第69話 ヤマダくん、調子づく!?

「とりっかーとりー‼」
 だしぬけに、舌っ足らずな甲高い声に出迎えられ、ヤマダくんは思わず玄関の引き戸に手をかけたまま、三和土の上で固まった。
 目の前の上がり框に、血みどろの蒼白い顔をした小さな怪物が立ちふさがっている。
 側頭部に小ぶりの手斧のようなものが突き刺さっていて、斜め上に飛び出した長さ10センチほどの斧の柄が、怪物が身動きするたびに小刻みにプルプル震えていた。あちこちすり切れてボロボロになった幼児服に身を包んでいるが、側頭部の傷口から流れ出したということか、全身の至るところに赤茶けた血しぶきが染みをつくっていた。
 まあ――ひとことで言って、ムダに凝りすぎの装束である。
「…………とりっかー…とり?」
 黙りこんでしまったヤマダくんを訝しむように、怪物はやや自信なさげに、さっきと同じ言葉をくり返してみせた。
(ああ……なるほど)
 ここでようやく、相手が何を言っているのかを察したヤマダくんだったが――。
(さーて……どう返したもんか……?)
 ――迷っていた。
 いや、もちろん意味はわかる。どう対応するべきなのかも知ってる。じつを言えば、肩から下げたトートバッグの中には「そのための用意」もしてあった。とはいうものの――相手に対してかけるべき言葉がとっさに出てこなかったのだ。
 英語で返すのが作法か?
 それとも、ここは日本語にしておいた方が無難か?
 何か、決まり文句みたいな定番の返しはあったっけ?
 ――けっきょく、パニクったヤマダくんの口から飛び出したのは、あながち間違いとは言えないものの、このシチュエーションには微妙にそぐわないフレーズであった。
「ハ、………ハッピー・ハロウィン――?」

 厳密にいえば、ハロウィンはとっくに終わっている11月最初の週末――。
 ヤマダくんはひさしぶりに『バーデン-K』に足を運んでいた。代理シェアメイトリーダーとして、本来は女性専用シェアハウスである『バーデン-K』にただひとり入居を許された成人男性、1号室のアオノさんを訪ねてきたのだ。
 玄関先でヤマダくんを出迎えた小さな怪物の正体は、言うまでもなく5号室のキムラさんの長男アキヒロくんである。頭に刺さった手斧は既製品のチープなパーティグッズで、斧の飾りのついたカチューシャを嵌めているだけだが、血まみれの衣装や蒼白い顔のメイクは母親のキムラさんのお手製らしい。シングルマザーとしては、我が子に引け目を感じさせたくないという思いもあるのかもしれないが、凝り性というか、なんというか……。
(そういや、何年か前、『バーデン-H』に怪談ブームが起こったのも、キムラさんが火付け役だったっけ……)
 ヤマダくんはそんなことを思い出して納得する。怪談好きとホラー映画好き、それにコスプレ好きを十把ひとからげにするのはどうかと思うが――ともあれ、アキヒロくんの仕掛けた「トリック・オア・トリート?」に対して、ヤマダくんの反応はいささか間の抜けたものだったようだ。
「――さすがにあの場合、『ハッピー・ハロウィン』はないと思うよ?」
 ヤマダくんから話を聞いたアオノさんは、即座に言ったものである。

 ――『バーデン-K』の1号室。
 アキヒロくんにお菓子の包みを渡して下がらせ、ヤマダくんはアオノさんと差し向かいでちゃぶ台に座っていた。アオノ夫人はちょうど、長女のノゾミちゃんを連れて買い物に行っているそうだ。
「……じゃ、どうするのが正解だったと?」
「そりゃまあ、わっと驚くなり、ギャッと怖がるなり……」
「? そんなんでよかったんですか……?」
「子どもが期待するのは、大人が驚いたり、怖がったり、そういう普段は見られない反応を見せてくれることなんだよ。――ま、それはいいんだけど……」
 アオノさんはそう言ってから、少し言いよどんだ。ヤマダくんが視線で続きを促す。
「――いやね…………よそんちの子育てに文句をつける気はないんだけどさ。……うちのノゾミには、できればああいう格好はしてほしくない、というか……」
 万事において公明正大で、個人の自由を尊重するタイプと思っていたアオノさんの口から、キムラさん母子への批判ともとれる発言を聞いて、ヤマダくんは一瞬目をみはった。やはり、子どもができると人は考え方が変わるものなのか。それとも、自分が見抜けなかっただけで、もともとこういう人だったのか? いつぞや、ワタナベさんに指摘されたヤマダくんはそんなふうに感じたものだが――アオノさんは続けてこう言った。
「…………ま、まあ……ハロウィンなんて、つい最近まで日本になかったもんだし――」
 その言葉で、ヤマダくんは少し腑に落ちた気がした。アオノさんとヤマダくんは、年齢的には5歳と離れていないのだが、アオノさんは1970年代生まれ、ヤマダくんは1980年代生まれになる。肉体年齢差はそれほど考慮に入れなくてもいいのだろうが、世代による考え方の違いというのは思ったよりも大きいのかもしれない……。
 ヤマダくんたちの世代にとって、ハロウィンは一応、10代の頃から馴染みのあるイベントだ。それに対して、アオノさんたちはようやく20代になってから体験したという世代である。「抵抗感」といったら言い過ぎだろうが、アラフォー世代にとってハロウィンという西洋の風習は、無条件に受け入れるには少々心理的ハードルが高いのかもしれない。
「――そんなこと言ったら、バレンタインもクリスマスも同じでしょ? それこそ、恵方巻だって、もともとは関西限定の風習だったわけですし……」
 ハロウィン論争では定番ともいえるコメントを持ち出してアオノさんの反論を封じると、ヤマダくんはやや表情を引き締めた。今日は、アキヒロくんのコスプレを見にきたわけでも、アオノさんとハロウィン談義を交わしにきたわけでもない。
「それはそうと……アオノさん」
 口調のわずかな変化を感じ取って、アオノさんも神妙な面持ちになる。
「来週末か、その次の週末……ノゾミちゃんをどこかに預かってもらえませんかね――?」

 さすがに、ヤマダくんのこの質問は唐突過ぎた。普通に考えて、ハロウィンがどうのという雑談から、0歳児の赤ん坊を預かってもらえるかどうかという話にはなかなかつながらないだろう。そもそも、アオノ家が簡単に子どもを預けられるような環境だったら、ヤマダくんの「子育てシェアハウス」構想に賛同することもなかっただろう。
「…………?」
「……ああ、すいません。要するに、奥さんと一緒に時間をつくれないかということなんですけど」
「つまり、内見――?」
 唐突な話題の転換にようやく理解が追いついたのか、アオノさんの目が鋭くなった。ヤマダくんが頷くと、すかさず、畳みかけるように訊いた。
「場所は?」
「それが、2ヶ所ありまして――1軒はちょっと離れてるんですけど……」
「わかった。ヤマダくんのおススメは、そっちの遠い方なんだね?」
「え?」
 ズバリ言い当てられて、ヤマダくんは一瞬唖然となった。事前に予断を与えないように、実際に現地を見てもらうまで彼自身の意志は伏せておこうと考えていたが――アオノさんの指摘した通りだったのである。
「候補が2つあって、どちらとも決めかねているということはわかる。それでいて、女性陣まで引っぱり出すということは、かなり本気度は高い。時期的なことからしても、さすがに今回で決めてしまいたいという強い意志が感じられる。ノゾミを連れて行きたくないというのは、行き帰りに時間がかかり過ぎるから気を遣ってくれたんだろ? だったら、その時間のかかる遠くの方の物件が本命だろうと見当はつくよ」
 名探偵の謎解きよろしく、アオノさんは論理的に解説してみせた。言ってることはいちいちごもっともなのだが――言い方がちょっと「中二病」っぽく聞こえなくもない。というか、これ絶対ドヤ顔で言ってるだろ――と思うヤマダくんだったが、もちろん口に出してはそんなことは言わず、
「……さすがですね」
とだけ返すにとどめた。
「――期待していいんだろうね?」
「………………」
 アオノさんのそんな念押しにも、ヤマダくんは言葉で答える代わりに、黙って正面から会心の笑みを向けるだけだった。ことさら頷いて見せることもしなかったが、ヤマダくんの意志は目を見ただけで十分伝わったらしい。アオノさんもまた、にっこり笑って言った。
「ならよかった。……来週末だったら、ノゾミのこと、たぶん頼めると思うよ」
「わかりました。では、来週ということで調整お願いします」
 ヤマダくんは一礼して立ち上がりながら言った。
「まあ、遠いとはいっても、ここや『バーデン-H』に比べたら、ということですけどね。………あ。それと、当日はイシザキくんがクルマを出してくれるそうです」
 言葉の端々に自信のほどをうかがわせるヤマダくんに、
「それはよかった。今から楽しみにしてますよ」
 と、まずは素直に労をねぎらったアオノさんだったが――調子づいたヤマダくんが、
「――たいへんお待たせいたしました」
 そう余計なことまで口に出したものだから、
「そういうことは、全部決まってから言うもんだよ」
 年長者として、そう釘を刺さずにはいられないアオノさんだった。
(つづく)

ログイン

ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失


シェアハウス大家さん
倶楽部(無料)

シェアハウスで不動産投資に踏み出すサラリーマンやOLの皆様を応援する会員制プログラムです。ご登録いただくと各種不動産投資情報やサービスを無料提供致します。
入会申込(無料)