第63話 ヤマダくん、乾杯する

「――ああ、来た来た。おーい、こっち、こっち!」
 ファミレスの奥のボックスシートから立ち上がって、大声で叫びながらこちらに手を振る相手の姿を見て、ヤマダくんは思わず、その場で回れ右して引き返したくなった。
だが、そもそも呼び出したのは自分だから、そういうワケにもいかない。仕方なく――唇の前に人差し指を立てて「し〜」の合図を送ってみせてから、ヤマダくんは相手が余計なことを口走る前につかつかと足早に歩み寄った。
「ども、ヤマダさんおひさしぶりっす」
「ひさしぶりでもないだろ。先々週会ったばっかじゃねーか」
「んじゃ、2週間ぶりっす。……で。今日なんすけど」
「うん。それなんだが……」
 言いかけて、ヤマダくんは周囲を見回した。今日、この場には、目の前の相手のほかに、顔を揃えているべき人間があと3人乃至4人、いるはずなのだが……?
「あ、今日、来ないっすよ」
「来ない? 誰が?」
「ですから……誰も」
「?」
「今日は自分とヤマダさんだけっす」
「……へ?」
「あれー、聞いてないんすか?」
 話についていけず、呆気にとられているヤマダくんの顔を覗き込みながら、相手――イシザキくんは、むしろあっけらかんと言った。
「アオノ先輩の奥さん、定期健診からそのまんま緊急入院になったっすよ。ウチのヨメさんはそっちの付き添いで、先輩はワタナベさんと一緒に入院用の荷物取りに帰ってます――」

 ヤマダくんとワタナベさん、アオノ夫妻、そしてアオノさんの紹介で知り合ったイシザキ夫妻の計6人は、ヤマダくんたちが新たに立ち上げる予定の「カップルで暮らす、子育てもできるシェアハウス」のために集った同志である。3組のカップルは、それぞれの事情から夫婦で暮らせる新居を近々に必要としており、そのための舞台装置となるシェアハウスを一からつくりあげようとしていた。そしてこの日は、初めて6人全員が一堂に会して顔を合わせる予定だったのだが……。
 まず、アオノさんから、
「ちょうどこの日が病院の定期健診だからさ。それ終わってから病院近くのファミレスでどうかな?」
 という提案があり、日時と場所はそれですんなり決定した。ヤマダくんとしても、臨月のアオノ夫人の都合に合わせるのに否やはなかったが、あいにくとその日はヤボ用が入っていたので、ヤマダくんだけ遅れて合流することにしたのである。
 ところが、急いで用事を片づけて約束の場所にやってきてみれば、待っていたのはイシザキくんただ1人。アオノ夫妻も、今日が初対面となるはずだったイシザキ夫人もおらず、婚約者のワタナベさんすらいないという状況で、ヤマダくんはいささか混乱していた。
 イシザキくんといえば、今日集まる予定だったメンバーの中で、ワタナベさんを除けばヤマダくんが最近一番連絡を取り合っていた相手である。初対面のときには、さすがにお互い遠慮もあって、言葉遣いもいくらか他人行儀だったが、何度も顔を合わせたり電話で話したりしている間に、なんとなく距離感が縮まり、今ではすっかり友だち口調になっていた。そのイシザキくんの説明によれば……。
 ――今日、約束の集合時間前にこのファミレスに到着したイシザキくん夫婦は、同じく時間前に着いていたワタナベさんと合流し、初対面の奥さんとワタナベさんを紹介し、しばし歓談していたという。そこへ、約束より5分ほど遅れてアオノさんが現れた。
「ああ、ごめん……じつはさ、ちょっとその……」
 いつになく歯切れの悪い口調で、アオノさんがもごもごと事情を説明したところによれば――。
 定期健診を終え、「問題なく順調」と医師のお墨付きをもらったアオノ夫人は、アオノさんが窓口で会計を済ませるのを待って病院を出ようとしたとき――いきなり、彼女の足元に2歳児くらいの幼児が飛び込んできたという。とっさに足を引いて、ぶつからないように避けたアオノ夫人だったが、バランスを崩してその場で転倒。無意識にお腹だけは庇ったものの、運悪く、つまづいた2歳児が彼女のお腹に倒れ込む形となった。異変に気づいてアオノさんが駆けつけたときにはすでに時遅く、彼女はお腹を押さえて苦しんでいたという。
 不幸中の幸いというべきか、産婦人科の病院内での出来事だったので、アオノ夫人はただちに診察室へ運ばれ、詳しい検査を受けることができた。その結果、母子ともに異状なしと診断されたが、彼女が腰を強く打っていたことと、このアクシデントで精神的に一時パニクっていたこともあって、ひとまずこのまま入院することになったそうだ。
 ――ちなみに、原因となった2歳児の母親らしい女性は、面倒に巻き込まれたくないとでも思ったものか、アオノさんたちへの謝罪の言葉もないまま、さっさとその場を立ち去ってしまっていた。後で気づいたアオノさんは大いに憤慨したものだが、そんな非常識な相手と同レベルで揉めるのもバカバカしい、と思い直したということである。
「緊急入院」というイシザキくんの説明を聞いたときには、反射的に「切迫早産!?」といった最悪の事態を思い浮かべたヤマダくんだったが、どうやらそこまで切羽詰った状況ではないようだ。まあ、ウソではないにせよ、人騒がせな……と思わずにはいられなかった。
 ともあれ、まだ興奮気味のアオノ夫人を落ち着かせるために、イシザキ夫人――彼女たちはすでに顔見知りだった――が付き添うことにし、アオノさんはいったん荷物を取りに家に戻ることになった。ただし、アオノさん自身も冷静というわけではなく、また、入院用の荷物ということになると女手があった方が何かと細かいことに気が回るだろうということで、そちらへはワタナベさんが同行を申し出た。
 そうして――何もできることがないイシザキくんだけが、ひとり、ファミレスに残ってヤマダくんの到着を待つことになったのだという……。

 イシザキくんの口から話を聞きながら、ヤマダくんがスマホを取り出して見ると、ワタナベさんからのLINEメッセージがガンガン入っていた。慌ただしい状況でのメッセージだけに、短い文章や単語の羅列がほとんどだったが、イシザキくんの説明よりはだいぶわかりやすい。おおよそ状況を把握したところで、ヤマダくんはようやく口を開いた。
「今日は、ホントはいろいろ話し合いたいこともあったんだけど……まあ、仕方ないな。アオノ夫人は今日は無理として、残りのメンバーだけでも後で少しだけ集まれないかな? 一応、みんなに報告しておきたいこともあるし……」
「そっすね。ウチはヨメさんも今日は大丈夫っすよ」
「じゃあ……」
 という会話をしながら、同時進行でワタナベさん宛にメッセージを送ると、待つほどもなくOKの返信があった。ただし、アオノさんは少し遅れて来るという。
集合場所はこのファミレスのまま。全員が揃うまでにはしばらく時間がかかるため、ヤマダくんはここでようやく遅めの昼食にありつくことができた。
 そして――。
 ヤマダくんがファミレスに着いてから約3時間後――イシザキくんたちが最初に集まってからだと約5時間後――どうにかこうにか、5人のメンバーが一堂に会したのである。

「えーと。……みなさん、今日はたいへんお疲れ様でした」
 まずは、その日の他のメンバーたちの労をねぎらうヤマダくん。実際、ヤマダくんとイシザキくん以外のメンバーは、今日は予想もしていなかったアクシデントにより、たいへんな目に遭っているのだ。そこへ、アオノさんが割って入った。
「あ。その前に、すいません。僕からもひとこと言わせてください。……今日はみなさん、本当にありがとうございました」
 そう言って、アオノさんは神妙に頭を下げた。続いて口にしたところによると、アオノ夫人は明日の朝精密検査をして、特に問題なければ夕方には退院ということになりそうだという。だが、説明を終えて顔を上げたアオノさんは、打って変わってニコニコしながら、
「今のところ、予定日は3月30日で変更なしですが……予定通り早生まれになるか、それとも遅れるか、ホントに悩ましいところなんですよ〜」
 と、すでにこの場の全員が知っている情報を口にする。ヤマダくんたちはそっと顔を見合わせたものだが――まあ、このフレーズが出るようなら心配ないだろう、ということで全員が無言のうちに頷き合った。
「……それで、今日集まっていただいた、そもそもの目的なんですが……」
 ようすを見て、ヤマダくんがさりげなく軌道修正した。
「アオノさんたち、イシザキくんたちからそれぞれご要望をお聞きしてきましたが、その上で我々も話し合い、いくつか候補物件をピックアップしてきました。今日はこの資料をもとにじっくり話し合おうと思ってたんですけど……」
 こうなった原因はこの場にいる誰のせいでもないのだから、少しでも責めるようなニュアンスにならないよう気を遣いながら、ヤマダくんは言った。
「今日はもう時間も遅いことですから、持ち帰ってそれぞれで検討することにしましょう。ご不明の点については、いつでもお問い合わせください。……それで」
 そこでいったん言葉を切ると、ヤマダくんはこう続けた。
「今日のところは、アオノさんの奥さんの無事なご出産と、我々シェアメイト一同の前途を祝して、ひとつ乾杯といきませんか――?」
 これには全員が同意し、人数分の飲み物が――イシザキ夫人とアオノさんはノンアルコールだったが――ゆきわたると、ヤマダくんは重々しく宣言した。
「では、我々の新居が素晴らしいものになることを祈って……乾杯!」
「乾杯!」
 グラスとジョッキがぶつかる、澄んだ音がした。
(つづく)

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