第48話 ヤマダくん、説得する

「こういうときに、こういうことはあまり言いたくないんだけど……」
 いかにも心苦しそうに、ヤマダくんは口ごもりながら言った。
「いや、もちろん、今すぐにどうこう、という話ではないんだけどね」
「でも……こういうことはどこかでちゃんとケジメをつけないと」
 ヤマダくんの隣で、ワタナベさんも言いづらそうに同意する。
 場所は、『バーデン-K』のリビングである。といっても、古民家再生シェアハウスだから、リビングというよりは「茶の間」のイメージに近い。12畳敷きほどの板の間の中央に掘りごたつが設えてあり、ヤマダくんたちはそこに並んで腰かけていた。ふたりの正面では、うつらうつらしている2歳くらいの小さな男の子を膝に抱えたキムラさんが、じっと黙って唇を噛んでいた。ややあって、ほとんど聞き取れないようなかすれ声でポツリと応える。
「…………ご迷惑をおかけしているのはわかっています。でも……もう少しだけ……」

 ――あの、K-県の地震後、キムラさんが幼い我が子を連れ帰ってきてから1ヶ月余りが過ぎていた。ヤマダくんたちは、『バーデン-K』のシェアメイトリーダーであるサクライさんのアドバイスを受けて、キムラさんの現住所を書類上は『バーデン-H』の202号室に置いたまま、ひそかに『バーデン-K』の一室へ母子ともども転居してもらっていた。
 こうすることで、ひとまず彼女の元夫が子どもを勝手に連れ出すことを防いだわけだが、その結果、キムラさんは2部屋を占拠する形になっていた。そのため、じっさいに住んでいる『バーデン-K』の部屋代はもちろん、書類上の住所である『バーデン-H』の202号室の部屋代まで発生することになる。
 ただでさえ、扶養家族が増えたことでキムラさんの月々の生活費の負担は増大している。しかも、以前の勤め先は、突然のK-県行きで1ヶ月以上も欠勤が続き、すでに解雇されてしまっている。さらに、K-県までの往復交通費や現地での滞在費などで、キムラさんの乏しい貯えはすでに底をついていたのである。
 事情はわかる。同情もしている。だが――きれいごとだけでは済まないのがお金の話だ。
 現実問題として、キムラさんは4月以降、部屋代を滞納し続けていた。『バーデン-K』での部屋代の発生は実質的に6月分からだが、『バーデン-H』の202号室の部屋代は4・5・6月の計3ヶ月分の滞納となる。ハウスのルールでは、家賃滞納が3ヶ月続けば強制退去と決まっていた。それはもちろん、入居時に説明済みであった。
「――こちらとしても、何も四角四面にルールを適用するつもりはないんですよ。キムラさんの事情はよくわかっているし、ないものを今すぐ払えとは言わない。ただ、どうするかは考えておかないと……」
 ヤマダくんはひどく苦しそうに言った。オーナーとしては当然のことを言っているに過ぎないのだが、なんだか自分が因業大家にでもなったような気がする。おためごかしを口にしながら、自分はキムラさんを追い詰めているだけではないのか……? そんなふうに思えてならなかった。根が生真面目なキムラさんのことだ。こんなふうに同情を示しながら正論を吐くよりも、あからさまに「溜まってる家賃を払ってくれ」と請求されたほうが、かえって気が楽かもしれない……。そんな風にさえ思えた。

「とりあえず、部屋代については待ってもらうことにして――」
 そう口を挟んだのは、向かい合う両者の間に陣取ったサクライさんだった。ヤマダくんとワタナベさんは、思わず女傑のほうを振り返る。顔にこそ出さないが、ヤマダくんの目にはかすかにむっとした色があった。
(……「部屋代は待ってもらう」? それは、あんたが言うことじゃないだろう……?)
 もちろん、待つこと自体に異存はない。だが、それはオーナーである自分か、共同経営者であるワタナベさんが判断することだ。以前はともかく、今のサクライさんはハウスの一入居者に過ぎず、部屋代に関して口を出せる立場ではないはずだ――そんな思いがあった。
(このヒト、案外無神経なところもあるんだな……)
 だが、サクライさんが続けて口にした内容については、ヤマダくんも全面的に同意せざるを得なかった。
「ともかく、キムラさんが収入を得られるようにすることを考えないとね」
 サクライさんは、「仕事」でも「就職」でもなく、「収入」という言葉を使った。それを聞いて、ヤマダくんは、どうやら女傑が彼と同じことを考えているらしいことを察知した。
 手のかかる2歳児を抱えていては、そう簡単に就職は決まらない。せいぜい水商売くらいだろうが、キムラさんのキャラクターを考えるとそれも難しそうだ。だとすれば、可能性がある道はひとつしか思い浮かばない。
 ヤマダくんの脳裏に浮かんでいた言葉を、サクライさんが口に出した。
「ねえ、キムラさん。……生活保護を申請してみたらどうかしら?」

 生活保護といえば、某芸能人の問題が表面化してからというもの、世間ではいわゆる「不正受給」というマイナスのイメージが定着してしまっている。しかし、厚生労働省の調査によれば、生活保護を受給している全世帯のうち、「不正受給」の割合はじつは0.1%にも満たないらしい。残る99.9%以上が正当な受給資格を満たしており、さらに、受給資格を満たしているにもかかわらず生活保護を受けていない世帯はそれ以上に多いという。
 ヤマダくんも、その程度のことは認識していた。というのは、キムラさん母子の家庭の事情を知ったことで、こんなこともあろうかとある程度事前に下調べしていたからである。
「自治体によって、あるいは窓口の担当者によっても当たりはずれがあるみたいだから、絶対確実とは言えないけど――キムラさんの場合、受給できる可能性はあると思うよ」
「そうなの?」
ワタナベさんがやや意外そうにヤマダくんを見る。見直した、という表情だ。
「うん。ちょっと前に一度、調べたことはあるんだ」
 ヤマダくんはそう言ってうなずき、キムラさんに向き直って続けた。
「ただし、その場合、『バーデン-H』の202号室は解約してもらうことになるけどね。居住実態のない部屋を契約していたら申請が通りにくいということもあるし。滞納分はいずれ、余裕ができたら納めてもらうということにして、残っている荷物はこっちへ移して、新たに入居者を募集させてもらうよ。そうすれば、キムラさんは『バーデン-K』の家賃だけ心配すれば済むし、こっちはこっちで次の入居者から家賃が入ることになる」
「そうね。もし、別れた旦那さんから何か言ってきたら、『バーデン-H』は退去してどこかへ引っ越したと伝えるわ。引っ越し先はわからない、ってね。それなら大丈夫じゃない?」
 ワタナベさんが補足する。まあ、半分はウソではないし、そのときにはおそらく、じっさいにそう対応することになるだろう、とヤマダくんは思っていた。それで相手が納得するかどうかはさておき――。
「とにかく、他にこれといってアテがあるわけじゃなし、申請するだけでもしてみたら?」
 サクライさんも言う。いささか無責任な言い方だが、彼女の口から出ると、なんとなく「それしかない」と思えるから不思議だ。

「……そう、ですね………。明日にでもさっそく、役所へ行ってみることにします」
 キムラさんは考え考え、そう応えた。まだ、何が解決したというわけでもないし、役所に申請することになれば、いろいろと気の重い問題も発生するに違いない。それでも、何のアテもないまま、日一日と目減りしていく現金の心配をしているよりはいくらかマシだろう。
 ヤマダくんにしても同様で、家賃滞納問題については何も解決していない。いついつまでに入金すると約束したわけでもないし、次の入居者が決まったわけでもない。キムラさん母子の問題も、これで万事解決というわけではないだろう。
 だが、最悪でも、キムラさんが幼子を抱えて路頭に迷うことだけは避けられるかもしれない――そんな、かすかな希望の光だけは、かろうじて感じられそうな結末だった。
(つづく)

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