第43話 ヤマダくん、意表を突かれる!?

「……しかし…………今日でないとマズイの?」
 いかにも気乗りしないようすでヤマダくんが言う。言葉の端々に色濃い疲労がにじんでいた。昨夜もあまりよく眠れていないのだろう。
「ううん、マズイとかじゃなくて……『今日がいい』の!」
 頑なにそう主張するのは、ヤマダくんの婚約者にしてビジネスパートナーでもあるワタナベさんだ。
「だからって……このクソ忙しいときにわざわざ……」
「ほら、行くよ?」
 まだブツブツと言い募るヤマダくんを無視するように、ワタナベさんは先に立ってさっさと歩きだした。仕方なく、ヤマダくんも後に続く。うららかに晴れた冬の空を恨めし気に見上げ、口には出さずに胸の裡でぼやきながら。
(せめて雨でも降っていれば、断る口実になったのに……)

 12月上旬――ヤマダくんとワタナベさんの勤務先の会社はこの時期、一年で最大の繁忙期を迎える。かろうじて休日出勤こそ免れていたが、連日終電帰りは当たり前という状況だった。そんななかで、ようやく訪れた週末、ヤマダくんはワタナベさんに強引に誘い出されて、朝から連れ立って出かけることになったのである。
(デートだっていうなら、それはそれでいいんだけどさ……どうも、そういう雰囲気でもなさそうだし……)
 ワタナベさんは、何やら思いつめた表情でずんずん歩いていく。彼女にしても同じ職場である以上、この時期は多忙を極めているはずで、週末には疲れもピークに達しているだろうに、妙に張り切っているようにも見えた。
「どこに行くんだ?」
 何度か、たまりかねてヤマダくんが問いかけたが、答えは「行けばわかる」の一点張り。どうやら教える気がなさそうなのと、実際問題行けばわかるのだろうから、ヤマダくんもあきらめておとなしく後に続いた。やがて『バーデン-H』の最寄り駅であるH―駅へ辿り着くと、ワタナベさんは迷わず来た電車に乗り込む。慌てて後から車両に滑り込みながら、
(…………ん? 待てよ)
 ふいに、ヤマダくんの中でピンとくるものがあった。
(このシチュエーション……前にも同じようなことがあったよな……?)
 もっとも、そのときは、行き先を告げずに黙って彼女を引っぱって行ったのはヤマダくんの方だったのだが……似ている。これは、もしかして……?
 ヤマダくんの予感は、ワタナベさんがある駅で降りたとき、確信に変わった。
「なあ。この駅って、たしか……」
「そうよ。あなたが夏に連れてってくれた――」
 ワタナベさんは振り向き、初めてにっこりと微笑んだ。

 ――かれこれ4ヶ月ばかり前。
 ヤマダくんは不動産屋の物件案内の帰りに、ワタナベさんを伴って、このK−駅で降りた街にある1軒のシェアハウスを見学に行ったことがあった。
 古民家再生シェアハウス――。
 ヤマダくんとワタナベさんが「2軒目のシェアハウス」の候補として考えている物件の、いわばモデルケースとして内部を見学させてもらい、オーナーからいろいろ話を聞かせてもらったのである。
 その後、本業の方がバタバタと忙しくなり、さらに国勢調査だ、マイナンバーだと、『バーデン‐H』の方でもひと騒動あり、そのまま年末の繁忙期に突入してしまったため、ここしばらく2軒目探しの件は一時棚上げになっていた。ヤマダくんとしても、内心気にはなっていたものの、悲しいかな身体はひとつしかない。なんだかんだで、物件探しや古民家訪問はすっかりご無沙汰だった。
「前回の訪問のとき、オーナーのサクライさんとアドレスを交換してたでしょ? あのあと、何度かメールのやりとりはさせていただいてたの」
「へ〜、知らなかった」
 サクライさんというのは、40代半ばの独身女性だ。江戸っ子気質とでもいうのだろうか、えらく気風のいい人で、独身女性に対して失礼かもしれないが「肝っ玉母さん」タイプ。前回の訪問ではヤマダくんは終始圧倒され気味だったが、そういえばワタナベさんは妙に意気投合していたのを思い出す。この古民家はもともとサクライ家の自宅で、彼女の祖父の代に建てられたものだという。5年前、父親を亡くしてひとり暮らしになったのを機に自宅を改造してシェアハウス化し、前回の訪問時には5人の女性が入居していると聞いた。女性専用シェアハウスにふさわしく、古びた外観の割には華やいだ雰囲気が感じられたものだった。
 ところが――。
 4ヶ月ぶりに訪れてみると、心なしか前回に比べて妙に寂れているようにヤマダくんには感じられた。
(何か、あったのかな……?)
 怪訝な顔をしているヤマダくんに構わず、ワタナベさんはインターフォンを押して、声をかける。
「こんにちは! ワタナベです」
「いらっしゃい。開いてますから、どうぞお入りになって」
 インターフォンのスピーカー越しにも、あきらかに前回のような張りが感じられない、弱々しい声音であった。サクライさんは身体の具合でも悪いのだろうか、といぶかるヤマダくんを尻目に、ワタナベさんは遠慮なく引き戸をガラガラと開いた。
「お邪魔します」
 ひと声かけると、そのまま靴を脱いで上がる。いかにも勝手知ったるようすだった。
(どうやら、メールのやりとりだけじゃなかったみたいだな……)
 さすがにヤマダくんも察しがついた。考えてみれば、前回の訪問では駅からこの家までは道がゴチャゴチャしていて少々まごついたものだが、今日、ワタナベさんの足取りには迷いがなかった。4ヶ月も前に一度来たきりにしては、道慣れし過ぎている。
(あのあと、少なくとも1度や2度はここに来ているな……? おれには何も言わずに)
 ヤマダくんとしては、いささか複雑な心境である。恋人に隠しごとをされるのは、無論いい気持ちはしない。だが、女性オーナーの先輩に話を聞きに来るということは、それだけワタナベさんが真剣だということだ。ヤマダくんのパートナー、2軒目のシェアハウスの事実上のオーナーとなる決意と覚悟のあらわれというべきかもしれない。

「……黙っててごめんなさい。じつは、あれから何度か、サクライさんに相談させていただいてたの」
 玄関口に立って、ヤマダくんに手慣れたようすで来客用のスリッパを差し出しながら、ワタナベさんは神妙に告白した。彼女自身はスリッパを履いていない。それはつまり、彼女が「来客ではない」ということを意味していた。客でないなら……いったい、何だというのだろう?
「詳しいことはこれからきちんと説明するけど……」
 改まった口調でワタナベさんは続ける。
「じつはね……サクライさんから、このハウスを居抜きで買わないか、というお話をいただいてるのよ」
「…………!?」
 思いもよらない展開に、意表を突かれたヤマダくんはしばし絶句した。
(つづく)

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