第52話 ヤマダくん、しみじみ思う……

「あ、イトウくん。そっちの皿、頼むわ」
 リビングとキッチンをせわしなく行き来しながら、ヤマダくんは、ちょうど通りかかった102号室のイトウくんに声をかけた。
「ふぁああい……」
 あくびまじりの眠そうな返事を返したイトウくんは、ヤマダくんが指さしている物――ダイニングテーブルの上に並べられたオードブルの大皿をひょいと持ち上げる。出来合いの総菜を皿に盛りつけただけだが、レタスの葉を敷き詰めた上にエビフライやポテトフライ、唐揚げや揚げシュウマイなどが香ばしい匂いを上げ、色とりどりのチーズやサラミ、ミニトマトなどが彩りを添えて、なかなか豪勢な雰囲気だ。
「おーい、向こうのグラス、倒さないようにしてくれよ」
 寝不足らしく、足元がやや危なっかしいイトウくんに背中で注意を発しながら、ヤマダくんは、氷水を入れたワインクーラーに冷蔵庫から出した白ワインを3本ほど突っ込む。
「ワインはまだ早いんじゃないの?」
 リビングへ向かうイトウくんと入れ違いに、キッチンの入口から顔だけ覗かせたワタナベさんが声をかけてくる。
「シャンパンは最初の乾杯でおしまいだよ。今年は人数が多いからね」
 よいしょ、と重たいワインクーラーを持ち上げながら、ヤマダくんが応えた。
 ――8帖分の『バーデン-H』のリビングは、その夜、珍しく人であふれ返っていた。ヤマダくん、ワタナベさんをはじめとするいつものメンバー9人が全員顔を揃えているのはもちろん、日頃は見慣れないゲストが7人、もの珍しげに周囲を見回していた――ただし、ゲストのうちの1人は、「いつものメンバー」の大半にとって「見慣れた顔」であったが。
 ソファなどはヤマダくんの個室である101号室に無理やり突っ込み、リビングの中央に足を外したテーブルの天板を2列並べて食卓にし、その上に料理の皿やシャンパンを満たしたグラスが所狭しと置かれている。その周囲に並べた座布団に思い思いに座った一同は、ヤマダくんたちがリビングに入ってきたのを見て、口々に声をかけてきた。
「お疲れさまー!」
「早いとこ始めようぜ!」
 ヤマダくんはワインクーラーをテーブルの脇に置くと、立ったまま自分の席のシャンパングラスを手に取った。そして、注目する一同を軽く見渡してから、おもむろに宣言する。
「えー、たいへんお待たせしました。それでは、『バーデン-H』&『バーデン-K』合同クリスマスパーティを始めたいと思います」
 全員がグラスを手にしたのを確認して、短く続ける。
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス!!」
 一同が唱和し、グラスを合わせる華やかな音がした。

 ヤマダくんとワタナベさんをオーナーとする2軒目のシェアハウス『バーデン-K』との合同パーティは、当初、GW頃に行われる予定だった。だが、K-県地震の発生からキムラさんをめぐる騒動で延期となり、その後も何かとバタバタしていたため、クリスマスになってようやく実現にこぎつけたのである。古民家再生シェアハウスである『バーデン-K』には全員が入れるだけの場所がないので、会場は『バーデン-H』と決まった。
 以前シェアメイトであったキムラさんを除けば、『バーデン-H』側のメンバーは『バーデン-K』の住人を誰も知らない。これは『バーデン-K』側も同様だ。しかも、キムラさんにしても、自分が引越した後で202号室に入居したマナセさんのことは知らない。そこで、乾杯の後はお約束の自己紹介タイムとなった。
「どうも、103号室のタケカワです! 28歳花の独身、現在恋人募集中です!」
「102号室のイトウでーす! 29歳、同じく恋人募集中!」
 まずは、数少ない男性陣が口火を切る。これに女性陣が続いた。
「205号室、ヨシカワです。よろしくお願いします」
「キムラさん、おひさしぶり! 203号室のタバタです。みなさん、今日は楽しんでいってください」
 ――予想通り、用意してあったシャンパンは乾杯だけで空になったので、ヤマダくんはワインクーラーに手を伸ばした。手近な1本を無造作に掴み上げ、布巾で瓶の水滴を拭き取って、いざ開栓しようとしたとき――コルク抜きをキッチンに忘れてきたことに気づく。やれやれと立ち上がろうとすると、隣に座っていたワタナベさんが機先を制した。
「コルク抜きでしょ? 私が取ってくる」
「ん、ありがと」
 いそいそとキッチンに向かう婚約者を見送って、ヤマダくんはちら、と自己紹介の列に視線を移す。ちょうど、「彼女」の順番だった。
「202号室のマナセと言います。はじめまして、よろしくお願いしますぅ」
 初対面の年上の女性が多いせいか、いつもの甘ったるく間延びする口調も今夜は少々控えめだ。そのようすを見るともなしに見ながら――ヤマダくんの脳裏に、ふいに先日の夜の出来事が浮かぶ。

 ……泣きじゃくりなからすがりついてくるマナセさんの肩をそっと抱きながら、ヤマダくんは内心かなりパニクっていた。相思相愛の婚約者がいるとはいえ、ヤマダくんも男。若い女の子と間近に接して、まったくおかしな気分にならなかったとは言い切れない。
 が、さすがにその場では自制が効いた。マナセさんの気分が落ち着くのを待って、ふたりはハウスに戻った。
 翌日になると、マナセさんはけろっとしていた。
 いつものように快活にあいさつし、元気よくバイトに出かけていき、夜にはまた手料理をつくってシェアメイトたちにふるまった。
 やはりあれは、一時的に気持ちが高ぶっていたのだろう――そう判断して、ヤマダくんも何ごともなかったように彼女と接することにした。それでもときどき、ワタナベさんや他のシェアメイトにそれとなく探りを入れたりもしてみたが――少なくとも表面上は、マナセさんにそれまでと変わったようすは見られなかった。

「――3号室のササキです。みなさんのことはキムラさんからよく伺ってます。今夜はお招きいただき、ありがとうございます」
 いつしか、自己紹介は『バーデン-K』側のメンバーに移っていた。ちなみに、『バーデン-K』の部屋番号は階数抜きで1号室から6号室までとなっている。5号室の「もうひとり」の住人の自己紹介には、ひときわ大きな拍手と歓声が起こった。
「キムラアキヒロ、3さい!」
 キムラさんがK-県の元夫の実家から連れ出してきた子どもであった。ヤマダくんも顔を見るのは半年ぶりだ。前に会ったときには母親に抱きついたまま終始無言だったが、さすがに新しい環境にも慣れたのか、今夜は見知らぬ大人たちに囲まれながらもけっこう落ち着いている。プラコップのオレンジジュースを飲み、母親が取りわけた小皿のご馳走をぱくついて、にこにことご機嫌のようすだ。子どもの成長は早いということもあるが、良い環境ですくすく育てられていることが感じられた。
「アキヒロくんね、今、K-駅前の保育所に通ってるんだよ」
 キッチンから戻ってきたワタナベさんが、コルク抜きを手渡しながら言う。
「キムラさんもさ、先月から駅前のスーパーで働きはじめたし……」
 1号室のサクライさん――『バーデン-K』の元オーナーでもある――がそう補足する。この席では当然最年長になるが、初対面の『バーデン-H』側のメンバーともけっこう気安くやりとりしている。あいかわらずの堂々たる女傑ぶりだ。キムラさんが『バーデン-K』へ移る際には、この女傑にもいろいろ骨を折ってもらったものだ。
「――でも、いつまでもスーパーのレジ打ちってわけにもいかないし。アキヒロが小学校に上がるまでには、元の仕事に戻れるように、最近また勉強もはじめたんです」
 キムラさんも笑顔で言う。たしか、彼女の前職はプログラマーだったか。何年もブランクがあると再就職は厳しいと聞くし、長時間勤務の多い職種では子育ても難しいに違いない。だが、そんな困難も、愛する息子といっしょに暮らしていくためなら、何でもないことなのかもしれない。
(今年もいろいろあったけど……なんだかんだで、いい年の瀬を迎えられそうだなあ)
 しみじみと、そう思いながら――ヤマダくんは、ワインの栓に突き刺したコルク抜きをくい、とひねった。
(つづく)

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