第60話 ヤマダくん、タメ息をつく……

「今日も、冷やかし半分の問い合わせモドキが1件だけ……。あとはまあ、例によって例のごとし……か」
 ノートパソコンのモニタから顔を上げながら、疲れ切ったようにヤマダくんがボヤく。
「――クレーム?」
「……ってほどでもないよ。まあ、『ナニ考えてんだお前ら!?』みたいな、上から目線のお説教がほとんどかな」
 ワタナベさんの問いに、ヤマダくんは肩をすくめて答えた。キーをちょんと叩いて問い合わせフォームを閉じると、このためにわざわざ新設した専用Webサイトのトップ画面が表示される。ことさらSEO対策はしていないが、登録しているいくつかのシェアハウス系ポータルサイトとヤマダくん個人のFacebookやTwitterなどのSNSにリンクを貼りまくったせいで、訪問件数を示す足跡だけは順調に伸びている。
 だが、実際にサイトを訪れる者の大多数は、「ただ、叩きたいだけ」の連中だった。
「やっぱ、物件探しを先に進めたほうが良かったんじゃないか?」
 うんざりした口調でヤマダくんがつぶやくと、
「でも、これってオオシマさんのアドバイスでしょ? 『先に同志を募れ』って――」
 ワタナベさんはたしなめるように言った。ヤマダくんは力なくうなずき、ふたたびパソコンのモニタに目を落とす。シンプルだが、それなりにセンスの感じられるデザインのトップ画面には、タイトルとして次のような文字列が表示されていた。
「シェアハウスで結婚!? 子育てもシェアハウス!! 仲間になってくれる人、募集中!」

 ――早いもので、ヤマダくんとワタナベさんが婚約してから、かれこれ6年近くになる。学生時代からの付き合いというならまだしも、お互い社会人になってから付き合い始めたことを考えると、この年数はさすがに長い。ギリギリ20代だったヤマダくんもすでに30代半ば、新卒だったワタナベさんも20代後半で、いい加減身を固めてもいい年だ。それぞれ相手の実家への挨拶は済ませているし、いつ籍を入れても何の問題もない。
 経済的に困っているというわけでもなく――2軒経営しているシェアハウスはどちらもまだローンが残っているが、その気になればいつでも一括繰り上げ返済できるくらいの蓄えはできていた――ふたりの関係もまずまず良好で、あとはタイミングだけ。そう考えていたヤマダくんだったが、ワタナベさんの意外な言葉で立ち往生していた。
「結婚しても、子どもができても、ずっとシェアハウスで暮らしたい――」
 たしかに、ふたりが同じシェアハウス『バーデン-H』で暮らすようになって丸5年。しょっちゅうバタバタしていたような気もするし、困ったシェアメイトに悩まされたり、ときには世間の“シェアハウス批判”の荒波にさらされたりもしたが、なんだかんだでけっこう楽しい日々であった。ふたりで力を合わせて問題を解決したことも多かったし、そのたびにお互いの絆を深め合ってきたと思う。
 だから、ワタナベさんの気持ちはよくわかる。ふたりはもともと同じ会社の先輩後輩だが、彼らの勤め先は産休・育休や時短勤務などの体制が十分とはいえず――制度そのものはあるらしいが利用者がいないので、事実上機能していないに等しい――結婚はともかく、妊娠・出産となったらワタナベさんは会社を辞めなければならなくなるかもしれない。いざそうなったとき、“専業主婦として夫に養ってもらう”という関係性がイメージできないのだとワタナベさんは訴えた。
「結婚しても、今まで通り対等のパートナー関係でいたいの。言葉だけじゃなく、それが実感できる環境でありたいのよ」
 現に『バーデン-H』におけるワタナベさんは女性シェアメイトのリーダーであったし、もう1軒の『バーデン-K』は女性専用であるだけでなく、もともと物件取得の段階から彼女の主導で進められてきた。ヤマダくんが今、曲がりなりにも2軒のシェアハウスを経営するオーナーとなっているのは、ワタナベさんの存在なくしては考えられなかった。
 そんなワタナベさんが望むことなら、ヤマダくんとしてもぜひ実現したい。だが――そのための道筋は想像以上に険しかったのである。

「――子育てのできるシェアハウスとなると、これまで以上に入居者の選定には気を配る必要があると思います」
 管理会社のオオシマ女史はそう言った。
「通常のシェアハウスのように、短期居住で、気に入らなければいつでも出て行けるという表面的な関係性では、いざというときリスクが高くなります。たとえば、子どもが急に熱を出して、両親の都合が悪いときに、他の入居者が代わりに病院まで連れていってくれるとか、保育園の送り迎えとか……そういう、ほとんど肉親に近いくらいの関係性を構築できなければ難しいでしょう」
「なるほど……」
 ヤマダくんは神妙にうなずいてみせる。とはいえ、今のところ独身で子育て経験もないヤマダくんにはイマイチ実感はないのだが――たしかに、そういう話は既婚者の同僚や友人からよく耳にしていた。「実家が近くて助かった」とか、逆に「突然ですいませんが、今日は休ませてください。子どもを病院に連れていかないと……」とか――そのたびに、「そんなものか」と感じていただけだったのだが、当事者となれば深刻な問題だろう。
「それに、いくら親同士の関係性は良好でも、子どもがある程度大きくなれば、今度は子ども同士の関係性ということも考慮しなくてはならなくなります。――まあ、その心配はまだ早いでしょうけれど」
 それもそうだ。生まれてもいない――どころか、(たぶん)まだお腹の中にできてもいない(?)子どものことまで心配していても始まらない。
「それより、最近は離婚も多いことですし、未婚のカップル同士の入居と同様、一緒に住むようになってから性格の不一致で別れるような夫婦も出てくるでしょう。そうなったとき、他の入居者との関係もギスギスしてくるかもしれませんし、離婚せずとも一つ屋根の下で夫婦ゲンカが絶えなければ他の人はたまらないですよね」
「はい……」
 これにはちょっとばかり心当たりがあった。ヤマダくん自身、ワタナベさんと気まずくなったとき、他のシェアメイトに必要以上に気を遣わせてしまった苦い記憶がある。以前、203号室のタバタさんが一時期、103号室にいたスガワラくんと付き合ったり別れたりしたときには、ワタナベさんともどもさんざん振り回されたものだ。
「そんなわけで、よほどお互いの信頼関係を築いておかないと、安心して子どもを育てられる環境にはなりません。ですから、できれば一緒に暮らし始める前に、ある程度家族ぐるみで交流を持ち、親交を深めておくのが良いと思われます――」
 ――要するに、オオシマ女史からのアドバイスとしては、物件探しは物件探しとして、まず入居者探しとその選定を進めておいてはどうか、ということだった。できれば、一緒に暮らす者同士で話し合って、どんな物件が良いか――たとえば、「庭のある家がいい」とか「公園や保育園から近い場所がいい」とか「治安のいい土地がいい」とか――あらかじめ希望する条件をすり合わせておくのがいいだろう、と。その意見には、ヤマダくんも全面的に納得したのだが……。

 いざふたを開けてみると、「結婚・子育てをシェアハウスで!」ということを希望するカップル自体がほとんどいないのである。専用サイトを立ち上げ、リンクを貼りまくっただけでなく、口コミでもシェアハウスを通じての知り合いや、会社や学生時代の友人などにもマメに声をかけていたのだが、なかなか適当な(適切な)該当者が見つからない。サイトに設置した問い合わせフォームに届くのは、「シェアハウスみたいな環境でまともな子どもが育つはずがない!」だの、「親の身勝手。虐待の温床」だのという批判や、あるいは「スワッピングパーティーのお相手募集はここですか?」といった嘲笑・冷笑のメールがほとんどだった。
「……………はぁ――」
 今宵もまた、むなしくタメ息を漏らすばかりのヤマダくんであった。
(つづく)

ログイン

ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失


シェアハウス大家さん
倶楽部(無料)

シェアハウスで不動産投資に踏み出すサラリーマンやOLの皆様を応援する会員制プログラムです。ご登録いただくと各種不動産投資情報やサービスを無料提供致します。
入会申込(無料)