第55話 ヤマダくん、モヤモヤする……!

「…………なるほど。お話は、よくわかりました――」
 迷いを感じさせるしばしの沈黙ののち、ヤマダくんはやっと、それだけを口にした。
「ホントに申し訳ありません。私たちの目が届かなくて……」
 黙り込んでしまったヤマダくんに代わって、ワタナベさんがすまなそうに言葉を補う。目の前にいる相手の憤りが、彼らに向けられているのではないことは承知していたが、それでもやはり、謝らずにはいられない気持ちだったのだ。
「あ、あの………私、別におふたりに対して腹を立てているわけじゃ……」
 案の定、というべきか――ヤマダくんとワタナベさんのそれぞれのようすを見て、相手は少し困惑したような表情を浮かべた。
「わ、私としてはですね、とりあえず、こちらの状況をおふたりにもわかっていただいて、できればそれなりに対応していただけたら、と……」
 しどろもどろに口にする、その言葉こそが、ヤマダくんたちが「状況をわかっておらず」「これまで何の対応もしてこなかった」という事実を指摘し、告発するものにほかならなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
 気まずい沈黙が支配する中、ヤマダくんとワタナベさんは目の前の相手――彼らの所有する2軒目のシェアハウス『バーデン-K』3号室のササキさんの顔を改めて見つめていた。

 ヤマダくんたちが『バーデン-K』を開業してから、早くも1年以上が過ぎていた。
 開業にこぎつけるまでには紆余曲折があり、一筋縄ではいかない苦労もあったのだが、じっさいに開業してからは、直後に起こったK-県地震とそれを発端としたキムラさん母子の騒動――これにはのちのち『バーデン-K』も関係してくるが――さらに、秋口からは『バーデン-H』の202号室に入居した声優志望のマナセさんをめぐる騒動などに振り回され、ヤマダくんは、せっかく開業した2軒目のシェアハウスのことを思い出すヒマがほとんどなかった。もちろん、忘れていたわけではないのだが、『バーデン-K』の前身となったシェアハウスの元オーナーにして、現在は1号室の住人でシェアメイトリーダーを務めるサクライさんにほぼ丸投げ状態になっていたのである。
 言い訳するわけではないが、サクライさんは任せるに足る経験と人望を持った女傑であったし、『バーデン-K』の入居者は“出戻り”が多く、サクライさんのことは旧ハウス時代からよく知っていた。3号室のササキさん自身も、サクライさんがハウスを畳むと聞いて一度は退去したものの、オーナー交替でハウスが存続することが決まって再入居してきたクチである。一度引っ越したのをわざわざ戻ってくるくらいだから、いかにオンリーワン物件である古民家再生シェアハウスとはいえ、よっぽど気に入っていたということだろう。そういう古なじみのメンバーばかりのところへ、なまじ、最近替わったばかりのオーナーが顔を出しては、お互い気まずかろうという遠慮もあった。それでついつい、『バーデン-K』に関することはサクライさんに任せきりにしてしまっていたのだが……。
 ――つい先月、『バーデン-K』の新装開業1周年記念のパーティが開かれ、オーナーであるヤマダくんたちも招待された。そもそも、オーナーが主催者側ではなく、招待客扱いということからしてモヤモヤするヤマダくんだったが――それはまあいい。パーティの間中、ササキさんが何やらもの言いたげにチラチラ視線を向けてきたことには、ヤマダくんも気づいていた。だが、パーティ終了後、ササキさんが突然、思いつめた顔で話しかけてきたのには、正直なところかなり驚かされた。
「――近いうち、どこかでお時間つくっていただけますか……?」
 聞きようによっては意味深なセリフであり、見ようによっては思わせぶりな態度ではある。だが、婚約者であるワタナベさんを同伴しているヤマダくんに、わざわざその場でモーションをかけてくるはずもない。
「そりゃ、構わないけど……もし緊急の用件だったら、この後すぐでもいいですよ?」
 不吉な予感を覚えつつ、ヤマダくんがそう提案すると、ササキさんは、別に緊急というわけでもないから、と言葉を濁した。それで、その場ではヤマダくん&ワタナベさんとアドレスを交換――今まで、そんなことさえもしていなかったのだ――しただけで別れたのだが……。
 パーティから2週間ほどして、ようやくササキさんが連絡してきたのである。彼女は「ハウス(=『バーデン-K』)に関して、相談したいことがある」とだけ言って、それ以上は何も口にしなかったが――それだけでも、良い話ではないことはわかるものだ。
 まず十中八、九、入居者同士のトラブルだろう、とヤマダくんは予想した。それも、シェアメイトリーダーであるサクライさんではなく、わざわざ外部のオーナーであるヤマダくんたちに相談してきたということは……。
 考えられる可能性は3つある。
 ・サクライさんが、トラブルの相手に味方している場合
 ・サクライさん本人がトラブルの相手である場合
 ・トラブルの相手を特定できず、サクライさんも容疑者(?)である場合
 これらのケースでは、まさかサクライさんには相談できないだろうから、ヤマダくんたちに相談してきたとしても理解できる。ただ、が「誰と」「どんなことで」トラブルになっているのかは、話を聞くまえは見当もつかなかった。

「じつは……話というのは、キムラさん――というか、正確にはアキヒロくんのことなんです」
 約束の時間ぴったりに、ヤマダくんが指定したK-駅前のファミレスに現れたササキさんは、開口一番そう話を切り出した。
いきなり“アキヒロくん”という固有名詞が出てきて、一瞬とまどったヤマダくんだったが、すぐに理解が追いついた。キムラさんがK-県の元夫の実家から連れてきた子どもだ。たしか、今年3歳になるはずだった。
「アキヒロくんが……何か?」
同席していたワタナベさんが先を促すと、ササキさんは、ポツリポツリと語り出した。
『バーデン-K』にキムラさん母子がやってきたのは昨年6月――オーナーのヤマダくんとリーダーのサクライさんの世話で入居してきたということもあり、ササキさんたち他のシェアメイトは当初からやや敬遠気味であったという。
「もちろん、キムラさんたちの事情はあらかじめ聞いてましたし……同情とかいったらアレですけど、少しでもフォローできたら、とは思ってたんですが……」
 言いにくそうに、ササキさんが漏らす。
 ――要は、オトナの共同生活の場であるシェアハウスに2歳児が闖入したことで、さまざまなストレスが生じている、ということらしい。
 慣れないうちこそ、借りてきた猫のようにおとなしかったアキヒロくんだが、今やワガママ放題。ちょっと気に喰わないことがあると夜中でも辺り構わず大声を出したり、他人の私室へずかずか入ってきたりするのだという。
ハウスはその名の通り、入居者にとっての「我が家」である。誰だって、我が家にいるときくらいはくつろいでいたいものだろう。だが、そこをよその小さな子どもが徘徊していることで、常に余計な緊張を強いられることになる。
ただでさえ、2〜3歳くらいの子どもというのは、ちょっと目を離すと、すぐに危険なモノに触ろうとしたり、危険な場所へどんどん行ってしまったりするものだ。
「特にうちの……『バーデン-K』は造りが古いですから、危ないモノがそこらじゅうにあるので、気の休まるヒマもないんです……」
「なるほどね……」
ササキさんの言葉に大きくうなづいて見せながら――ヤマダくんはふと、この場には直接関係のない思いにとらわれていた。
(――今、『バーデン-K』という名前がすんなり出てこなかったようだけど……1年以上経つのに、ササキさんは未だに『バーデン-K』の名になじみがないんだろうか……?)
 だが、その思いはいったん押し殺し、ヤマダくんは別のことを訊ねてみた。
「で……その話、サクライさんには相談してみましたか?」
「え? はい………でも……」
 またも歯切れが悪くなるササキさん。その表情でおおよその察しはついた。念の為確認したところ、案の定――サクライさんは100%キムラさん側に立っていて、ササキさんたちには一方的にガマンを強いているのだという。
「子どもはね、コミュニティ全体で育てなきゃいけないの。昔は、地域の子どもは地域ぐるみで面倒見てきたもんよ。今じゃそんなこと絶対ムリだけど……せめて、ここだけでも、そういうコミュニティにしていきたいと思わない?」
 そんなことまで言っているらしい。
この言葉を聞いて――さすがのヤマダくんも、表情を曇らせるのだった。
(つづく)

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