第56話 ヤマダくん、談判する!

 重苦しいような沈黙が、広間を支配していた。
『バーデン-K』のリビング――中央に掘りごたつが設えた、12畳敷きほどの板の間である。古民家再生シェアハウスに特有の、冬場は暖かく夏場はひんやりと居心地の良い空間だったが、この日は、外が季節外れの真夏日だったせいもあってか、中は室温以上に冷えびえと感じられた。
 長方形をした掘りごたつ――もちろん、カバーは外してある――の向かい合う長辺に、4人の男女が腰を下ろしていた。一方は言うまでもなく、ハウスのオーナーであるヤマダくんとワタナベさんが並んでいる。その正面には、ふたりの女性がやはり並んで座っていた。ひとりはもちろん、ハウスの元オーナーであり現在はシェアメイトリーダーである1号室のサクライさんだ。だが、心持ちスペースを空けて彼女の隣に座っている4人目の人物は、この『バーデン-K』内ではちょっと見慣れない、30代くらいの女性だった。
「…………」
「…………」
 ヤマダくんも、サクライさんも――お互い、口を開きかけては言葉を飲み込むと、困ったようにチラチラと4人目の女性の方に目くばせする。しばらく、そんな無言のやりとりが続いたのち――彼女は呆れたように声を発した。
「……どうしたんですか、皆さん? 話し合いをされるというので、こうして立ち会いを承諾したのですが……?」
 ヤマダくんが第1号シェアハウス『バーデン-H』の立ち上げ当初からお世話になっている管理会社のオオシマ女史が、いつものように淡々とした口調で言った。

 ヤマダくんたちのところへ、『バーデン-K』3号室のササキさんが相談を持ちかけてきたのは、かれこれ1ヶ月以上も前のことになる。ササキさんの相談とは、元『バーデン-H』の住人であり、複雑な家庭の事情から1年ほど前に『バーデン-K』の5号室へ移ったシングルマザーのキムラさんと、3歳になる彼女の息子アキヒロくんのことだった。ササキさんはさらに、キムラさん母子への対応をめぐって、シェアメイトリーダーであるサクライさんと他の住人の考え方に著しい温度差があることにも悩んでいた。
 ササキさん本人は「緊急のことではない」と言っていたが、ヤマダくんたちはこれを、ただちに対処しなければならない問題だと感じた。そこで、この機会に一度キッチリ話をつけておかなければ、と意気込んでいたのだが――この日の、この話し合いの席を設けるまでには、予想もしていなかったさまざまな困難があったのである。
 まず、「誰と、何について話し合えばいいのか?」――この基本中の基本、大前提の問題からして、ヤマダくんにはとっさには判断できなかった。
(……話し合いというのは本来、当事者同士で行うものだ。部外者はあくまでオブザーバーに止まるべきだよな。じゃ、この場合の当事者って誰のことなんだ?)
(ササキさんと……キムラさん? それとも、サクライさん? だけど、この件でササキさんとキムラさんを対決させても何の解決にもならないしなぁ……)
(なら、ササキさんとサクライさんか? それとも、『バーデン-K』のすべての入居者を集めるべきかも? うーん、でもなぁ……)
 考えているうちに混乱してきたヤマダくんは、ワタナベさんとも相談をくり返したのだが、なかなか考えがまとまらない。
そこでひとまず、ササキさんにしばらくの間だけでも『バーデン-H』へ移ってもらったらどうか? というアイデアがワタナベさんから出た。
「こっちは202号室がまだ空いているし……ササキさんにしても、環境が変われば少しは気分転換になるんじゃない?」
 そういうワタナベさんの意見を聞いて、それは名案だと手を叩いたヤマダくんだったが――あいにく、この提案はササキさんには受け入れられなかった。
「だって、そちらのハウスからだと通勤に不便ですし……そういうことをお願いしたかったんじゃないんです」
 ササキさんはあくまで、『バーデン-K』に住んだままで、今の環境を改善したいというのである。そう言われてしまったら、その場しのぎの提案は引っこめざるを得ない。
 次に、ヤマダくんたちが考えたのは、「他の入居者も同じように感じているのか、それともササキさんだけが例外なのか?」ということだった。ワタナベさんを通じて、キムラさんサクライさん以外の入居者の本音をリサーチしてみた結果――やはり、彼女たちも多かれ少なかれ、アキヒロくんの扱いをめぐるサクライさんの方針には不満を覚えているようだった。
「あたしだって、何もアッくんが迷惑だなんて思ってないのよ? 夜中に大声でグズってたりしたら、そりゃあさすがにイラっとくることもあるけどさ……。ただね、サクライ姐さんが言うみたいに『ハウスぐるみで世話するべき』っていうのは違うと思うの」
 そう証言したのは、4号室のミゾグチさんである。アキヒロくんを「アッくん」、サクライさんを「姐さん」と呼ぶなど、ササキさんよりフレンドリーで周囲との距離感を感じさせない話し方をする彼女も、内心ではやはり困惑しているようだ。
 では、ミゾグチさんは何に困惑しているのか――と考えたとき。
 ヤマダくんはようやく、この問題の「当事者」が誰なのかを理解したのであった。

「……サクライさんはいい人だと思うし、頼りになる。『バーデン-K』については我々なんかより、ずーーーっとよく知っている」
「うん……」
「……それでも、さ。この件で一番重大な問題はサクライさんにあると思うんだ」
「そう、かもね……」
 ヤマダくんとワタナベさんは、最終的にそういう結論に落ち着いた。
 サクライさん自身が個人的に、キムラさんの子育てに協力するのは何の問題もない。むしろ、こっちからお願いしたいくらいだ。しかし――シェアメイトリーダーという立場で、それを他の入居者にも押しつけるなら大問題だ。本人に押しつける気がなかったとしても、周囲はそうは受け取らない。何といっても正論には反対しづらいし、リーダーの方針に異を唱えればハウス内の空気が悪くなる。けっきょく、モヤモヤを抱いたまま泣き寝入りするしかなくなってしまうのだ。
 サクライさんとは長い付き合いのササキさんまでがそう思っているのだから、事態はかなり深刻である。このまま放置すれば、いずれ決定的な対立が起こり、サクライさん以外の入居者が全員出て行ってしまうこともあり得ない話ではない……。
 ヤマダくんたちは、なるべく早急にサクライさんに談判しなければならないと考えた。そこで、とにもかくにも彼女と話し合いの席を設けることにしたのだが――どういうメンバーで話し合うかでまた頭を悩ませることになる。
 ヤマダくんとワタナベさん、サクライさんという3人では「2対1」という構図になってしまう。誰かもうひとりその場にいて欲しいところだが、ササキさんにしても、キムラさんにしても、この件については直接的な利害関係がありすぎて、同席者にはふさわしくない。できれば、公正中立な第三者の立会人が欲しい……。
 ――そこで白羽の矢が立てられたのが、管理会社のオオシマ女史だった。

「……こういうのは非常にデリケートな問題なのですが、それだけに思っていることは全部吐き出して、お互いにしこりを残さないことが肝心です。では、ヤマダさんの方から、今回の問題提起をしていただきます」
 冷静沈着なオオシマ女史の言葉に背中を押されて、ヤマダくんはすっと息を吸ってから、ゆっくりと語り始めた。
(つづく)

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