第58話 ヤマダくん、覚悟を決める!

「……そりゃまあ、あんたら当人の気持ちが一番大事なんだけどさ」
 そう言って、聞こえよがしなタメ息をひとつ。
「正直、あたしはあんまり賛成できないねぇ……」
 背中を向けたままそこまで言うと、くるりと振り向く。手にしたお盆には、冷たい麦茶を満たしたグラスがふたつ、載っている。お盆ごとちゃぶ台に置くと、グラスの一方をヤマダくんの目の前に突き出しながら、
「…………で? 先様のご両親は何ておっしゃってるのさ?」
 いい加減なごまかしを許さない口調で、母親はヤマダくんに向かって言った。

 千葉県内陸部にある、ヤマダくんの実家である。普段から何かと口喧しい母親を敬遠して、ここ数年は正月に日帰りで顔を見せる程度のつきあいになっていたヤマダくんだが、さすがに、真剣に結婚を考えるようになると、親と相談しないわけにもいかなかった。
 ヤマダくん自身は、婚約者のワタナベさんのご両親とはすでに何度も顔を合わせているし、特に未来の義父であるワタナベ氏とは、シェアハウス第1号物件『バーデン-H』の開設前からのビジネスパートナーだ。
 だが、その一方で、ヤマダくんの両親とワタナベさんとはまだ直接顔合わせもしていない。一応、ヤマダくんの口からカンタンに報告だけは済ませていたものの、そもそも肝心のヤマダくん本人からして実家にほとんど寄りつかないものだから、母親としては相当ヤキモキしていたに違いない。
 そこで、今年の盆休み期間を利用して、実家の両親に婚約者を紹介し、遠からず両家の顔合わせを、と考えていたヤマダくんだったのだが……。
 ――ワタナベさんは、「さらにその一歩先」を考えていたのであった。

「……結婚しても、シェアハウスに住み続けるってぇ!?」
 ヤマダくんにしてみれば、この婚約者の発言は、まさしく青天の霹靂であった。
「ええ。前からずっと考えてたの」
 ワタナベさんは落ち着き払って応えた。
 ――話は1ヶ月ほども前、ふたりが共同経営する2軒目のシェアハウス『バーデン-K』での一連のゴタゴタが解決した直後にさかのぼる。話の流れから、「子どもが欲しい」と言いだしたワタナベさんに対して、ヤマダくんが結婚について切り出そうとしたとき――。
 ワタナベさんの口から、いきなり「結婚してもシェアハウスに住み続けたい」という宣言が飛び出したのであった。
「で、でも、子どもができたら……?」
「もちろん、生むわ」
「う、生むって……ここで!?」
「そう。正確には、“ここ”になるかどうかはわからないけど……」
 ワタナベさんはそう言って、未来へ思いを馳せるようにそっと目を閉じた。
「この『バーデン-H』は、やっぱり独身者向きだもの。……できれば、カップルで住んで、子どもを生んで、一緒に育てていけるような、新しい『バーデン-シリーズ』を立ち上げることができたら、とも思うのよ」
「………………」

 なんてこった――というのが、そのときのヤマダくんの偽らざる本心だった。
 結婚にしても、子づくりにしても、それ自体は望むところだ。だが、「シェアハウスに住みながら……」ということはまったく想定していなかった。結婚後の生活についてワタナベさんと突き詰めて話したことはなかったが、なんとなく漠然と「結婚したら、とりあえず適当なアパートか賃貸マンションにでも引っ越して、何年かしたら『バーデン-H』をリフォームして自宅に……」という将来像を思い描いていた。シェアハウス経営についても、そもそもスタートの時点では、家賃収入でローンの返済や将来のリフォーム費用を貯金するため――そんな、なんというか、言ってみればバブル時代の“腰かけOL”みたいな意識がなかったとは言えない。すべて自腹、つまり本業だけの稼ぎでローンを返済するのはいろいろ厳しいから、足りない分は家賃収入で賄おうという発想に近かった。
 もちろん、そうは言いながらも、『バーデン-H』を開業してまる5年、2軒目の『バーデン-K』を取得してからでも1年半近く経つ。その間、ヤマダくんの意識にも、さまざまな変化が起こっていた。
(――シェアハウス経営って、意外とおもしろい……)
 その想いは、間違いなくヤマダくんの中にあったし、
(3軒目、4軒目と、もっともっと不動産投資を続けていきたい……)
 そんな“野心”めいたモノさえ芽生えていた。
 言うまでもなく、投資とは一種のギャンブルである。株式やFXであれ、リートや実物不動産であれ、「一定の資金を投資して、投資額以上のリターンを期待する」という点ではギャンブルに違いはない。ヤマダくんがまだシェアハウス経営を始める前、一時期趣味としていた競馬や、あるいは宝くじなどと比べても、本質的には大きな差はないと言っていい。
 ヤマダくんにとって、シェアハウス経営はあくまでビジネスだという認識があった。結婚後の生活――すなわち、プライベートとは完全に切り離して考えていたのである。
 しかし――ワタナベさんの「結婚してもシェアハウス」宣言は、そんなヤマダくんの考え方に一石を投じた。ビジネスとプライベート、あるいは「お金を稼ぐ手段」と「お金の使い道」をきっちり分ける、という考え方の基本には変化はないものの、「結婚後の生活の基盤をどこに置くか?」という選択肢のひとつに、シェアハウスを加えてもいいのではないか――という可能性を考慮しはじめたのである。

 ちょうどその頃、メディアを通じて「子育てシェアハウス」という試みが話題になっていた。シェアハウスオーナーのはしくれとして、一応、業界内のトレンドの変化にはアンテナを伸ばしていたヤマダくんだったが、初めて「子育てシェアハウス」について耳にしたときには、必ずしも肯定的に評価していたわけではなかった。
「実験的な試みだというけれど、実験として育てられる子どもとしてはどうなんだろうか……?」
 折しもつい先日、シェアハウスで幼い子どもを育てるのは、いろいろと問題があるということを思い知らされたばかりである。シェアハウスで子育てするには、入居者全員が納得していなければならない。
 たとえば、このまま『バーデン-H』に住み続けるとして、ここで子どもを生んで育てるという場合――今の入居者たちであれば、あるいは納得してくれるかもしれない。数ヶ月から数年単位でひとつ屋根の下で暮らし、お互い気心の知れた関係だからだ。しかし、今後、入居者が代替わりしていったとき、皆が皆納得してくれるとは限らなかった。シェアハウスというものが「都合が悪くなったら、いつでも出て行ってかまわない」ゆるやかなコミュニティである以上、その可能性は常に想定しておかなければならない。
 では『バーデン-K』ならどうか? こちらは、キムラさん母子という子育て世帯がすでに入居しているが、個々の人間関係で言えば、『バーデン-H』ほど気心の知れた関係とは言えない。それに、何と言っても女性専用シェアハウスであり、男であるヤマダくんがずかずか入っていってすんなり馴染むことができるかどうかはわからなかった。やはり、「シングルマザーの受け入れ」と「子育てカップル世帯の受け入れ」では事情が違うだろう。
 だからこそ――ワタナベさんの言った「新しい『バーデン-シリーズ』を立ち上げる」という発想は、ヤマダくんにとって新鮮な衝撃だったのである。
「子育てカップル向けの、新しい『バーデン-シリーズ』か……!!」
 それは、ふたりの結婚に向けて乗り越えるべき新たなハードルでもあった。物件探しや資金調達、その他こまごまとしたやるべきことは山ほどある。ごく普通に、新生活を賃貸か何かでスタートすれば、それらはすべて「しなくてもいい苦労」のはずであった。だが……。
「…………いいな、それ」
 大きく一度頷くと、ヤマダくんはゆっくりと言った。覚悟を決めた声音であった。
「3軒目のシェアハウス。おれたちの家を……つくるんだ」

 ――かくして。
 冒頭の、ヤマダくんと母親の会話へとつながるわけである。
 これに先立って、母親の言う「先様のご両親」、つまりワタナベ夫妻との話はすでに済ませてあった。ワタナベ氏はさすがにベテランの不動産オーナーだけあって理解が早かったが、夫人の方は初めて聞いたときには難色を示したものだった。ヤマダくんとワタナベ氏のふたりがかりで説得したものの、やはり、女親としては心配もあるのだろう。
「………大丈夫だよ、母さん」
 内心の不安は無理に押し殺して――ヤマダくんとしては、力強くそう答えるしかなかった。
(つづく)

ログイン

ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失


シェアハウス大家さん
倶楽部(無料)

シェアハウスで不動産投資に踏み出すサラリーマンやOLの皆様を応援する会員制プログラムです。ご登録いただくと各種不動産投資情報やサービスを無料提供致します。
入会申込(無料)