第46話 ヤマダくん、案じる……

 2016年4月15日、午前6時――。
 寝不足気味の頭を抱えて、ヤマダくんは自室である101号室のベッドから這い出した。大あくびしながら、のそのそと洗面所へ向かう。
 と――リビングの方から、点けっぱなしのテレビの音が聞こえてくるのに気づいた。
(ありゃ? ゆうべ、消し忘れたかな……?)
 寝起きのぼんやりした脳裏でそんなことを考えつつ、手早く洗顔を済ませると、ヤマダくんはリビングへ足を向けた。
 12帖ほどの広さがある『バーデン-H』のリビングの照明は消され、窓には遮光カーテンが引かれている。にもかかわらず、ぼんやりと室内が明るいのは、壁際に設置された24インチの液晶テレビが点いているせいだ。先ほどからずっと漏れ聞こえていた音声は、やはりテレビのニュース番組だった。
「……昨夜午後9時26分ごろ、K-県M-町で震度7の揺れを観測する大地震が発生しました。この地震は、K-県K-地方を震源とし、地震の規模を示すマグニチュードは6.5と推定されています。九州地方では、今朝午前5時までに最大震度6強を観測する激しい余震をはじめ、震度1以上の余震が合計100回以上観測されており、引き続き十分な警戒が必要です……」
 ――朝っぱらから、気の重くなるようなニュースだ。
ともかく、一度テレビを消そうと思ってリビングに足を踏み入れたとき、ヤマダくんはようやく、ソファに誰かいることに気づいた。顔は見えないが、パジャマ姿の女性のようだ。どうやら、テレビは寝る前に消し忘れたのではなく、彼女がずっと見ていたものらしい。
「………キムラさん?」
「あ………」
 食い入るように画面に集中していた女性が、声をかけたヤマダくんをふり返った。背格好から見当をつけた通り、それは202号室のキムラさんだったが――ふり向いたその顔を見て、ヤマダくんは愕然とした。
 たったひと晩で、別人のようにやつれ果てていた。おそらく、昨夜から一睡もしていないに違いない。メイクを落としたすっぴんということもあってか、実年齢より10歳以上も老け込んで見える。ふだんなら、こんなだらしない顔をシェアメイトたちの目に無防備にさらすような女性ではないのだが……。
「…………あっちに、知り合いがいるんだね――?」
 わかりきったことを確認するように、ヤマダくんが訊く。彼女のただならぬようすを見れば一目瞭然だ。それも、かなり親しい相手に違いない。両親か、兄弟か――。
だが、かすかに頷いてからキムラさんが口にしたのは、ヤマダくんにとっては予想外の答えだった。
「…………子どもが、いるんです――別れた夫の家族と」

 1時間半後――。
後ろ髪を引かれる思いで、ヤマダくんは会社に出勤していった。さすがに、九州の地震のために休むわけにもいかない。他のシェアメイトたちも三々五々、出かけていく。
キムラさんはあの後、ほどなく降りてきたワタナベさんが付き添って自室に戻らせた。寝かせてやるようにと伝え、おとなしくベッドには入ったようだが、ちゃんと眠ったかどうかまではわからない。仕事は、今日は休むそうだ。
通勤電車の中では落ち着いて話もできなかったが、その日の昼休み、ヤマダくんとワタナベさんは揃って昼食に出て、改めて彼女についての話をすることにした。
「どうもね……M-町の近くに別れた旦那さんの家があるみたいで」
「キムラさん、お子さんがいたのね……」
「男の子だそうだ。まだ2歳だとか」
「そう…………」
 詳しい事情までは聞けなかったが、キムラさんは2年前、元夫の実家から追い出されるような形で離婚。夫との間に生まれたばかりの子の親権は、夫側に取られたらしい。昨年暮れのマイナンバー交付のとき、キムラさんが住民票を移していなかったことをヤマダくんは思い出していた。どうも、いろいろ込み入った事情があるようだ。
「わたしたちに、何かできることないかしら……?」
「うーん…………」
 ヤマダくんは腕を組んだ。
 はっきり言って、難しい。そもそも他人が口出しできるような問題ではないし、彼女がそれを望んでいるかどうかもわからない。第一、何かしてやれることがあるのかどうかも……。
午前中、オフィスのパソコンでたまにニュースのヘッドラインを流し読みした程度だが、地震の被害状況はまだ詳しくは掴めていないようだ。ただ、M-町の住民のほとんどは昨夜から避難所に避難しており、こちらからでは連絡の取りようもないはずだ。亡くなった方の身元は順次ニュースで発表されているが、負傷者は大まかな人数しか発表されていない。もし、キムラさんの子どもや元夫の家族がケガをしていたとしても、彼女のもとへ連絡が来るかどうかは、じつのところ、わからないのである。
「……とにかく、今はキムラさん自身のことが心配だな。今朝のようすじゃ、このまま身体を壊してしまいかねない。そのへんは、できるだけおれたちで気をつけるようにしないと……」
「そうね……他の人たちにもそれとなく伝えておかないと」
「うん、伝え方も慎重にね。あれこれ詮索されないように……」
「わかってる」

 その夜――。
 残業をさっさと切り上げてヤマダくんが帰宅すると、待ちかねていたようにワタナベさんが出迎えた。ひと足早く定時に退社していたワタナベさんは、すでに202号室にキムラさんを訪問した後だという。
「リビングじゃ、ちょっと――」
 小声でいうワタナベさんに頷いてみせ、ヤマダくんは101号室に彼女を招き入れた。
 上着をハンガーにかけ、ネクタイを外しただけの恰好で、ヤマダくんはデスクの椅子にかけ、ワタナベさんはベッドにちょこんと座って、ふたりは向かい合った。
(何だか、こういうのも新鮮だな……)
 こんな状況にも関わらず、ヤマダくんはふと、あらぬことを思っていた。
 考えてみれば、ひとつ屋根の下に暮らす婚約者同士でありながら、ヤマダくんとワタナベさんがお互いの自室を訪問することはめったにない。他のシェアメイトに気を遣っているというより、オーナーとしてのケジメのつもりだった。いつの間にかそれが慣れっこになってしまったが、逆にそのお陰で、同居していても妙に所帯じみたりせず、いつまでも新鮮な恋人関係でいられるのかもしれない――などと、ヤマダくんは思ったりもする。もっとも、この先ずっとこのまま、というわけにはいかないだろうが。
 ヤマダくんに目で促され、ワタナベさんは重い口を開いた。
「昼間、少しは眠ったみたい。今朝よりは顔色がだいぶマシになってたけど……」
「ようすの方は、あいかわらず……?」
「うん………あんまり話はできなかったの」
「ご家族の……お子さんの安否は?」
「それも、まだわからないみたい……」
 キムラさんの場合、安否確認ひとつとっても容易ではなさそうだ。家族がお互いに連絡を取り合おうとしているなら方法はいくらもあるが、彼女はどうやら自分の居場所を相手に知られたくないらしい。そんな場合じゃないだろうとヤマダくんなどは思うのだが、そこがつまり、「込み入った事情」という奴なのだろう。しかし、このままではラチがあかないことだけは間違いない。ならば…………!
「――明日、おれから話してみるよ」
「話すって……?」
「やるかどうかは、キムラさん次第だけどね」
 何ごとかを決心したように、ヤマダくんは力強く言った。
(つづく)

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