしていた。
 ヤマダくんひとりで探していた期間も合わせて、かれこれ100件近い候補物件を見て回っただろうか。オオシマ女史のアドバイスで“古民家”に的を絞ってからでも、この日を含めてすでに20件ほどの物件を内見していた。
 だが、いまだに「これ」という物件にはめぐりあえずにいた。
 いっぽう、「1軒目」である『バーデン-H』ではこの間、202号室のキムラさんが7月末に退去していたが、幸いすぐに次の入居者が決まり、あいかわらず満室稼動が続いている。お盆休みを利用して引っ越してきた新しい入居者のカワサキさんも――まだ数日のつきあいではあるが――既存のシェアメイトたちともすぐに打ち解けてくれ、いまのところ問題らしい問題は起きていない。
(1軒目の経営が安定している今のうちに、早く2軒目を見つけなければ……)
 そう焦るヤマダくんの気持ちとは裏腹に、物件探しは一向に光明が見えなかった。

「ここ、なんだけど……」
 先刻案内された物件の最寄り駅から、電車で3駅ほど移動。ワタナベさんは初めて降りる駅にちょっと戸惑いながら、ヤマダくんの先導で駅裏のゴチャゴチャした狭い通りを10分ほど歩いた。そして、ふいに立ち止ったヤマダくんが指し示した先には――。
 一見して、築60年は経っていそうな、堂々たる古民家である。正確には“古民家風の建物”というべきか。注意深く見ると、壁や窓にリフォーム工事の痕跡が見て取れた。それよりなにより、玄関のつくりが明らかに古民家のものではない。
「これって……もしかして?」
「そ。おれたちがこれからつくろうとしているのと同じ、“古民家再生シェアハウス”だよ」
 そう言って、インターフォンを押したヤマダくんは、その応答がある前に、ちら、とワタナベさんをふり返った。
「前から見学をお願いしててさ。ゆうべ、やっとOKの返事をもらったんだ」
 驚いているワタナベさんをよそに、ヤマダくんはインターフォン越しに内部に声をかけた。
「はじめまして! メールしたヤマダと申します。お願いしていた見学の件、今からよろしいでしょうか?」
「……やあ、いらっしゃい。お待ちしてましたよ、どうぞお入りください!」
 インターフォンのスピーカーからくぐもった声がすると、待つほどもなく玄関の引き戸が音を立てて開かれた。
(つづく)

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