第65話 ヤマダくん、暗雲立ち込める……

「…………どう思います?」
 じっと無言で考え込んでいた3人の中で、口火を切ったのはイシザキくんだった。
「うん……」
 アオノさんもそう言ったきり、なかなか先を続けようとしない。
「――ここはやっぱり」
 重苦しい沈黙に焦れたように、ヤマダくんが言葉尻を引き継ぐ。ただし、続くひと言は、この場においてはいかにも頼りないものだった。
「……女性陣の意見も聴いてみないと」
 ――GWの翌週、初夏にしてはややきつい陽射しの土曜日であった。男性陣3人は連れ立って、物件めぐりを続けていた。4月後半からようやく本格的にスタートした物件探しだったが、これまで20軒近く見て回ったものの、未だに「これ」という物件にはめぐりあえずにいたヤマダくんたちである。物件探しの苦労はこれが初めてではないにしろ、彼らが求めている「カップルで暮らす、子育てのできるシェアハウス」という条件を満たすような物件は、やはり、そうおいそれと見つかるものではなかった。
 冴えない顔を寄せ合っている3人の背後から、ここまで彼らを案内してきた不動産屋の営業マンが遠慮がちに声をかけてくる。
「……いかがでしょう? もう1軒ご覧になりますか――?」
 一瞬、目を見合わせた3人のうち、ヤマダくんが代表して応えた。
「そう……ですね。……………お願いします」

 アオノ夫妻の娘、ノゾミちゃんの誕生からすでに2ヶ月近くが過ぎていた。
 アオノ家の住んでいるアパートの大家さんには事情を説明し、契約更新はせずに、転居までの家賃は日割り計算で、という話はつけてあったが、それも、そうそう長引かせるわけにはいかない。最長でも7月10日頃が限度で、それまでには退去することになっていた。
 新居となる物件が見つかったとしても、3世帯・最大12名程度で住めるようにするためには、それなりの内装工事が必要だろう。その工事期間を考えれば、どんなに遅くとも5月中には物件を決めて、契約までこぎつけなければならないのだが……。
 ヤマダくんが最初のシェアハウス『バーデン-H』の物件を探していた6年前には、不動産屋でも「シェアハウスに適した物件」とはどんなものか、把握している営業マンはほとんどいなかったものだ。それに比べれば、今では不動産屋もシェアハウスの取り扱い件数が格段に増えている。その意味では、当時よりはもっと楽に探せるはずだとヤマダくんは思っていたのである。
 だが、単純に「収容人数12名のシェアハウス」を探すのと、「3世帯で暮らせる子育てシェアハウス」を探すのでは条件がまったく違う。
 まず、戸建て物件ではせいぜい2世帯住宅まで。これだと『バーデン-H』とだいたい同様の間取りになるが、子どもが生まれればいかにも手狭である。
 次に、メゾネットタイプを検討したが、これではたんに、それぞれ独立した3軒の家がくっついているだけ。シェアハウスとして使用するには構造的に向いていない。
 そこで、寮として使用されていた物件を中心に探すことになったのだが――もともと物件数自体が少ないのに加えて、どこも大型の物件ばかり。交通の便や周辺環境の条件を踏まえると、予算的にもかなり高額になってしまい、手が出せない。
「――まあ、焦ってもしょうがない。できるだけ手広く物件を見て回りましょう」
 慰めのようにそう言っては、ヤマダくんたちは物件めぐりを続けていた。次に行く物件こそは――次こそは、と言い続けて、時間は無情にもどんどん過ぎていった。

 その夜――。
 けっきょく、4軒回ったもののすべて無駄足に終わり、ヤマダくんたちは意気消沈して解散した。別れ際にイシザキくんが呑みに誘ったが、アオノさんは黙って首を横に振り、ヤマダくんも気乗りしなかったので断った。
(――イシザキくんもあれで、アオノさんがあまり深刻になりすぎないように、彼なりに気を遣ってくれたのかもしれないな……)
 別れた後になって、ヤマダくんはふとそう思ったものの、行けば行ったで、むなしい愚痴のこぼし合いになることは目に見えていた。
 考えてみれば、アオノさんたちを巻き込んだ責任はヤマダくんにある。彼が「子育てシェアハウス」というプランを言い出さなければ、アオノさんは何ごともなくアパートの契約を更新していたか、もしくは家族で暮らせる適当な転居先をとっくに見つけていたに違いない。せっかく、待望の子どもに恵まれたばかりだというのに、貴重な休日に引っぱり回していたずらに一家団欒の時間を奪い、その挙げ句無駄足を踏ませてしまった。そう思うと、ますます気が滅入ってくるヤマダくんだった。
 ――気がつくと、ポケットのスマホに着信表示が灯っていた。
 婚約者であり、シェアハウス事業のビジネスパートナーでもあるワタナベさんからだ。一度電話した後、LINEに切り替えたらしい。アラフォー世代のアオノさんほどではないにしろ、いまだにLINEでのやりとりが苦手なヤマダくんは、軽く顔をしかめてメッセージを表示する。一度電話してきたことといい、たんに「今日はどうだった?」というような世間話ではなさそうだと予感していた。
≪ゴメンちょっと気になることがあって≫
≪バーデン-K4号室のミゾグチさんが今度出るでしょ?≫
≪サクライさんきのう新しい人面接したって≫
「…………ッ!?」
 どういうことだ、と声に出さずにヤマダくんは息を呑んだ。
 ヤマダくんたちの所有する2軒目のシェアハウス『バーデン-K』は、女性専用の古民家再生シェアハウスだ。1号室のサクライさんは元オーナーであり、ヤマダくんたちが買い取った後は引き続きシェアメイトリーダーを任せている。というより、半ば住み込みの管理人のような立場で、現オーナーのヤマダくんたちの目が行き届かない分、細かいことまでいろいろと任せてしまっていた。もともと『バーデン-K』の建物はサクライさんの父親が建てた家で、サクライさんが生まれ育った実家でもあるから、任せてしまった方が安心ということもあった。
 それはいい。そこまではヤマダくんも承知の上だ。
 だが――オーナーだった頃の意識が残っているせいか、サクライさんはしばしばヤマダくんたちを無視して(?)独断で物事を進めてしまうところがあり、そこはヤマダくんも常々苦言を呈してきたところだった。もちろん、サクライさん本人としては、何もヤマダくんたちをわざと無視したわけではなく、ついうっかり――ということらしいのだが。
 つい先日、『バーデン-K』の4号室の住人であるミゾグチさんが5月末で退去することになった。急な話ではあったが、退去の理由自体は仕事の都合だそうで、何か『バーデン-K』に問題があったわけではない。ミゾグチさんからワタナベさん経由で話を聞いていたヤマダくんは、さっそく次の入居者募集を出すことにしたのだが……。
 なんと、問い合わせしてきた入居希望者を、サクライさんが勝手に面接してしまったというのである!
 事実であれば、これはもはや、「ついうっかり」では済まされない。あまりにもオーナーをないがしろにした行動だ。『バーデン-K』はもう、サクライさんの実家ではなく、あくまでヤマダくんたちの所有物件なのだ。どんな住人に住んでもらうか、それを判断するのはオーナーであって、サクライさんではない。
≪すぐ戻る≫
 とだけ返信すると、ヤマダくんはほとんど小走りになって家路を急いだ。すっかり暗くなった夜空は、昼間のきつい陽射しとは打って変わって、ぶ厚い雲に覆われていた。明日は朝から雨になるかもしれない。
 不安を抱えながら、ワタナベさんの待つ我が家である『バーデン-H』を目指すヤマダくんの胸中そのままに、彼の行く手には暗雲が立ち込めていた。
(つづく)

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