第49話 ヤマダくん、懸念する

「……では、改めましてぇ。みなさん、今後ともよろしくお願いしますぅ」
 キャピキャピと甲高い声質で、語尾を少し伸ばすような甘ったるい喋り方――いわゆる「アニメ声」という奴だろう――で、髪の長い20歳前後の若い女性が一同に挨拶する。見るからに天然系、という外見にふさわしいイメージだが、背筋をすっと伸ばしてからゆっくり頭を下げる一連の動作は洗練されて、仕草にだらしのないところはない。
「おお、よろしくね〜」
 応じる声のほうが、逆に育ちの悪さを感じさせる軽薄な声音で、ヤマダくんは思わず声の主をキッと睨みつける。鋭い視線を浴びた声の主――103号室のタケカワくんは、軽く怯えたように肩をすくめてみせた。が、すぐに気を取り直して、何ごともなかったように挨拶した女性に向かって目尻を下げる。
 ヤマダくんの第1号シェアハウス『バーデン-H』のリビングには、お盆休みの最終日の夜とあって、珍しくシェアメイト全員が集まっていた。今夜は、202号室の新たな入居者となったマナセさんの歓迎会だった。

 K-県から幼い子どもを連れて帰ってきたキムラさんが、一連の騒動ののちにヤマダくんの第2号シェアハウスである『バーデン-K』に完全に引っ越すと、それまで彼女が契約していた『バーデン-H』の202号室は空室となった。ヤマダくんたちはただちに新たな入居者の募集をかけ、先日ようやく決まったのがマナセさんであった。『バーデン-H』は男女共用シェアハウスだが、2階は女性専用フロアなので、当然、募集は女性限定である。だが、何を勘違い――あるいは期待(?)――したものか、今回は男性の入居希望者がやたら多く、肝心の女性入居希望者がなかなか現れなかった。女性は女性で、男女共用というハウスに警戒心を持ったのかもしれない。ともあれ、それまで20代後半から30代の社会人女性ばかりだった『バーデン-H』は、ここに開設以来初となる学生の入居者を迎えることになった。
 学生といっても、マナセさんは専門学校の二年生である。生活費はバイトで稼いでおり、ここへ入居する以前は友人とルームシェアでアパートを借りていたというから、自分の面倒くらいは自分で見られるだろうし、他人との共同生活にも抵抗はないだろう――という判断から、ワタナベさんとも相談の上、受け入れを決定したのであった。
 ただ――マナセさんの場合、たんに学生であるという以外にもいささか懸念材料があったのは事実である。

「へぇ〜、声優のタマゴなんだ!」
 タケカワくんがあいかわらず軽薄さむき出しで言う。
「はい。まだまだ駆け出しの未熟者ですけどぉ……」
「じゃあさ、何か演技やってみてよ!」
「えぇ〜? そーゆーのはちょっとぉ……」
「あ、それそれ! なんかイイ感じじゃない!?」
 タケカワくんにしつこく絡まれて、マナセさんは少し迷惑そうだ。とはいえ、完全に突き放すわけでもなく、見ようによっては媚を売っているように見えなくもない。
 ――そう。マナセさんが通う専門学校とは、声優養成学校であり、彼女はアニメの声優を目指しているタマゴなのである。
(うーん――やっぱ、失敗だったかなあ……?)
 ヤマダくんは内心、かすかに後悔の念を覚えていた。今日び、アニメ声優というのは一種のアイドルであり、学生といっても芸能人に近い。マナセさんは20歳を過ぎているものの、見た目は清楚な美少女といった感じだ。若い独身男性とひとつ屋根の下で暮らすのは、やはり、いろいろな意味で差しさわりがあったかもしれない。

「――はいはい、そこまで!」
 手をパンパンと叩いて、ワタナベさんが割って入る。
「タケカワくん、マナセさんをあんまり困らせないでね。これからの人なんだから、私たちシェアメイトとしても応援してあげないと」
 歓迎会の雰囲気を壊さないように、口調こそおだやかだったが、ワタナベさんの目は笑っていない。さすがに空気を読んだか、タケカワくんもその場はおとなしく引き下がった。
「これからオーディションとか、いろいろ大変なんでしょ? マナセさんも、困ったことがあったら遠慮なく言ってね」
「あ、はい。ありがとうございますぅ」
 マナセさんがホッとしたようすで言う。どうやら語尾は演技ではなく、素の口調らしい。天然系のぶりっ子(?)、というのは特に同性に嫌われやすいというが、果たして彼女の反応を周囲はどう見ているのだろうか? ヤマダくんは気になって、彼女を取り巻く先住の女性たちのようすを窺った。
 面接時にも立ち会い、大丈夫と判断したワタナベさんはともかく、他の女性入居者たち――203号室のタバタさん、204号室のスギシタさん、205号室のヨシカワさんは、いずれも微妙な表情を浮かべている。ただでさえ最年少であり、容姿も整っているマナセさんが、ことさら男に媚びているような態度を取れば、年長の女性陣にとっておもしろくないのも無理はない。
 が――。
「ねえ、マナセさん。オーディションって今度の秋アニメから?」
 屈託のない調子で話しかけたのは、203号室のタバタさんだった。
「あ、いえ、そのへんはもうだいたい終わっちゃってますからぁ。来年の冬アニメあたりとかですね」
「そうなんだ。どういうとこ狙ってるの?」
「狙うだなんて……片っぱしから受けてくだけですよぉ。ライバルとかメチャメチャ多いですし、関係者に顔覚えてもらうだけでもけっこう大変なんですよぉ」
「へぇ、来年の冬っていうと、アレとかコレとか……」
「あ、アレ! 私も大好きなんですよぉ。アノ役とか、やれたらいいなって……」
 ――何やらよくわからない話題で盛り上がっている。
 ちなみに、最近のアニメ作品はほとんどが「深夜枠・1クール(=3ヶ月間)」という形式で放映されており、秋アニメは10月から、冬アニメは1月からスタートするらしい。マナセさんが狙っているのは来年1月にスタートする新番組で、今どきは1クールに20〜30本のアニメが制作されているため、新人声優でも実力があればデビューのチャンスが回ってくることもあるという。果たしてマナセさんにその実力があるのかどうかは、門外漢のヤマダくんなどにはまるで未知数だが……。
 どうやらタバタさんは隠れアニメファンだったらしい。見た目はまったくオタク臭くないので、これまでハウス内では尻尾を出さなかったが、マナセさんとの会話は実に楽しそうだ。
 気心の知れたタバタさんのそんなようすを見て、スギシタさんやヨシカワさんも多少引き気味ではあるものの、少なくともマナセさんに対する当初の微妙な雰囲気は薄らいでいる。
(これなら大丈夫……かな?)
 そう思いつつ、ちらりとワタナベさんを見たヤマダくんは、彼女が得意げな笑みを浮かべているのに気づいた。長年の友人だけあって、ワタナベさんはタバタさんの隠れ趣味を知っていたようだ。だからこそ「大丈夫」と太鼓判を捺したのか。
(それはそれとして……)
 ヤマダくんは、おとなしく料理をつついているタケカワくんと102号室のイトウくんに目を移した。どちらも、チラチラとマナセさんの美貌を横目で見ている。
(男連中に対する押さえは、やっぱりおれの役目だろうな……)
 若干の懸念材料を残しつつも――『バーデン-H』の新人歓迎会の夜は、にぎやかに更けていく。
(つづく)

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