第42話 ヤマダくん、またまたぼやく


「ついこないだ、国勢調査があったばかりなのに……」
 そんな、言わでもがなのセリフを口にしながら、ヤマダくんはリビングに集まったシェアメイトの面々に言った。
「こんどは例の『マイナンバー』だってさ。どうよ、みんな?」
「どうよ」と言われても答えようがないと見えて、一同は沈黙したままだった。委細構わず、ヤマダくんは先を続ける。
「とにかく、我が『バーデン-H』には今のところまだマイナンバーの通知は届いてません。もう11月も終わりだし、そのうち届くとは思うけど……それまでに」
 ヤマダくんはいったん、言葉を切って一同を見渡した。何人か、その先の言葉に心当たりのあるシェアメイトがわざとらしく視線をそらす。そのようすを見て、ヤマダはため息まじりに結論を口にした。
「まだ住民票を移してない人は、早急にお願いしますね。制度への批判も異論もあると思うけど、それはそれとして、お互い面倒なことはさっさと済ませておきましょう」

 マイナンバー。一部では「国民総背番号制」の実現だと悪名高い、日本政府による政策である。2015年10月5日から配布が開始されており、当初は「11月末までに全国民へ配布完了予定」などと喧伝されていたが、11月25日現在、ヤマダくんのシェアハウス『バーデン-H』にはまだ届いていない。政府発表では「1週間程度遅れる見込み」というが、どうも、年内いっぱいくらいまでずれ込みそうだとか、ヘタすれば来年3月末までだとか、いろいろとアテにならないウワサばかりが出回っているような状況である。
 その一方で、いわゆる「マイナンバー詐欺」については配布開始の当初から騒がれており、警察沙汰になっただけでも全国で130件以上。その陰には、表面化していない詐欺被害も相当出ているに違いないと予測されている。
 今回のマイナンバーは、先だっての国勢調査と違い、個人の住民票に従って配布されるという。したがって、住所がシェアハウスであっても、前回のような配布ミスはなく、間違いなく全員分が届けられるはずだ――住民票さえ移動していれば。
 ちなみに、『バーデン-H』では、オーナーであるヤマダくんの方針で、短期居住が前提のシェアハウスであっても(もっとも、ヤマダくん自身が短期居住をあまり歓迎していないためもあるのだが)住民票は必ず移すように徹底してもらっているのだが……。
 そうはいっても、「面倒くさい」「役所へ行く暇がない」などの理由で、住民票を移していないシェアメイトが何人かいることも事実であった。

「…………で?」
 リビングでの集まりを一度解散した後、ヤマダくんは「まだ住民票を移していないシェアメイト」のひとり、タケカワくんと、ヤマダくんの自室である101号室で向かい合っていた。
「いつ役所に行くの?」
「いや……今週はちょっと忙しくてさぁ……」
「『今週は』『今週は』って、引っ越してどのくらい経つっけ?」
「えーと……かれこれ1年以上になるけど」
「たしか、入居のときにちゃんと話したよね?」
「え、そうだっけ……?」
「…………まあ、過去の話はいいや。たしかに、こっちもそんなにしつっこく催促してたワケじゃないし」
「でしょ?」
「こら、調子に乗るなよ。……で、いつ行くの?」
「今でしょ……って、さすがに古いか」
「ごまかすな!」
 そんなこんなで、対話は一向にラチがあかない。ヤマダくんにしても、オーナーとしては強く出たいところだが、同じシェアメイトとしてはあまり頭ごなしに言いたくはない気持ちもある。それに、タケカワくんの仕事が忙しいことも承知しているだけに、これから年末にかけてバタバタしている中で強制するのもどうかと気を遣ってしまう……。
「とにかく、例のマイナンバー詐欺とかもあるんだから、トラブルの芽は早めに摘んどきたいワケよ、こっちとしては……ね? 頼みます」
 けっきょく、そんな腰くだけの話にならざるを得ない。
 大げさに頭を掻いてみせながら退出するタケカワくんの姿を見ながら、
(コイツ、本気で行くつもりなさそうだな……)
 と、ヤマダくんはいささか暗澹たる気持ちになっていた。

「ちょっと、いいかしら……?」
 タケカワくんが出ていくのと入れ違いに、控えめなノックの音とともにワタナベさんが顔を覗かせる。
「ああ、どうぞ」
 ヤマダくんの恋人であり、婚約者でもあるワタナベさんだが、日頃は101号室に立ち入ることはめったにない。ヤマダくんのプライバシーを尊重しているだけでなく、他のシェアメイトに配慮しているためだろう。
「……住民票のことなんだけど、キムラさんもね、あんまり乗り気じゃないみたい」
 ワタナベさんが単刀直入に用件を切り出すと、ヤマダくんの表情はさらに曇った。
「そっちもか……なんなんだろうねぇ」
「ただ『めんどくさいだけ』ならいいんだけど……どうも、何か事情があるみたいなの」
「事情?」
「本人がはっきり言ってくれないから、半分は想像でしかないんだけど……」
 そう前置きして、ワタナベさんが言うには、キムラさんの場合、どうも過去に何らかのトラウマを抱えているようなのだ。おそらくはストーカー被害――もしかすると、直接的なDV被害があったのかもしれない。あるいは、いわゆる「毒親」という奴か? ごく平凡な両親の下で育ったヤマダくんにはイマイチ実感が湧かないが、成長した子どもが縁を切って二度と関わりをもちたくない親というのも、世の中には現実にいくらもいるという話だ。いずれにせよ、キムラさんには住民票を移すことで現在の所在を突き止められたくない「誰か」がいるらしい。
「以前、そういうことがあって、逃げてきたのだとしたら……二度とそんな目には遭いたくないはずよ」
「あの、キムラさんが……?」
 ヤマダくんは202号室の入居者の顔を思い浮かべながらつぶやいた。「霊感キャラ」という困った一面で昨秋『バーデン-H』の怪談ブームの原因にもなったが、基本的には誰に対しても気さくで人懐こく、朗らかな女性であった。彼女にそんな過去があったとは想像もつかないが――たしかに、言われてみれば彼女は、他人との間に常に一線を引いている感じで、必要以上に踏み込んでこないところはあった。それはもちろん、悪いことではないし、誰にでも多かれ少なかれ事情はある。
(できれば、例外はつくりたくないんだけど……。親にしろ、昔の恋人や元旦那さんにしろ、そういう相手がいるんだったら仕方ないのかもなぁ……)
 ヤマダくんは声に出さず、胸の裡でそっとぼやいてみせるのだった。
(つづく)

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