第71話 ヤマダくん、華燭の典!

「本日はご多忙のところ、お集まりいただきまして誠にありがとうございます――」
 そんな、改まったおきまりの挨拶は、狭い会場に押し込まれた人々の歓声と笑いの渦にたちまちまぎれてしまう。つい数時間前までの厳粛な空気はかけらもなく、誰もが心の底からリラックスした和やかな雰囲気に満ちあふれていた。
 会場の隅に設けられたささやかなステージに立つ、“本日の主役”のふたりも、いつもに比べればフォーマルな装いとはいえ、先刻まで身につけていた盛装はとうに脱ぎ捨てていた。ヤマダくんはノータイで黒のジャケットにスラックスという姿。ジャケットの胸から申し訳のように白いポケットチーフを覗かせている。そして、その傍らに寄り添うワタナベさん――今日からは晴れてヤマダ夫人は、大胆に肩を露出したシンプルなデザインのパーティドレスに身を包んでいる。
「――お陰様で本日、私たち夫婦は式を挙げさせていただきました。皆様、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます」
 緊張にややかすれ気味の声で宣言すると、居並ぶ列席者から一斉に拍手が沸き起こった。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!!」
「よかった、よかった!」
「ワタナベさん、素敵!」
「お幸せに!!」
 口々に祝福の言葉が投げられ、会場はひとしきりどよめいた。

 1月末の土曜日、友引――。
 ヤマダ家とワタナベ家による結婚式はこの日の正午、厳かに挙行された。
 もともと、ふたりが結婚することは両家の間で既定事項であり、前年の秋口には親族顔合わせによる食事会などもひっそりと催されていたのだが、それにしても、挙式まではあまりにもスピーディな展開だった。通常なら最低でも半年前に式場の予約、それから衣装合わせやら招待状の発送やら細々とした雑務が山ほどある。ヤマダくんもその程度の常識はあった。そこで、12月上旬に新居となる「子育てシェアハウス」――仮称『バーデン-S』――の契約を済ませた帰りがけ、T市役所に婚姻届を取りに行くと、ふたりは両親に「結婚します」との報告を入れたのだが――この報告を聞いたワタナベ氏の対応はいささか予想外だった。と、いうのは……。
 挙式の時期について訊ねられたヤマダくんは、なるべく早いうちに――という程度のニュアンスで「できれば半年後くらいには……」と答えたのだが、ワタナベ氏はこれを(娘は妊娠している=出来婚!?)と早合点してしまったのだ。新婦が妊娠しているなら、無論、式は可能な限り早いほうがいい。そこで、あらゆる手段を使って式場の予約を取りつけ、わずか1ヶ月半後の挙式の段取りを組んでしまったのである。
 もちろん、それにはそれなりのツテもあったし、また幸運にも恵まれた。新婦であるワタナベさんの叔父――ワタナベ氏の義弟が結婚式場のオーナーであり、スケジュールにある程度の無理が利いたことに加え、たまたまこの日は1ヶ月前に予約のキャンセルが1件出ていた。ただし、時間枠は正午から3時間と決まっていたから、そこに合わせて招待客を調整し、式場も披露宴会場もキャンセル空きに合わせて設定した。この時点で式は親族のみ、披露宴はそれにプラス、ふたりの勤務先の上司のみに出席者を絞り込んだ。同僚や友人たちを招待するのは、別に会場を借りて二次会で、ということにしたのである。婚姻届を取ってきた段階では、ヤマダくんは「ひとまず、入籍だけは済ませておこう……」というくらいのつもりだったのだが、挙式が早まったことを受けてワタナベさんが「結婚記念日が2回あるのもおかしいし……入籍は挙式と同じ日にしようよ」と言い出し、けっきょく、役所に届けたのはこの日の朝であった。
 ちなみに、新婚旅行はなし。ようすを見ていずれ1年以内には――というのがふたりの暗黙の約束だった。当面は仕事もあるし、結婚後の新居となるT市の「子育てシェアハウス」の内装工事もまだ完了していない。式前日の金曜日と週明けの月曜日こそ慶弔休暇を取得していたものの、翌火曜日からしばらくの間は、ふたりは従前通り『バーデン-H』から会社に出勤することになっている。

 ――厳粛な結婚式、それに続いての格式ばった披露宴を終えて、さすがに緊張疲れした新郎新婦は、そそくさと着替えると二次会の会場に移動することにした。
 フロントで新婦の叔父――今日からは新郎のヤマダくんにとっても遠縁の親戚となる――式場のオーナーに感謝を述べ、改めて祝福の言葉を受けて、ふたりは用意されたタクシーに乗り込んだ。
「なんか、まだあんまり実感わかないな……」
 ぼんやりした口調でヤマダくんが言うと、隣のシートの新妻は優しく諭すように言った。
「そんなこと言ってらんないでしょ。アオノさんやイシザキさんたち、さんざんお待たせしちゃってるんだし」
 新たなシェアメイトたちへの配慮の言葉は、ふたりの結婚式の準備のために、新居の準備が少々遅れてしまっていたからだ。11月の内見のときには、入居時期を「早くても1月末」と言ってしまったが、実際にはまだ内装工事にかかったばかりで、入居できるのは3月下旬から4月頭までかかりそうだ。イシザキ夫人の出産予定日にはまだ間があるが、下手をするとアオノ家のノゾミちゃんは、満1歳の誕生日を現在の『バーデン-K』で迎えることになりかねなかった。
「――アオノさんといえば、『バーデン-K』の後任のシェアメイトリーダーのことも考えなきゃな。元通りサクライさんに戻していいものかどうか……?」
 元オーナーでもあるサクライさんは面倒見のいい姉御肌だが、いささか独断専行の気味があり、これまでにもヤマダくんはさんざん振り回されてきた。できれば別のリーダーを立てたいところだが、さりとて他の入居者の中に候補者がいるわけでもない……。
「……それと、『バーデン-H』の次の入居者募集の件もね。わたしたちが引っ越したら一気に2部屋空いちゃうわけだし」
 そう――それも懸念材料のひとつだった。空室募集だけでなく、オーナー兼シェアメイトリーダーであるヤマダくんが遠くに離れることで、ハウスの管理もこれまで通りにはいかなくなるだろう。現在の入居者はいずれも古株で、信用に足る気心の知れたメンバーだったが、自分たちが不在のハウスをうまく運営していくことができるだろうか。
「――まあ、そのあたりのことはオオシマさんともよく相談して、おいおい決めていけばいいか……」
 ヤマダくんはそう言って、ひとまず議論を打ち切った。少なくとも、結婚式当日に新郎新婦が額を突き合わせて悩む事柄でもないだろう。
 そうこう言っている間に、タクシーはあらかじめ指定しておいた二次会会場の前に到着する。式場で手渡されたチケット――これはオーナー氏の心づくしである――をドライバーに渡して、ふたりはタクシーを降りて会場に入った。

 二次会の会場となったのは、個人経営のレストラン。無論、本日は貸し切りである。集まってくれたのは、新郎新婦の気のおけない友人たちばかりだ。
 それぞれの学生時代のサークル仲間。披露宴に来られなかった職場の同僚たち。そしてもちろん、現在の『バーデン-H』『バーデン-K』のシェアメイトたちと、アオノ夫妻をはじめ歴代のシェアメイトたち。ヤマダくんが初めて入居したシェアハウスのメンバーもいる。一つ屋根の下に暮らしていた頃には、ときに些細なトラブルを起こしたこともないではなかったが――今はこうして、ふたりをあたたかく祝福してくれている。
「おめでとう。今日はお招きありがとう」
 にこやかにそう言ったのは、かつて『バーデン-H』の102号室に入居していたカワムラくんだ。ヤマダくんとは最初のシェアハウス時代からのつきあいであり、アオノさんあたりからは「山・川コンビ」と呼ばれていたものだ。
「ご結婚おめでとうございます! すごくお似合いのカップルでうらやましいですぅ」
 そう言って瞳をうるうるさせたのは、同じく『バーデン-H』の202号室の住人であったマナセさんだった。かつてはヤマダくんに一方的な想いを寄せてきた声優のタマゴであったが、そんな黒歴史はすっかり忘れたように自分の近況を報告する。なんと、4月スタートのある深夜アニメで準レギュラーの役を射止めたらしい。会場内に何人かいる声優ファンの招待客が、彼女を指さして何やらヒソヒソささやき合っているのが見えた。
「おめでとうございます。私みたいな者まで招んでいただけるなんて……」
 これは、元『バーデン-H』の205号室のヨシザワさん。全部で9人いるハウスの開業メンバーのひとりだが、同時に退去者第1号でもあり、退去後はすっかり疎遠になっていた。一応は招待してみたものの、まさか来てくれるとはヤマダくんも正直思っていなかったのだが――こんなふうに何のわだかまりもなく祝福してくれるとは意外であった。
「――みんな。今日は、本当にありがとう!」
 堅苦しい挨拶は最初だけで、ヤマダくんはすっかり砕けた口調になっていた。
 かわるがわる近づいてきては、心からの祝辞を述べ、乾杯を求めてくる仲間たちに囲まれて――ヤマダくんは今、幸福の絶頂にいた。
(つづく)

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