第62話 ヤマダくん、ニマニマする

「はじめまして。……ってか、正直、あんまりはじめての気もしませんけど」
 どこか人を喰ったような第一声ではあるものの、悪い印象は少しもなかった。馴れ馴れしいというより人懐っこい気さくな態度であり、裏表のない人柄を感じさせた。
 こちらこそ、と挨拶を返しながら、ヤマダくんは改めて目の前の男性を観察した。年の頃は30手前、ヤマダくんよりは3〜4歳下、ヤマダくんの隣に座る婚約者のワタナベさんよりは2〜3歳上というところだろう。間違いなく初対面のはずなのだが、彼の言葉通り、あまり初対面という距離感は感じない。
 ――H駅前のファミレスであった。1月下旬の日曜日、ヤマダくんとワタナベさんは旧知のアオノさんからの連絡を受けて、ここで目の前の男と落ち合うことになった。アオノさんも同席する予定だったが、急に用事が入ったとのことで、この日は3人だけの顔合わせとなった。男はにこやかに名乗った。
「……イシザキです。アオノ先輩からおふたりのことはよく聴かされております」
 親しみのこもった口調ながら、言葉遣いはあくまで丁寧で礼儀正しい。第一印象は問題なく、腹を割ったつきあいができそうな予感があった。ヤマダくんはワタナベさんと視線を交わし、無言で頷きあった。声には出さなかったが、お互い「合格」と思っていたに違いない。
「ヤマダです。今日はお時間をいただき、ありがとうございます」
 型通りのあいさつはそこまでで、ヤマダくんはさっそく本題に入ることにした。

 奥さんの懐妊祝いにアオノさん夫妻の自宅に招待されてから、早くも2ヶ月近くが過ぎようとしていた。アオノさんと旧姓フジノさん(現・アオノ夫人)は、ヤマダくんのシェアハウス『バーデン-H』のかつてのシェアメイトであり、今はヤマダくんたちが新たに計画中の「カップルで暮らす、子育てもできるシェアハウス」の同志となってくれている。そのアオノさんから、「もう一組、同志になってくれそうな若いカップルがいる」と紹介されたのが、今、ヤマダくんたちの目の前にいるこのイシザキくんと、その奥さんである。
 イシザキくんは、アオノさんの職場の後輩である。そして、ヤマダくんが『バーデン-H』を開業する以前、彼が初めて住んでいたシェアハウスの元シェアメイトでもあったという。そこはアオノさんがシェアメイトリーダーの立場にあったハウスであり、イシザキくんが入居したのはヤマダくんが退去した後のことなので、ヤマダくんとは直接面識はない。それでも、同じハウスの空気の中で過ごしたという経験を共有しているせいか、初対面から妙にウマが合うのをヤマダくんは感じていた。
 イシザキくんは言う。
「……じつは自分、ヤマダさんのこと前からリスペクトしてたんですよ」
「?」
「アオノ先輩がね、その頃よく話してたんです。生まれて初めてシェアハウスに住んでからたったの1年で、自分のシェアハウスつくってオーナーになった人がいるんだ、って……。『おれにはとても真似できない。彼はすごい人間だ』ってね。よく褒めてましたよ」
「…………」
 何と言ったらいいのかわからず、ヤマダくんはどぎまぎした。もちろん、アオノさんから直接そんなことを言われたことはなかったし、どこまで本気で言っていたのかもわからない。それでも、自分の知らないところで、よく知っている人間が自分のことを密かに褒めてくれていたと聞いて、嬉しくないはずがなかった。
「……あ。この話、自分から聴いたってアオノ先輩にはナイショですよ」
 思い出したようにそう言って、イシザキくんはいたずらっぽく片目をつぶってみせた。

「――イシザキさんは今、どちらにお住まいなんですか?」
 慣れない褒め殺しにあい、思わずニマニマしているヤマダくんのようすを見て、ワタナベさんがすかさず助け舟を出す。長いつきあいだけに、このへんは阿吽の呼吸である。
「はい。ヨメさんの実家で『マスオさん』してるんですが、今度義弟が結婚することになりまして……。別に出て行けとか言われてるわけじゃないんですけど、まあ何となく」
「……なるほど」
 ややデリケートな話題なので深入りは避けたが、家の中の空気が微妙に変わってきているのだろう。彼の奥さんにしてみれば実家なのだから、住み続けることに何の抵抗もないだろうが、いくら義両親と良好な関係を築いていたとしても、イシザキくんは他人。婿入りしたわけでもないようだから、さらに義弟夫婦とも同居することになるようだと、いろいろ面倒なこともあるに違いない……。
 ヤマダくんが遠慮した気配を察してか、イシザキくんは屈託ない口調でこう補足する。
「いや、自分、義弟ともふつうに仲いいですし、そういう意味では面倒なことはないんですけどね。……ただ、ぶっちゃけ、狭いんですよ。もう物理的に」
「ああ、そっちね。……なるほど、よくわかりました」
 お互い、だんだん言葉遣いに遠慮がなくなってくる。
「イシザキくんの方はそれとして……奥さんはどうなの? シェアハウスとかって」
 無意識のうちに「くん」呼びになっていたのはともかく、ヤマダくんが一番気になっているのはそこだった。今までずっと実家住まいだったとしたら、他人同士で暮らすシェアハウスのような環境にいきなりなじめるかどうかは重要な問題である。ましてや、これからイシザキ夫妻を巻き込もうとしているのは、ほとんど“前代未聞”にも等しい、「子育てカップルのためのシェアハウス」なのだ。
 しかし、この心配もまた杞憂であるようだった。イシザキくんは平然と答えた。
「大丈夫だと思いますよ。ヨメさん、大学時代ずっとルームシェアしてましたし、実家に戻ったのは去年、自分と籍入れてからですから。もう、共同生活とかぜんぜん問題なし」
 念の為、もう少し詳しく聞いたところ――イシザキ夫人は現在24歳。同じ大学のOBであったイシザキくんと学生時代から交際をはじめ、大学卒業後に半年ほど同棲――イシザキくんは当時、シェアハウスを出てアパート住まいだった――したのち、入籍を機に実家に戻ることにしたのだという。実家に戻った理由としては、将来子どもが生まれたら面倒を見てくれる人が身近にいた方が望ましいということと、その時点では1歳下の義弟は会社の独身寮に入っていたため、家に空間的な余裕があったから、ということらしかった。
 それが、義弟が結婚して寮を出ることになったことで、やや事情が変わった。いずれ義妹となるはずの義弟の婚約者については、イシザキくんもまだそれほどつきあいがあるわけではないので何とも言えないが、少なくとも今のところ、義両親との同居にも抵抗はなさそうだという。そういうことなら、将来のことを考えて、イシザキ夫妻が実家を出て別世帯を構えるのは、自然ななりゆきというものだろう。
「……それで、ヨメさんの実家のなるべく近場で手頃なマンションでも探そうかって話してたとこだったんです。ただ、それにはひとつだけ問題があって――」
 そこまで言って、イシザキくんの表情が少しだけ曇った。
「なにしろ、ヨメさんの実家ってのがけっこうな高級住宅地のど真ん中にあるんですよ! いえ、実家そのものはわりと古くてボロっちいんですけどね」
 ――つまりは、物件相場が全般に高い地域で、買うにせよ賃貸にせよ、なかなか手が出せない価格帯なのだという。このまま共働きを続けるならともかく、イシザキくんも奥さんもいずれ子どもは欲しいし、そうなったらイシザキくんひとりの稼ぎでは心もとないということらしかった。

「……それじゃ、次回は奥さんとも顔合わせしないとね。どうせなら、アオノさんたちもいっしょに、6人全員で」
 ――今日の会合のしめくくりに、ヤマダくんは言った。
「あ、でも、フジノさ……じゃない、アオノ夫人は予定日がもうすぐだっけ?」
「たしか、3月の末頃って言ってなかった? ほら、早生まれになるか遅生まれになるか、ギリギリで微妙な線だって……」
 ワタナベさんがそう指摘する。
「そうそう。そうだった。じゃあ、2月末か3月のアタマくらいまでに、一度全員で顔を揃えるようにしよう。イシザキくんも奥さんと、そのあたりで予定空けといて。こっちもそれまでに、ある程度物件の目星をつけとくようにするから」
「わかりました」
「それで、希望条件は奥さんとよ〜く話して、今月中にはこっちに連絡くださいね」
「了解です!」
 ヤマダくんとワタナベさんが口々に言い、イシザキくんは打てば響くように答える。いい雰囲気だ。全員集合は次回に持ち越しとはいえ、これでどうやら、ヤマダくんたちの新たな目標のための同志は最低限駒が揃ったようだ。
 残った大きな問題は肝心の物件探しだが……。
(――それも、なんとかイケるんじゃないか……!?)
 そんなふうに楽観的に思ってしまう、今のヤマダくんなのであった。
(つづく)

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