シェアハウス経営をはじめよう  >  もし29歳サラリーマンがシェアハウス大家さんになったら  >  第68話 ヤマダくん、プレッシャーを感じる……

第68話 ヤマダくん、プレッシャーを感じる……

「…………そっか。じゃあ、いよいよ――」
 しばしの沈黙の後、ためらいがちに口を開いたヤマダくんの表情は、隠しきれない困惑の色を浮かべていた。予想外だったわけではない。むしろ、必然の成り行きだったのだが――それを受け入れる準備が整っていないのは厳然たる事実であった。
「ええ。いよいよ、待ったなしです」
 そう言って、相手は何かを待つように口を噤んだ。そのようすを見て、ヤマダくんはようやく、自分が肝心のセリフを言い忘れていることに気づいた。まったく、なんてザマだ。
「ああ、ごめん。真っ先にこういうべきだったね。――おめでとう、イシザキくん」
「ありがとうございます。………そう言っていただけて、ホッとしましたよ」
 冗談めかしつつ、イシザキくんは破顔した。それから、まんざら冗談でもなさそうな口調でこうつけ加える。
「正直、まだ物件も決まってない状況でこんなご報告をするのも心苦しいんですけど、もう、こればっかりは出物腫れ物というか……」
「それを言うなら、“天からの授かり物”だろ?」
 苦笑しつつ、ヤマダくんはそう訂正した。

 9月下旬――ふいに暑さがぶり返したり、台風が接近したりと、何かと不安定な気候ながら、ようやく季節が秋めいたきたとある週末であった。
 ヤマダくんはその日、イシザキくんの急な呼び出しを受けて、H⁻駅前のファミレスにやってきていた。
「ご相談――とうか、ご報告しときたいことがありまして……」
 妙に改まった口調でイシザキくんは電話口でそう言ったきり、肝心の用件については「会ったときに話します」としか言わなかった。ヤマダくんは落ち着かない気分のまま、ともかくも指定された待ち合わせ場所に足を運んだのだが、先に来て待ち構えていたイシザキくんの表情をひと目見て、ひそかに胸を撫で下ろした。
(――やれやれ。少なくとも、悪い話じゃなさそうだぞ……)
 無理に平然とした態度を装っていたイシザキくんだったが、その口元には隠し切れないニヤニヤ笑いがこびりついている。何かいいことがあったに違いない。
 ヤマダくんとイシザキくんはそれぞれドリンクバーを注文し、交代でそれぞれ飲み物を取ってくると、向かい合ってテーブルに着いた。ヤマダくんは自分のアイスコーヒーをひと口すすり、イシザキくんが話を切り出すのを待った。
(ひょっとして、有力な候補物件のアテでも見つけたのか……?)
 一瞬だが、そんな虫のいい期待すら脳裏に浮かんだ。だが、イシザキくんがもったいぶって告げたのは、どちらかと言えば、今のヤマダくんの悩みに追い打ちをかける内容であった。
「…………じつは――ついに、子どもができたんです!」
 それは――予想されていた事態であり、そして、当然の報告でもあった。本来なら驚くようなことではない。にもかかわらず――ヤマダくんは意表を突かれたように、しばし絶句していた。イシザキくんの報告を聞いた瞬間、反射的にヤマダくんの脳裏をよぎったのは、「今度こそ」という、いわばトドメのひと言だったのだ。
(…………今度こそ、「子育てシェアハウス」をきっちり決めなければ――!)

 ――ヤマダくんと婚約者のワタナベさんのカップルは、結婚するに当たって「夫婦で暮らせる、子育てのできるシェアハウス」に住みたいと考えていた。数組のカップルが共同で一つ屋根の下で暮らし、お互いに協力し合い、リソースを共有して子どもを育てられる環境をつくりたい。そのために具体的に動き始めてから、早くも1年が過ぎようとしている。その間に、かつてのシェアメイトであったアオノさん夫妻、そしてアオノさんの職場の後輩であるイシザキ夫妻という同志を得て、物件探しを開始してからでも半年近く経っていた。だが、一向に物件が決まらないなか、アオノ夫人は出産し、ノゾミちゃんという女の子が生まれていた。アオノ夫妻はそれまで住んでいたアパートの契約が切れたため、紆余曲折の末に、ヤマダくんの所有する2軒目のシェアハウス『バーデン-K』に一時的に入居している。ただし、『バーデン-K』のコンセプトは「女性専用シェアハウス」であり、妻子はともかく成人男性であるアオノさんまでがそこに住むのはあくまで暫定的措置であった。
 幸いというべきか、アオノさんは『バーデン-K』の先住入居者からは好意的に受け入れられており、先日の豪雨の際には男性ならではの活躍を見せて大いに賞賛された。アオノさん本人も期待されている役割を完璧に果たしてくれていたのだが――だからといって、このままずっと住んでもらうわけにもいくまい。入居者の入れ替わりは当然予想されるし、ましてシェアハウスは「入退去が簡単」であることが当たり前の居住形態だ。今の入居者が退去したとき、新たに入居する人が、「女性専用シェアハウスのはずなのに、男性の入居者がいる」というイレギュラーな状況を受け入れてくれるとは思えなかった。
 だからこそ、できるだけ早く新たな物件を見つけ、「子育てシェアハウス」の開設にこぎつけなければならなかった。それに――何より、ヤマダくん自身が困るのだ。
(「子育てシェアハウス」ができなければ、いつまで経っても結婚できないじゃないか……!?)
 ヤマダくんとワタナベさんは、つきあい始めてかれこれ7年目になる。ヤマダくんが最初に立ち上げたシェアハウス『バーデン-H』で一緒に暮らすようになってからでもまるまる6年が過ぎ、すでに正式なプロポーズも済ませており、お互いに結婚の意志は固い。なのに、いまだに結婚も入籍もしていないのは、婚約者であるワタナベさんの希望である「結婚しても、子どもが生まれても、ずっとシェアハウスで暮らしたい――」という夢を叶えてやりたいと願っているからだ。
「子育てシェアハウス」立ち上げの同志となる3組のカップルが集まったとき、本来であれば、アオノ夫妻の出産前に物件を立ち上げ、ノゾミちゃんもそこで育てられるはずだった。そうなれば、ヤマダくんたちにしても、結婚式はともかく、今ごろ入籍くらいはしているはずであった。それができていないのは、すべて自分が不甲斐ないせいだ――とヤマダくんは思い悩んでいた。
 そこへもってきて、今回、イシザキ夫人までも妊娠したという。今度こそ、出産よりも前に物件を見つけ、ハウスを立ち上げておかなければなるまい。ノゾミちゃんや、生まれてくる赤ん坊を安心して育てられる環境を用意する責任があるのだ。
「――そういえば、聞くのを忘れてた。それで、予定日は……?」
 少々間の抜けた質問だったが、奥さんの懐妊でハイになっているのか、イシザキくんは気にもしていないようすで答えた。
「やだなあ。まだ2ヶ月目ですよ。順調にいけば来年の5月下旬くらいでしょう」
「わかった。お大事に……じゃないな。奥さんを大事に、いたわってあげなよ」
 言わずもがなのセリフだったが、イシザキくんは頓着しない。
「もちろんッスよ。――それじゃ、とりあえず次の内見のときはたぶん自分ひとりで伺います。ヨメさん同行するのは、できれば安定期に入ってからってことで」
「了解、了解。アオノさんにはイシザキくんから直接伝えた方がいいよね?」
「週明けに職場で報告しますよ。――それじゃ、また連絡ください!」
 そう言って、イシザキくんはスムーズに二人分のレシートを手に取って立ち上がった。ヤマダくんはとっさに止めようとしたが、
「今日はこっちが呼び出したんですから、どうぞお気遣いなく――」
 如才なく笑って、イシザキくんはそのままレジに向かって立ち会った。
 取り残されたヤマダくんは、すっかり氷の溶けたアイスコーヒーの残りを飲みのみ、シートにぐったりと身を沈めた。もちろん、おめでたい話には違いない。大いに祝ってやりたい気持ちもまぎれもなく本心だったが――同志のカップル3組の中では唯一未婚組のヤマダくんたちにすれば、プレッシャーを感じずにはいられない。正直、いささか気が重くなってきているヤマダくんだった。
(つづく)

ログイン

ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失


シェアハウス大家さん
倶楽部(無料)

シェアハウスで不動産投資に踏み出すサラリーマンやOLの皆様を応援する会員制プログラムです。ご登録いただくと各種不動産投資情報やサービスを無料提供致します。
入会申込(無料)