第66話 ヤマダくん、一石三鳥?

「……あくまで暫定的な措置、ということでよろしいのですね?」
 堅い声音と事務的な口調でそう念を押され、ヤマダくんはかすかに呻くように頷いた。一拍置いて、うつむいたまま絞り出すような声で応える。
「………それで、けっこうです」
「近いうちに……最長でも年内には、この状況は改善されると期待していいんですね?」
 さらに追い打ちをかけてくる声にも、ヤマダくんは黙って首肯するしかなかった。
 しばし、重苦しい沈黙が座を支配する。12畳敷ほどの板の間――『バーデン-K』のリビングに集まった8人のメンバーは、息を殺して頭を下げたヤマダくんのうなじの当たりをじっと見つめていた。ほとんど物理的な力を持った視線の集中を浴びて、ヤマダくんはうなじがチリチリするような圧迫感を覚えていた。
「…………わかりました」
 ややあって、ホッとしたような声が漏れた。ひざ詰め談判の被告席に置かれていたヤマダくんは、ようやく顔を上げて一同を見回した。
 2号室のツヅキさん、3号室のササキさん、それに5号室のキムラさんとアキヒロくん母子。旧来の『バーデン-K』の住人たちはいずれも、それぞれの胸の裡に何らかのモヤモヤを抱きながらではあるようだが、ヤマダくんの申し出を承認してくれたようだ。それに、やや居心地悪そうに身を縮めているアオノさん夫妻――夫人の腕の中では、ノゾミちゃんがすやすやと寝息を立てている――も。
 最後に、1号室の「元住人であった」サクライさんの顔をちらりと見て、ヤマダくんは言った。
「では、アオノさん一家は次の日曜日、1号室に入居することになります。したがって、サクライさんは土曜日までに引っ越しを完了するようにしてください――」

 ヤマダくんとワタナベさん、アオノ夫妻、イシザキ夫妻の3組のカップルが暮らすことになる「子育てシェアハウス」探しは、依然として行き詰まっていた。アオノ家のアパート退去期限はすでに目前に迫り、かくなる上は一時、どこか別に適当な部屋を借りるしかない――と考えはじめていたころ……。
 ヤマダくんが所有する2軒目のシェアハウス、『バーデン-K』で一つの問題が持ち上がった。
 そもそもの発端は、4号室の住人であるミゾグチさんが急に退去することになったことだった。ヤマダくんはすぐに、次の入居者募集をかけた。ただ、応募者の連絡先としてヤマダくん自身の住む『バーデン-H』だけでなく、『バーデン-K』の電話番号も併記していたことが、失敗といえば失敗だった。これを見たある応募者が、『バーデン-K』に直接問い合わせしてきたのである。電話を受けたのは、『バーデン-K』の元オーナーであり、現在は1号室の入居者としてシェアメイトリーダーを任せていたサクライさんだった。
 本来であれば、サクライさんは電話を受けた時点でオーナーのヤマダくんに報告し、指示を仰がなければならない。だが、彼女はヤマダくんたちに無断で、自分が応募者の面接を行ってしまったのだ。本人としては「気を利かせた」くらいのつもりでいるらしいが、これは明らかにシェアメイトリーダーの権限を逸脱した暴走である。
 ちなみに、結論から言えば、このとき面接した応募者はいろいろと問題があったらしく、入居をお断りすることになったのだが――それは、一入居者に過ぎないサクライさんが勝手に判断していいことではなかった。
 当然、ヤマダくんは激怒した。一時は、「もう出て行ってもらう。イヤだと言っても絶対に叩き出してやる!」と怒り狂ったものだが、ワタナベさんが懸命になだめ、何とか妥協案をひねり出すことになった。
 その結果――。
 1.サクライさんは『バーデン-K』1号室を退去する。シェアメイトリーダーの立場からも外れる
 2.代わって、アオノ夫妻が一時的に1号室に入居する。シェアメイトリーダーはアオノさんが代理として務めてもらう
 3.サクライさんは空いた4号室に移り、あくまで一賃借人として引き続き入居を認める
 ――という形に落ち着いたのである。サクライさんの暴走を抑え、アオノさん一家の仮の引っ越し先を確保し、ついでに4号室の空室も埋めてしまおうという、いわば一石三鳥の問題解決を図る妙案であった。。
 無論、これにも問題はある。最大の問題は、『バーデン-K』が女性専用シェアハウスであるということだった。そこへいきなり男性が入居し、しかも代理とはいえシェアメイトリーダーを任せるとあっては、旧来の住人から反発が出るのは必至だった。
 ただ、アオノさんは独身男性ではなく妻子を伴っての入居ということでもあるし、『バーデン-K』にはすでにアキヒロくんという男の子の入居者の先例もいる。それに、シェアハウス住まいの経験に関しては、アオノさんはヤマダくんなどよりよっぽど年季が入っているし、女性入居者とのつきあい方にも慣れていた。
 サクライさんの処置については、さすがにノーペナルティというわけにはいかないし、『バーデン-K』の間取り上、赤ん坊を抱えた家族が住める部屋は1号室しかない。『バーデン-K』の前身となったシェアハウスに改装されるよりもずっと以前から、実家として暮らしてきたサクライさんには、何十年も住み慣れた1号室を追い出すのはいささか気の毒ではあったが、自分のしでかしたことの責任を感じてもらうためにも、このさい多少の不自由は我慢してもらうしかない。
「それに――」と、ヤマダくんはワタナベさんに言ったものだった。
「これはあくまで暫定的な措置だよ。手頃な物件さえ見つかれば、アオノさんたちにはすぐに新しいハウスに移ってもらう。おれたちやイシザキくんたちと一緒に暮らす、子育てカップルのためのシェアハウスにね。その後のことは、そのときにまた考えればいい――」
「そうね。それでみんなが納得してくれるなら……」
 ワタナベさんも、それで異論はないようだった。
 ――かくして、『バーデン-K』の住人一同を集めての説明会が行われたのであった。

 説明会を終えての帰り道――。
 ヤマダくんは、ひどく恐縮した体でアオノさんと並んで歩いていた。ワタナベさんは、少し離れてアオノ夫人の隣を歩いている。
「今回は本当にご迷惑をおかけして……。あ、引っ越し代は出させてください」
「いいよ。大した荷物じゃないし、荷造りもだいたい済んでる。当日はイシザキくんが実家の軽トラを借りてきてくれることになったし――」
「だったら、せめてガソリン代くらいは……」
「大丈夫。それより、物件探しの方を急がなきゃ」
「ですよねぇ……」
 いつもの調子で気軽にそう言ってくれるアオノさんだったが、ヤマダくんとしては少々気が重かった。
 気にしていないはずがない。もっと早く、新たなシェアハウスとなる物件が見つかっていれば、こんな二度手間をかけずに済んだのだ。しかも、『バーデン-K』の問題はアオノさんたちには何の関係もない。すでに人間関係のできあがっている、それも本来は女性専用のシェアハウスに乗り込んで、シェアメイトリーダーというそれなりに責任ある立場を務めなければならないのだから、アオノさんにとってはかなりのストレスのはずだ。ただでさえ、生後間もない赤ん坊を抱えて、奥さんも大変な時期だからフォローは期待できない。逆に、アオノさんの方が奥さんをフォローしなければならないだろう。
「ま、いろいろあるけどさ――」
 予想される困難を歯牙にもかけていないようすで、アオノさんは言った。
「――これはこれで、けっこう楽しみだったりもするんだよ」
「…………?」
 いぶかしげな視線を向けるヤマダくんに、アオノさんは言葉を続ける。
「あの『バーデン-K』さ。前からいっぺん、ああいう古民家再生シェアハウスで暮らしてみたいと思ってたんだよ。まさか、こういう形で実現するとは思わなかったけど、これもいい経験だと。――とはいっても、あんまり長くなるようだと困るけどね」
「長くはならないようにしますよ。できるだけ――」
 むしろ、自分自身に言い聞かせるように、ヤマダくんは決意を口にした。
(つづく)

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