第44話 ヤマダくん、決断する!

「ここを買うって!? ……しかも、居抜きで?」
 呆気にとられたように、ヤマダくんはオウム返しに言った。ややあって、かすれた声で先を続ける。
「…………それで、きみはなんて返事をしたんだ?」
「もちろん、返事はまだ」
 ワタナベさんは短く答え、彼女の婚約者の顔を正面から見つめて言う。
「それを今日、これから話し合おうと思って……」

 1ヶ月ほど前――12月上旬のとある週末のことだった。
 ヤマダくんは朝、ワタナベさんにせきたてられるようにして、彼らのシェアハウス『バーデン-H』を出た。行き先も知らされないまま、黙って空を歩く婚約者の後を追いかけながら、ようやくたどり着いた場所は、数ヶ月前にふたりで見学に訪れたことのある、K−駅の古民家再生シェアハウスだった。
 順調に満室稼動を続け、収益の上がっている『バーデン-H』の実績を背景に、ヤマダくんたちが「2軒目のシェアハウス」購入を検討しはじめたのは、昨春のことであった。思い起こせば1年前の正月、ワタナベさんの実家に年始の挨拶に行った際、『バーデン-H』の共同経営者にして婚約者の父でもあるワタナベ氏に「2軒目」を示唆されたのがきっかけだった。それからヤマダくんは検討に検討を重ね、迷いに迷いまくった挙げ句、ワタナベさんの全面的な理解と協力を受けて、GW前後から本格的に物件探しに乗り出した。当初は五里霧中だった「2軒目」の方向性は、やがて「女性専用」「古民家再生」というキーワードを得て、次第に具体化していった。夏には、毎週のように地元の不動産屋を当たり、候補物件めぐりをしたものだった。
 だが――9月を過ぎたころから、徐々に『バーデン-H』関係の雑務や、本業の仕事の方が忙しくなってきて、ヤマダくんはしばらく「2軒目」探しから遠ざかっていた。本業を持つサラリーマン大家さんである以上、無理もない面もあるとはいえ……どうもヤマダくん、またぞろ中だるみの悪いクセが出てしまったようである。
 いっぽう、そんなヤマダくんの性格など百も承知のワタナベさんは、独自に情報収集を続けていた。8月にヤマダくんとふたりで訪問した古民家再生シェアハウスの女性オーナー・サクライさんとアドレスを交換し、女性専用シェアハウスの運営方法などについて、いろいろ相談していたのだという。サクライさんはワタナベさんより20歳近くも年上だったが、妙に馬が合ったとみえて、メールのやりとりに始まって、何度かは直接足を運んで膝を突き合わせて話し込んだりもしたようだ。
そのうち、サクライさんから意外な申し出を受けることになる。それが、「このハウスを、居抜きで買ってくれないか?」という話であった。

「……そりゃあ、アタシだってここを手放したくはなかったわよ」
 ちゃぶ台を挟んでヤマダくんと向き合いながら、サクライさんは妙にサバサバした口調で切り出した。
「なんだかんだいっても、ここは生まれ育った家だもの。一生ここで暮らすんだと思ってた時期もあったわよ。バブルの頃には、こんなとこでも地上げ屋が来たりもしたんだけど、当時は元気だった父が、ガンとして追い払ったくらいなんだから」
「はぁ……」
 圧倒されながら、かろうじて相槌を打つヤマダくん。玄関のインダ―フォン越しに声を聴いたときには妙に元気がなく、身体の具合でも悪いのかと心配していたヤマダくんだったが、いざ顔を突き合わせてみると、あいかわらず気風のいい女傑ぶりだった。
(こんなに元気なのに、どうしてハウスを手放す気になったんだ……?)
 そんなヤマダくんの内心の疑問に答えるように、サクライさんはあっさりと続けた。
「でもねえ……ま、よんどころない事情って奴でね。どうしてもまとまったお金が必要になっちまったわけよ。アタシの財産なんてこの家くらいだしさ。こうなった以上、さっさと売っぱらって、スッキリしたいのさ」
 サクライさんの言う「よんどころない事情」とはどんなことなのか? それを聞こうと思ったら、どうやらこの売却話を呑むしかなさそうだ。話を聞くだけ聞いて、「やっぱり買うのはやめときます」では通りそうもない。

 とはいえ、300万や500万という単位のお金ではないのだ。少なく見積もってもその10倍以上、ことによったら億単位のお金が動くことになる。ヤマダくんにしても、そんなお金を右から左に動かせるような身分ではなかった。
 ヤマダくんは、視線をつい、と動かして、ワタナベさんを見た。彼女は、そのあたりの事情を、少なくともある程度までは知っているはずだ。そのうえで、自分ひとりでは判断できないということで、今日、こうしてヤマダくんを連れてきたのだろう。
 ふたりの視線が空中で交錯する。ワタナベさんが、かすかに頷いてみせるのをヤマダくんは見た。それだけで、ヤマダくんには彼女の気持ちが容易に察せられた。
(できれば、サクライさんの力になってあげたい。そういうことか……)
 だが、気持ちの問題だけでこの話をあっさり呑むわけにはいかない。ひとつ間違えれば、ヤマダくんたちの方がのっぴきならない羽目に追い込まれることにもなりかねないのだ。「2軒目」どころか、ようやく軌道に乗った『バーデン-H』まで失い、そのうえ巨額の借金を抱えることにでもなったら……。
 少し、考える時間がほしい――そう口に出そうとしたとき、サクライさんが機先を制して言った。
「我ながら勝手な話だけどさ。あんまり時間がないのよねぇ……。もっとはっきり言っちゃうと、年が越せるかどうかの瀬戸際なのよ」
「………………!」
 結論を引き延ばそうとしたヤマダくんの意図は、あっさり出鼻をくじかれた。こうなったらもう、後へは引けない。ヤマダくんはついに決断した。もう一度ワタナベさんの方を見てから、ヤマダくんはサクライさんに正面から向き直った。
「お聞きしましょう。――その、『よんどころない事情』について」
(つづく)

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