第61話 ヤマダくん、タイミングを掴む!

「おめでとうございます! 今日はお招きいただいて……」
 玄関先で改まったあいさつをするヤマダくんとワタナベさんに、
「ありがとう。まあまあ、あいさつはいいから、入って入って。狭いとこだけど」
 満面の笑みを浮かべて、部屋の住人が招き入れる。「狭いとこ」というのは謙遜でも何でもなく、言葉の通り造りの古い2DKのアパートだったが、内部はよく掃除が行き届いていて、住人の几帳面な性格が窺えた。
「あの、これ、つまらないものですけど……」
 おずおずと差し出した手土産を笑顔で受け取り、住人は気さくにふたりを自宅に招き入れた。
 沓脱を上がると玄関マットが置かれた板敷の廊下が続いていて、正面の突き当たりが浴室、その左手にトイレらしいドアも見える。廊下の左手は窓に面した流し台、右手に洋室、その奥に和室が並んでいる。洋室の手前はガラス張りの引き戸、洋室と和室の境目は襖で仕切れられているようだが、今はどちらも全開になっていて、玄関先から室内全体を見渡すことができた。ギリギリ昭和の建築か、建てられたのが平成に入ってからだとしても昭和末期の設計だろう。だが、幸せいっぱいの新婚家庭に特有の、どこか甘酸っぱいようなあたたかみが感じられる住まいである。
「ま、うちもようやく落ち着いたからさ。たいしたおもてなしもできないけど……」
「いえいえ、とんでもない。こちらこそ、図々しくお邪魔しちゃって」
 形式通りのやりとりをしながら、ヤマダくんは相手との距離感が急速に縮まってくるのを感じていた。ワタナベさんが遠慮がちに室内を見回し、この部屋の“もうひとりの住人”の行方を捜しているようすを見てとり、相手はにこやかに言い足した。
「あ。今、ちょうど買い物に行ってる。そろそろ帰ってくる頃だと思うけど」
ヤマダくんたちはこの日、かつて、2軒のシェアハウスで合計2年近くの間、ともに暮らした年長の友人であり、ヤマダくんにとっては「シェアハウスでの生活というものを教えてくれた」「自分が経営するシェアハウスの危機を救ってくれた」という二重の意味での恩人でもある相手――アオノさんのアパートに招待されていたのであった。

 アオノさんとフジノさんのカップルは、ヤマダくんのシェアハウス『バーデン-H』に3年前の5月まで一緒に暮らしていた。かれら両名はいわゆる“授かり婚”なのだが、結婚を機に退去して、こちらのアパートに引っ越して数ヶ月後に第一子を出産する。もちろん、かつてのシェアメイトたちはさっそくお祝いに駆けつけようとしたのだが――なぜか、アオノさんから待ったがかかった。そして――。
 風の便りに、その子は生まれて2週間ほどで亡くなったとヤマダくんたちが耳にしたのは、それから3ヶ月も経った頃だった。
 どうやら、生まれつき重篤な病気を持っていたらしい。それ以来、ヤマダくんたちは慰める言葉もなく、腫れ物にさわるような気持ちで自然と交流も途絶えていたのだが……。
 つい1週間ほど前、ひさしぶりに連絡があった。
 それによると、このほどようやく待望の第二子を授かったという。安定期に入ったので、今度こそ昔の友人たちへのお披露目を兼ねて、順番に自宅へ招待することにしたそうだ。
「何しろ、ご覧の通り狭い家だからね。いっぺんに大勢お客さんが来たら入りきれないもんで」
 アオノさんは照れくさそうに笑う。もともと夫婦揃って社交的な人柄だから、こうして自宅に人を招くことにも抵抗がないのだろう。
「……でも、本当に良かった…………」
 ワタナベさんが心からの声でつぶやく。ヤマダくんにしてもまったく同じ思いだった。アオノさんは一瞬、複雑な表情を浮かべたが、すぐに破顔して言う。
「……まあ、こういうのは運命だからさ」
 保育器越しに対面しただけで、生きている間は一度もその手に抱くことができなかった我が子への父親の想いは、第三者には想像もつかないものだ。ましてそれが、身を二つに分けた母親である奥さんにとっては、なおさらである。アオノさんは静かに言葉を続ける。
「うちのカミさんも来年で33歳だし、子ども作るんなら、今年あたりがラストチャンスかもって話してたんだ」
「奥さんのお身体の方は……?」
 遠慮がちなワタナベさんの質問には、
「ぜんぜん元気。先週の健診でも『母子ともに異常なし』だそうだ。お陰様で、どうやら今度こそおれも親父になれそうだよ」
 そう言うアオノさんの笑顔は、心の底から幸せを感じているように見えた。
 来客ふたりを洋間に通して壁際のソファをすすめると、アオノさんはそのまま流し台に立ってお茶の準備にかかった。手伝おうとするワタナベさんを自然な手つきで制し、「コーヒーでいいよね?」などと言いながら備え付けの食器棚からカップを取り出す。その背中に、ヤマダくんが声をかけた。
「もうわかってるんですか? 男か女か?」
「それが、聞いてないんだよ。聞けば教えてくれるんだろうけど、そういうのもなんか味気ない気がしてさ」
 手早く用意したコーヒーカップをお盆に乗せて持ってきながら、アオノさんはあいかわらずニコニコしながら答える。さらに、ふたりにカップを差し出しながら、
「ただ、名前だけは男女両方考えてるんだ……」
 と言って、聞かれもしないのに候補だという名前を3つ4つ並べてみせる。昨今流行りのいわゆるキラキラネームではなく、シンプルだがセンスのいいネーミングだった。
 そのとき、ちょうど玄関の方でガチャガチャと音がした。
買い物から帰ってきたらしい、旧姓フジノさん――アオノ夫人の登場である。もともと、どちらかといえばふくよかな体形の女性だったが、今はさらにひと回り大きなお腹をして、見るからに福々しい姿であった。
「あ、ふたりともおひさしぶり! 留守にしててごめんね」
「おひさしぶりです。このたびは本当におめでとうございます!」
 ソファから立ち上がりながら、ヤマダくんとワタナベさんは声をそろえた。

 その後、ひとしきり席の譲り合いとなり、最終的に二人掛けのソファに妊婦であるアオノ夫人が座り、ヤマダくんたち来客がテーブルを挟んだ向かい側の座布団、隅にアオノさんが収まってしばしの歓談となった。話題はもちろん、生まれてくる未来の子どものことが中心だったが、ときおり旧知の誰それの消息なども口の端にのぼる。そのうち、自然と住むところの話に行きついた。
「ここのアパート、来年の5月で2回目の契約更新なんだけどさ。子どもも生まれるし、どうしようかと思ってるとこなんだよ」
 出産予定日は3月末だという。住み心地の良さそうな部屋とはいえ、さすがに親子3人で暮らすには手狭だし、少々造りが古すぎる。3LDKか、せめて2LDKくらいのマンションにでも引っ越そうと考えているそうだが、将来のことも考えて一戸建の購入も視野に入れているのだという。ただし、まだ具体的な物件探しなどは始めていないらしい。
 ヤマダくんとワタナベさんは、思わず顔を見合わせた。
(――これは……もしかして?)
 無言ですばやくアイコンタクトを交わすと、ヤマダくんが口を切った。
「じつは……」
 本音を言えば、今日はもともと、この話をする予定ではなかった。アオノさんたちの前回のいきさつも聞いていたし、ただでさえデリケートな話題である。とはいえ、ようすを見て、もし機会があれば軽く打診してみようか、くらいの気持ちはあった。それが、まるであつらえたように先方から話題に出してくれるとは……こういうのも、タイミングというものかもしれない。ならば、思い切って話をしてみよう、とヤマダくんは思った。
「……おれたちもそろそろ、結婚しようかって話があるんです。それで、彼女が言うには、結婚してからもシェアハウスで暮らしたいって」
「もぉ。わたしだけのせいにしないでよ……」
 恥ずかしそうにワタナベさんが小声で文句を言う。「結婚してもシェアハウス」は、もはやふたりの共通認識のはずなのだ。ヤマダくんはこほん、と咳ばらいをして、
「まあ、それで、『カップルで暮らす、子育てもできるシェアハウス』をつくろうっていう話があるんですけど……」
 ヤマダくんは言葉を切って、ちら、とアオノ夫妻の顔を見た。夫人のほうはあまりぴんときていないようすだったが、アオノさんは明らかに興味をそそられているようだ。
「……もしよかったら――おふたりにも、参加していただけませんか…………?」
 ヤマダくんは真剣な顔つきでアオノ夫妻を見つめた。
 短い沈黙があった。
 ややあって――。
「詳しく、聞かせてもらえるかな……?」
 つられたように真剣な表情を浮かべたアオノさんが言った。
(つづく)

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