第59話 ヤマダくん、感激する!

「その……、こんなことを申し上げるのはたいへん心苦しいのですが……」
 いつになく――というよりも、それなりに長いつきあいであるヤマダくんが初めて耳にする、妙に歯切れの悪い言い方だった。
「今回のお話……私どもでは、あまりお力になれないかもしれません……」
「え……それって、どういう…………?」
 予想外の相手の反応に、思わず問い詰めるような口調になってヤマダくんは言った。
「てっきり、いつものようにご協力いただけるものと期待してたんですけどねぇ……」
 幾分かの未練がましさと恨めしさの感じられる声音で、なおもそう言い募る。だが、相手の回答を覆すことはできなかったようだ。
「……もちろん、とてもユニークな発想だと思いますし、私としても、個人的にはできるだけお手伝いさせていただきたい、とは思っています。ですが……」
 そこでいったん、言葉を切って――相手は申し訳なさそうに目を伏せ、先を続ける。
「残念ながら、私どもの会社はそのための有効なノウハウを持ち合わせていないのです……」
 ヤマダくんたちが経営するシェアハウス『バーデン-H』および『バーデン-K』の管理を委託している管理会社の担当であり、ヤマダくんにとっては『バーデン-シリーズ』立ち上げ以前からお世話になっているオオシマ女史は、珍しく気弱な口調でそう言うのであった。

 ――管理会社の応接室。ヤマダくんにとってはもはやお馴染みのスペースである。
 その日――ガラス張りのテーブルを挟んで、ヤマダくんとオオシマ女史はソファに向かい合っていた。
 ヤマダくん恒例の“困ったときのオオシマ参り”であった。
「結婚しても――子どもができても――これからもずっと、シェアハウスで暮らしつづけたい……!!」
婚約者のワタナベさんにそう宣言され、ヤマダくんもついに肚をくくった。
 前例は……ほぼ、ないと言っていいだろう。一応、「シェアハウスに住まいながらの結婚・出産・子育て」に実際に取り組んでいる人たちの事例は、ブログなどで報告されてはいる。それに、表にわざわざ出てこないというだけで、他にもそういうことをしている人間は「何人も」いるに違いない。逆に言えば、「ゼロではなく、何人かはいる(かもしれない)」という程度だろう。さすがに、今の日本国内に「何百人」とか「何千人」もいるなどと言うつもりはヤマダくんにもなかった。もっとも、海外まで含めればそれこそ「何十万人」というオーダーでいるのだろうけれど……。
ともあれ――実際の数字がどうだとか、あるいは「多いから」「少ないから」どうだこうだという発想はヤマダくんにはなかった。ただ、完全に前例のない取り組みだとすれば、それはそれで不安材料ではある。
 そこで、オオシマ女史に状況を報告しつつ、相談を持ちかけたわけだったのだが……。
 これまで、不良住人の追いたてやら、人間関係の調整テクニックやら、ヤマダくんが突然持ち込んできた数々の問題を、オオシマ女史は慌てず騒がず、沈着冷静に最適解をひもとき、快刀乱麻を断つ切れ味でヤマダくんたちの悩みや迷いをズバッと解消してくれたものだった。そのため、ヤマダくんは、かなり早い段階から彼女に全幅の信頼を寄せていたし、協力を要請すれば必ず協力してもらえるものだと期待していた。というより、話をする前から協力を得られるものと決めてかかっていた。
 それはもちろん、ヤマダくんにしても、管理会社のサービスに「子育てカップル向けシェアハウス」という出来合いのメニューがあって、レシピ通りにやれば必ず成功する――などという都合のいい展開を期待していたわけではなかった。せいぜい、過去のケーススタディに基づく注意事項やアドバイス、それにおススメの物件情報でもあれば上出来、と思っていたのだが……。
 オオシマ女史の予想外につれない対応に、ヤマダくんはいささか戸惑っていた。

「ヤマダさんもご存じだと思いますが……少し前、子育てシェアハウスのブログが話題になったことがありました。……でも、その後、どういう騒ぎになったか……?」
「たしか……批判が殺到して炎上したんですよね」
 ネット炎上といえば、インターネット社会に生きる現代の我々にとって、しばしば致命的なダメージをもたらす。最近では、炎上を逆に利用して短期間で一気に知名度を上げる「炎上マーケティング」などの手口も登場しているが、実際に知名度が上がったとしても悪評でしかない場合も多く、さらに売名目的であることが見透かされれば好感度は回復不能なレベルまで下がるから、マーケティング手法としてはきわめてリスキーとされている。
つまり、話題づくりを狙ってわざと炎上させたわけではなく、当人たちにとってはまったく予想外の炎上だったことになるが……。
「でも……」
ヤマダくんは、しかし、なおもしぶとく食い下がった。
「あの騒ぎのとき、ブログのライターが公式にコメントしてましたけど、どれだけ批判が殺到しても『すべて貴重なご意見として参考にさせていただきます』という調子で、まったく動じてませんでしたよね? その後も、何ごともなかったようにブログの更新を続けてるみたいですし、世間じゃもう、騒ぎのあったこと自体忘れてますよ」
「おっしゃる通りです。当人たちが自己責任でやっている以上、傍でどうこう言うのも余計なお世話だと私も思います。……ただ、私どもの会社の中に『リスクはできるだけ減らしたほうがいい』という声があるのも事実です。『万一、トラブルにでもなったとき、ウチが管理責任を問われるようなことは絶対にするな』ということです」
(ああ……なるほど! そういうことを言ってたわけだ。……うん、それならわかる。ちょ〜っと、ぶっちゃけ過ぎだけど……)
 オオシマ女史の言葉に、ヤマダくんははじめて全面的に理解を示した。
 管理会社もビジネスでやっているわけだから、リスクはでいるだけ避けなければならないだろう。前例がなければノウハウもないのだから、トラブル発生時の対処法も確立していない。そもそも、シェアハウスは「単身者の集合住宅」であって、ハウス内での男女交際さえ原則的に禁止しているところも少なくない。「入居者同士でつきあってもいいが、その場合は退去してもらう」というのが半ば暗黙のルールになっているところも多いと聞く。
 それ自体は悪いことではないとヤマダくん自身も思う。つきあったり、別れたりするだけで人間関係がゴタゴタするし、そうなると一緒に暮らしていて楽しくない。居心地が良くないハウスには人は居つかないからだ。
「つまり、やりたければ自己責任でどうぞ、ということですね……?」
 やや意地悪く、ヤマダくんが念を押す。
「そうは申しませんが……そのくらいの覚悟は必要だと思いますよ」
 オオシマ女史は、ヤマダくんの目をまっすぐに見返して応えた。

(やれやれ……とにかく、これでまたひとつ、厄介ごとが増えたみたいだな――)
 言葉には出さず、ヤマダくんは深々とタメ息をついた。
 新たな、そして第三の『バーデン-シリーズ』となるべき、「子育てカップル向けシェアハウス」計画は、まだスタートしてもいないうちから、暗礁に乗り上げようとしていた。
 もっとも、資金調達のメドもついてないし、まだ物件探しを始めてもいないのだから、今のうちなら頓挫しても傷も浅くて済む。せいぜい、ワタナベさん一人を説得する苦労があるくらいのものだ。にもかかわらず――。
 ヤマダくんの胸裡に、言い知れぬモヤモヤ感があった。
(だけど――このまま諦めるのも何だかなあ…………)
 自分たちの子どもを、シェアハウスで育てたい。
 婚約者からそう告げられたとき、ヤマダくんにも一瞬、その将来像のビジョンが見えたような気がしたのだ。
 楽しそうだ、と思った。
やってみる価値がある、と感じた。
そして、自分たちならそれができる、と理由もなく確信していた。
「………覚悟なら、できてます」
 しばしの沈黙ののち、ヤマダくんはオオシマ女史にそう言った。
「どうもありがとう。また相談させてください――」
 軽く頭を下げて、立ち上がろうとするヤマダくんを、
「まあまあ、ちょっとお待ちなさい」
 オオシマ女史が先刻までとは一転して、妙にフレンドリーな口調で呼び止める。
「…………?」
「会社としてはお力になれることはありませんし、ノウハウがないのも本当です。……でも、私が個人的にお手伝いできることがないとは言いませんよ」
「………え?」
「なんだかんだで狭い業界ですからね。『子育てシェアハウス』についてもいろいろ情報は入ってきますし、物件探しとか、銀行ローンなんかについても、ご相談やアドバイスくらいならさせていただきますから……」
 オオシマ女史はこともなげに言う。ヤマダくんにとっては願ってもない話だった。
「……でも、いいんですか? 会社のほうは……」
「お気遣いなく。『バーデン-H』『バーデン-K』は引き続き当社の管理受託物件ですから、そのオーナーであるヤマダさんの相談に応じるのは私の仕事のうちです。それに……」
 そう言って、オオシマ女史はちょっとだけおかしそうな表情を浮かべる。長いつきあいのヤマダくんも初めて見る笑みだった。
「別にサービスってわけでもないんですよ。ヤマダさんたちの苦労の成果を盗んで、『子育てシェアハウス』のノウハウをちゃっかりいただいてしまおうという計略ですから……」
 そんな、ホンネとも、照れ隠しともつかないオオシマ女史の言葉に――ヤマダくんは思わず、目頭に熱いものを覚えていた。
(つづく)

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