第70話 ヤマダくん、得意絶頂!!

「準備できたの――?」
 クリスマスにはまだだいぶ間があったが、その問いかけはまるで、パーティの準備を確認するかのようなうきうきした口調だった。
「ああ。あとはこいつを――」
 パラッ――と乾いた音を立てて、ヤマダくんは右手に持っていた紙をテーブルの上の書類の山の一番上に載せた。それから両手で書類を束ね、底をトントンと天板に打ちつけて向きを整えると、クリップで上端を挟む。必要書類の最終チェックはすべて問題なし――だ。
「――銀行に持っていきさえすれば、手続きはすべて完了だよ」
「……いよいよね」
 夢見るようなうっとりした口調で、ワタナベさんがつぶやく。婚約者のその言葉は、ヤマダくんにとってもまったく同感だった。
 12月上旬の平日――関東地方は季節外れの陽気に包まれていた。
 この日、ヤマダくんとワタナベさんは。揃って有給休暇を取得していた。勤め先の繁忙期はもうしばらく続くが、彼らのいる部署に関しては業務が一段落していたので、こういうことも可能だったのである。
「――そっちの準備は?」
「大丈夫」
 そんな事務的なやりとりさえもが、この日に限っては妙に甘美な空気を漂わせている。無理もない。この日は、ふたりにとって特別な一日なのだから――。

 ちょうど一ヶ月前――ヤマダくんとワタナベさん、それにアオノ夫妻とイシザキ夫妻の総勢6人から成るメンバーは、イシザキくんの運転するワンボックスカーで隣県のT市へ赴いていた。目的地の最寄り駅であるS-駅は、ヤマダくんたちの暮らす『バーデン-H』のあるH-駅からだと7駅ほど先になる。ヤマダくんとしては電車で行ってもよかったのだが、イシザキ家からだと少々遠いのと、どうせなら現地で足があったほうがいいということで、イシザキくんがクルマを出すことにしたのだ。イシザキくんにしてみれば、妊娠3ヶ月だという奥さんの身を気遣って、という思いもあったのだろう。
 秋晴れの好天気だった。
 道路沿いの紅葉に目を楽しませながらの道中、一行は快適なドライブを楽しんだ。
 やがて、目的地に到着すると――。

「――おお……!」
 すでに現地を実見済みのヤマダくんを除いた5人の口から、異口同音に感嘆の声が漏れた。彼らの好意的な反応に満足したのか、いささか得意げな笑みを浮かべてヤマダくんは言った。
「――どう……かな?」
 一応は質問の体を装っていたが、ニュアンスは質問ではなく、むしろ念押しに近い。5人の誰からも異論が出ないことを確信し切った口調であった。
 それは――さしずめ、ちょっとした?邸宅?であった。
 豪邸といったらさすがに言い過ぎだろうが――100坪ほどの敷地をブロック塀で囲んだ庭付きの二階建て住宅で、ガレージまで付いている。正面に鉄製の門扉を構え、庭には晩秋にもかかわらず青々とした芝生が植えられていた。大企業の社長宅とまではいかないものの、重役クラスが住んでいてもおかしくない規模と重厚な造りであった。
「ここ……? ――マジで?」
 圧倒されたようにイシザキくんが呻く。声にこそ出さないが、アオノさんの表情もまったく同様であった。彼らの傍らで奥さんも目を見開いたままだ。写真ですでに見ていたワタナベさんでさえ、目の当たりにした実物の迫力に言葉を失っている。
「――中に入ろうか……?」
 5人の表情を満足げに観察していたヤマダくんが、おもむろにそう促した。

「コレクティブハウス――って聞いたことあるかな?」
 一行を先導しながら、玄関先でヤマダくんが言った。
「まあ、シェアハウスの一種というか、シェアハウスであることには違いないんだけど……」
 玄関の幅は広く、5人が横並びで靴を脱げるほどだった。ひと足先に靴を脱いだヤマダくんは、上がり框に置いてあった安っぽいスリッパに履き替えると、残りのメンバーのためにスリッパを並べながら説明を続ける。
「簡単に言えば、複数世帯が共同で暮らせる、プライベート部分の独立性の高いシェアハウスのことを、最近ではコレクティブハウスと呼ぶらしい」
 おっかなびっくり、ワタナベさんたちが全員スリッパに履き替えたのを見届けると、ヤマダくんは先に立って家の中に踏み込んでいく。
「そういう用途の物件、ということで探していたら、ここを紹介されたんだ」
 ヤマダくんの説明は、要するにこういうことだった。
 ――それまで、「子育てシェアハウス」というコンセプトを一から説明したり、それに対応可能な物件ということでいろいろ条件を言って探してもらっていたが、どうにもラチがあかなかった。つまりは、不動産屋とヤマダくんの間で共通の認識が持てなかったことがミスマッチの原因の一つだったらしい。そんなとき、たまたま「コレクティブハウス」という新しい概念の存在を耳にしたヤマダくんは、「それって、自分たちが探していた『子育てシェアハウス』そのものなんじゃ……?」と気づき、不動産屋にそう訊いてみることにしたという。すると、「コレクティブハウス」を商品化している某ハウスメーカーと取引のあったある不動産屋から「ここはどうか?」ということで紹介されたのがこの物件であった。
 この物件について言えば、そのハウスメーカーの商品そのものではなく、もとは個人宅であったらしいが、建物も築2年ほどでまだ新しく、土地も 区画分譲するにはやや中途半端であったため、処分に悩んでいたのだという。
「これで、もう少し都心寄りだったら、さっさと更地にして、30坪前後の建売住宅を3棟建てても、即完売だったんですけどねぇ……」
 不動産屋はいかにも未練がましくそんなことを口にしたが、ヤマダくんにしてみれば願ったり叶ったりの条件であった。その場で現地案内を申し込み、まずは単身でじっくりと物件を見せてもらってから、この日のメンバー全員での内見を計画したのである。
 建物は全部で8部屋あり、1階に共用のリビングとダイニングキッチン、小部屋が3室。2階は大部屋が3室あり、1世帯が2階と1階に各1室ずつ専有できる。階段は左右に2つついていて、2階中央の部屋へはどちらの階段からも行ける。また、2階の大部屋は分割することも可能なので、1世帯が最大で3つの個室を持つことができ、寝室と夫婦それぞれの部屋にするもよし、将来は子ども部屋にするもよし、各世帯がそれぞれ相談して好きなように使えばいい。個室にはそれぞれカギを付けてプライバシーもしっかり確保できる。
「トイレは1階と2階に1つずつあるけど、もう1つ増やしてもいいかな。あと、バスルームは現状1ヶ所だけど、これは増やすつもり。それと、必要なら各専有部に簡易キッチンをつけることもできるよ。なんにせよ、内装工事は必要だから、入居できるのは早くても来年の1月末頃に――」
 ぺらぺらと熱に浮かされたように話し続けていたヤマダくんは、そこでふと我に返った。そう言えば、すっかり決まったつもりになっていたが、他のメンバーの意見をまだ聞いていなかった。みんな賛成だと頭から思い込んでいたのだが、はたしてどうなんだろう……?
 急に不安がこみ上げてきて、今さらのように、おそるおそる5人の顔色を窺ってみる。
 が――ヤマダくんの心配は杞憂であった。
「2階の部屋って、真ん中が一番広いんですよね。やっぱりヤマダさんたちがそこに――」
「いえいえ、アオノさんのとこが一番お子さんが大きいわけですから……」
「大きいったって、うちのノゾミはまだ……ほら、イシザキさんとこは男の子かもしれないし――」
「やっぱ、ひと部屋は畳敷にしたいっスよね!」
「だったらリビングを畳にして、掘りごたつにするのはどうかな? いや〜、今のハウスですっかり掘りごたつにハマっちゃってさ――」
 女性陣も、男性陣も、すでにここでの暮らしを思い描きながら、口々に思いつくままプランを語っていた。どの顔を見ても、ここに住むこと自体に迷っているようすはなかった。
(――どうやら、ここで決まりのようだな……)
 ヤマダくんは心の底から満足げに頷いた。そして、この物件を見つけたことに、得意絶頂になっていた。

 そして、それから1ヶ月後――。
 ヤマダくんとワタナベさんは、契約調印のためにローンを組む銀行へ出かけていく。
 この物件に関わるもろもろの手続きが完了した後――ふたりは、「もうひとつの大事な手続き」のために、最寄りのT市役所に立ち寄ることになっていた。
(つづく)

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