第72話 ヤマダくん、秘策を授けられる!?

「ええと、今週末に荷物の搬入……ですか?」
 ちょっと意表を突かれた感じで、ヤマダくんはとまどい気味に相手の言葉をくり返した。
「うん。もちろん、本格的な引っ越しは月末になるけど――その前に、大きい荷物だけでも運んどいたほうが、あとあとラクだと思うんだ」
「……なるほど」
 理由を聞けばいかにも合理的であり、異論をはさむ余地はなさそうだった。ヤマダくんは大きくひとつ頷き、それからふと、思い出したように相手に訊いてみた。
「それはいいんですが……アオノさんのとこ、そんなに大きい荷物ありましたっけ?」
 ヤマダくんがそう言うのは、自分自身の身の回りを考えてみたからだ。基本的に、シェアハウス住まいの人間は私物がきょくたんに少ない者が多い。断捨離、というワケでもないのだが、何かあれば身ひとつ――とまではいかなくても、せいぜいカバンひとつで気軽に引っ越しできるくらいの分量しか持っていない。シェアハウス暮らしを始めてかれこれ7年半のヤマダくんでそうなのだから、彼よりもっとシェアハウス暮らしの長いアオノさんにしてみれば、引っ越しに苦労するほど大きな荷物をそんなにたくさん抱えているとも思えなかったのだ。だが、アオノさんはニヤニヤ笑って応えた。
「ヤマダくんもじきにわかると思うけど……結婚すると、いろんなモノを巣に貯め込みたがる習性が女にはあってね……」
 今度は声には出さずに、ヤマダくんは(なるほど……)と頷いてみせた。

 3月上旬の週末――ヤマダくんはひさびさに『バーデン-K』を訪れていた。
 年末年始は結婚式の準備に忙殺されていたし、ようやくそちらが片づいた後も、正式名称『バーデン-S』と決定したT市の「子育てシェアハウス」の内装工事の立ち合いやら、役所関係の手続きやらで何かと忙しかった。そのため、すっかり後手後手に回ってしまっていたのだが――『バーデン-S』が完成すれば、アオノさん一家は当然そちらへ引っ越すことになる。すると、『バーデン-K』の1号室が空室になるだけでなく、何かと頼りになるシェアメイトリーダー役が不在となってしまうのである。
 今のところ、オーナーであるヤマダくんたちは『バーデン-H』に住んでいるから、その気になればものの30〜40分で『バーデン-K』に駆けつけることができる。緊急時なら、クルマを飛ばせば10分少々だ。だが、この先彼らが『バーデン-S』に引っ越すと、どんなに急いでも2時間以上はかかってしまうことになる。もちろん、その程度の距離なら、何の問題もない時期であればとりたてて心配することもないのだろうが……。
 とりあえず、現シェアメイトリーダーのアオノさんだけに声をかけたヤマダくんは、ハウスから徒歩10分ほどの距離にある喫茶店に移動してから、おもむろに用件を切り出した。
「……じつはちょっと、ご相談がありまして」
「なに? 改まって……」
 アオノさんは心持ち、姿勢を正しながら続きを促す。時期からいっても、ヤマダくんの表情からいっても、どうやらかなり真剣な用件であると悟ったようだ。
 注文したコーヒーがテーブルに届くのを待ち、ヤマダくんはひと口啜って気を落ち着けてから、さりげなく本題に入った。
「……最近、サクライさんのようすはどんな感じですか?」
「どうって……あいかわらずっちゃ、あいかわらずだけど?」
 唐突な質問に、当たり障りのない答えを口にしながら、アオノさんは、はは〜ん……という表情を浮かべた。
「うちが引っ越した後の、『バーデン-K』のまとめ役をどうするか、って話だろ。……まあ、順当ならサクライさんを1号室に戻して元通りリーダーをやってもらうのが筋だろうな」
「それはもちろん、そう思ってます。たぶん、それが一番波風立たない方法だろうと……」
「……と、いうことはだ」
 アオノさんは打てば響くように反応した。
「――つまり、ヤマダくんとしては、その方法に反対な訳んだね」
 ヤマダくんは一瞬、言葉に詰まった。図星だったからだ。去年、アパートの退去を迫られていたアオノさんを『バーデン-K』に迎え入れたのは、緊急避難の意味もあったとはいえ、サクライさんの独断専行ぶりに腹を立てたから、という理由が少なくなかった。
 サクライさんはもともと、『バーデン-K』の前身である古民家再生シェアハウスのオーナーであり、さらに言うなら、シェアハウス化する以前からこの物件の持ち主にして先住者である。生まれたときからこの家に住み続け、父親から相続してシェアハウスに改装した、ヌシのような存在である。今でこそ、土地・建物の権利はヤマダくんが買い取っているものの、たとえばサクライさんの意向を無視して壊したり建て替えたりすることは、いかにヤマダくんでも難しい。法的には問題ないとしても、道義的な部分でいろいろと引っかかるのだ。ましてや、悪質な家賃滞納などよっぽどの事情がない限り、サクライさんを強制的に退去させることは不可能に近かった。
「反対、とまでは言いませんが……正直、不安ではありますね」
 ヤマダくんは率直に本音を漏らした。このままアオノさんという重石が取れて、サクライさんが元の立場に戻ったら、彼女はまた好き勝手に振る舞いはじめ、入居者の選定やら家賃の留保やら、いろいろと困ったことをやりだすのではないかと――。彼女自身がオーナーであった頃はともかく、一入居者に過ぎない現在の立場でそれを始めようものなら、『バーデン-K』の秩序はたちまち崩壊してしまうに違いない。
 と――アオノさんが何やら思いついたように顔を上げた。
「……だったらさ。こういうのはどうかな――?」
 声をひそめてボソボソと何かを口にする。藁にもすがる思いで耳を傾けたヤマダくんだったが、話を聞くうちに、みるみる顔色が明るくなってきた。
「…………もちろん、僕の立場でどうこう指図できることじゃないけど。あくまで参考意見として、こういうやり方もあるよ、と――」
 アオノさんは恐縮したようにそうつけ加えたが、どうやらヤマダくんはすっかりその気になったようだ。
「この件は、ワタナ……いえ、妻にもよく相談してみます。ホントにありがとうございました!」
 お礼の言葉もそこそこに、ヤマダくんはあわただしく伝票を取って席を立った。アオノさんは飲みかけのコーヒーカップに視線を落とし、目を白黒させている。
「あ、すいません。どうぞごゆっくり飲んでいってください」
 まるで捨て台詞のように言い置いて、ヤマダくんは振り向きもせずレジへ直行した。

 ――その夜。
『バーデン-H』の101号室で、ヤマダくんは新婚ほやほやの妻――旧姓・ワタナベさん――と向かい合っていた。あと半月ほどで引っ越す予定とはいえ、昼間のアオノさんとのやりとりからもわかる通り、ヤマダくんの荷物はきょくたんに少ない。本と、必要最低限の衣類――特にかさばる冬物はクリーニングに出したり、一部は処分したりもしているので、部屋にあるのはスーツケースひとつに収まる程度の分量しかない――と、あとはノートパソコンやスマホなどの情報家電のみ。テレビや冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなどの生活家電はハウスに共用のものがあるので、自室用には持たない。本といってもマンガに文庫本が十数冊と、あとは雑誌くらいのもので、邪魔になるようなら古本屋に持っていくなり、資源ゴミとして処分してしまえばいい。
 そんなわけだから、ヤマダくんがわざわざ自室に彼女を呼んだのは引っ越しの準備のためではなかった。
「――今朝も言った通り、昼間『バーデン-K』に行ってアオノさんと話してきたよ」
「うん……」
「サクライさんのようすはあいかわらず――らしい。年も年だし、今さら考え方を改めるってことも期待できないんじゃないかな」
「それで――どうするの……?」
 不安そうな妻をなだめるように、ヤマダくんは落ち着いた口調で言った。
「アオノさんにも意見を聞かせてもらったんだけど――やっぱり、『バーデン-K』は手放す方向で考えたほうがいいんじゃないかと思うんだ……」
「………………」
 沈黙があった。
 もともと、「2軒目のシェアハウス」として『バーデン-K』の購入――前オーナーであるサクライさんからの譲渡――の話をヤマダくんに持ってきたのは、当時は婚約者であったワタナベさんであった。結果的に実現しなかったとはいえ、購入当初は月の半分は『バーデン-K』で暮らすことも想定していた。その意味からも、ヤマダくんより『バーデン-K』に対する思い入れは強いはずだ。
 しかし、現実問題として、「3軒目のシェアハウス」を手に入れ、夫婦そろってそちらで暮らすことになると、これからは『バーデン-H』と『バーデン-K』の2軒を遠隔管理しなければならなくなる。万事任せられるシェアメイトリーダーがいればそれも可能だろうが、サクライさんにその役回りは期待できそうもない……。
「私たちが手放したら……『バーデン-K』はどうなるの?」
「そりゃもちろん、買い手がつかなきゃ話にならない。そこで、アオノさんの授けてくれた“秘策”なんだけど……」
 ヤマダくんはにっこり笑って言った。
「サクライさんさえ『うん』と言えば、だけど――“彼女に買い戻してもらう”ことも考えているよ」
(つづく)

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