第47話 ヤマダくん、策を練る

「――まさか、ここまでのことになろうとはね……」
 重苦しい沈黙を破って、ヤマダくんがポツリ、とつぶやいた。ヤマダくんの隣では、ワタナベさんが居心地悪そうにもぞもぞしている。『バーデン-H』のリビングのソファには、この日、ヤマダくんを含む3人のシェアメイトの他に、この場では見慣れない2人の人物が座していた。
 1人は、ヤマダくんたちが保有する2軒目のシェアハウス『バーデン-K』の前オーナーで、現シェアメイトリーダーでもあるサクライさん。そして、もう1人は、まだあどけない2歳くらいの男の子だった。初めて見る知らない大人たちに囲まれた男の子は、怯えているように、ヤマダくんの正面に座る女性の膝にすがりついている。その背を優しく撫でてやりながら、膝の主――202号室のキムラさんは、きっぱりと意志を込めて言った。
「先のことはともかく――今は、この子のことを第一に考えたいんです」

 ――K-県の地震発生から早くも1ヶ月以上が過ぎていた。
 4月14日の前震に続いて、約28時間後には本震といわれる大きな揺れが襲い、犠牲者はさらにその数を増した。被災地では依然として大きな余震が続いており、被災した人々は不自由な避難所暮らしを強いられていた。不順な天候と、相次ぐ余震のため、復興は遅々として進まず、残った建物もほとんど住むことはできなくなっているという。
 本震のあった翌朝未明、ついにただ待っていることに耐えきれなくなったキムラさんは、簡単な置手紙を残して『バーデン-H』を出奔した。手紙には「行けるところまで行ってみます」とだけ書かれていた。朝になって気づいたワタナベさんは必死にケータイを鳴らしたが、返事はなく、メールの着信すらないまま、2週間近くが過ぎた。そして――4月28日になって、ようやくキムラさんから連絡が入ったのである。
 元夫の家族は全員無事、ただし、家はほぼ全壊に近いありさまだったという。また、義母がケガをしたため、家族の面倒を見る人がいないので、しばらく現地に留まるということだった。男尊女卑の気風が残る地方だけに、義父や元夫には家事能力がほとんど皆無ということのようだ。
 ともあれ、無事を確認できたことで、ヤマダくんたちもようやく胸を撫で下ろしていた。他のシェアメイトたちには、キムラさんは身内が被災地にいるので、現地に見舞いに行っているとだけ伝えてあった。女性陣はさすがにある程度事情を察していたようだったが、ワタナベさんからクギを刺してあったので、特に騒ぎ立てるようなこともなかった。一方の男性陣だが、こちらは、ヤマダくん以外はまったく事情に気づいてもいない。
 そうこうするうちに、世間はGWを迎える。
 じつは、ヤマダくんたちは、この連休を利用して『バーデン-H』と『バーデン-K』の合同パーティを開こうという企画を立てていたのだが、これは諸事情(もちろん、キムラさんのことは内緒だ)により延期。問題が片づいてキムラさんが帰ってきてから改めて企画しようということになった。
 だが、キムラさんから「帰る」という連絡のないまま、1ヶ月近くが過ぎ……。
 つい3日前の日曜日、何の前触れもなく彼女は戻ってきた――幼い男の子の手を引いて。

「本当に……ご迷惑ばかりおかけして心苦しいのですが……」
 思いがけず、子連れで帰還したキムラさんは、そう言って頭を下げた。
「でも、しばらくの間でいいんです。この子と一緒に、ここに住まわせてくれませんか――?」
 ――言いにくそうに話すキムラさんの口から、大まかな事情はわかった。
 直接的には、義母が退院したことがきっかけのようだ。もともと離婚の原因は、嫁姑の対立――というか、彼女の側から見れば姑の嫁イビリということだったらしい。退院した義母は、それまで過去のいきさつも水に流して献身的に家族の面倒を見てくれていたキムラさんに対して、口に出すのも憚られるような暴言を吐きまくったのだという。長年住み慣れた家が壊れ、追い出したはずの嫁がいつの間にか帰ってきて大きな顔をしている……というのが不満らしかった。義父や元夫が、おとなしく頭を下げて嫁のご機嫌を取っているのも面白くないらしい。何より、物心つく前に追い出された母親に、可愛い孫がすっかり懐いてしまっているのが許せなかったようだ、とキムラさんは語る。
「あちらでは当分、住むところもありませんし。大人ならともかく、まだ小さい子どもを、あんな環境にいつまでも置いておけないと思って……」
 その気持ちはよくわかる、とヤマダくんはうなづいてみせた。
「ただ、その……いいのかな? 離婚したとき、親権は元旦那さんに取られているんだよね?」
「ええ……それが?」
「つまり、その、言いにくいんだけど……相手側から見たら、これって『誘拐』ってことにならない?」
「!? ……だって、私はこの子の母親ですよ!」
「もちろん、それはわかってる。今回は事情も事情だし、一時的には黙認されるかもしれない。でも、このまま母子でずっと、こちらで暮らすことができるかどうかは……」
「そんな……!!」

 キムラさんが興奮し、子どももすっかり怯えてしまっているようすだったので、とりあえず、その日は話を打ち切り、子連れのキムラさんはほぼ1ヶ月ぶりに202号室へ引き取った。ヤマダくんはさっそく、ワタナベさんとふたりで話し合いを持ち、さらに話の流れから、この問題に頼もしい助っ人になりそうな人物に声をかけた。
 いうまでもなく、『バーデン-K』のサクライさんである。女性専用シェアハウスの前オーナーとしてさまざまなケースを見聞きしてきた女傑は、ふたつ返事で協力を約束してくれた。
「ワケアリのシングルマザーなんて、この商売じゃ珍しくないわよ」
 そう胸を叩いて、サクライさんはヤマダくんたちにある「作戦」を授けてくれた……。

「――いいかな? この『バーデン-H』の契約は単身者の居住専用ということになっている。だから、可哀想だけどこのままここに住んでもらうわけにはいかないんだ」
 ヤマダくんは努めて冷静な口調で言った。キムラさんの顔がこわばる。
「でも、ここにもう1軒、『バーデン-K』という物件がある。こちらは女性専用ということは決まっているけど、今のところ、子連れのシングルマザーを排除するというルールは決めていない……」
「それって……?」
「幸い、『バーデン-K』にはまだ1部屋空きが残っている。こちら側の勝手な事情で申し訳ないけど、キムラさんにはひとまず、お子さんと一緒にそちらへ移ってもらえないかな?」
 ――じつは、「空いている1部屋」は本来、ワタナベさんが月の半分暮らす予定でわざと空けておいた部屋であった。キムラさんが入居することで、『バーデン-K』にオーナー側の人間が常駐できなくなってしまうことになるが、それはこの際仕方がないだろう。サクライさんを信用するしかない、とヤマダくんは内心思っていた。
「それと、もうひとつ。嫌かもしれないけど、元旦那さんにはちゃんと連絡を入れておいてほしい。お子さんがこちらにいて、お母さんと一緒に元気で暮らしているということを伝えておかないと、いざというときに問題になりそうだからね」
「……でも」
「大丈夫。住所はこっちの『バーデン-H』のままで伝えてもらってかまわないから。そうすれば、キムラさんが留守の間に、父親が勝手に子どもを連れ帰るような心配もないだろ?」
 果たして、そううまくいくものかどうか――。法律上の問題や、2歳児を抱えたキムラさんの生活など、まだまだ問題は山のようにある。
 だが、キムラさんが安堵の笑みを浮かべるのを見て、ひとまずはホッとするヤマダくんだった。
(つづく)

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