第80話 ヤマダくん、朗報!!

「――よっこら、せっ! と……」
 少々オッサンくさいかけ声とともに、イシザキくんが抱えた段ボール箱を玄関先の床に下ろした。買い出しに行ったクルマの荷台からここまで運んできた、24本入りの缶ビールのケースである。
「あ、ごくろうさん」
 玄関まで出迎えたヤマダくんが、ケースをえっちらおっちら奥の共用キッチンへ運ぶ。冷蔵庫の手前でふたたび床に置くと、バリバリ包装を解いてむき出しの缶ビールを冷蔵庫の奥から順番に詰めていく。大型冷蔵庫の半分近くが、たちまち缶ビールの大群に占領された。
 『バーデン-S』では1階の共用キッチンのほかに、3家の専有スペースにそれぞれ小さな簡易キッチンが付属していて、日常の食事は各家庭の生活リズムに合わせてそちらで準備できるようになっていたが、簡易キッチンにはコンロが2口しかないので、少し手の込んだ料理をするときや、合同で食事をするときにはこちらの共用キッチンを使うことになる。今も、コンロには大ぶりの寸胴鍋がかけられ、弱火でじっくりと煮込まれていた。共用キッチンの掃除は3家の持ち回りで月に1回程度だが、入居してまだ1年にもならないためか、今でもシンクの隅々まで新品同様にピカピカだった。
 缶ビールを残らず冷蔵庫に収納してしまうと、ヤマダくんは潰した段ボールを仮置き場に立てかけ、ふたたび玄関へ戻る。すでに、次のビールケースが2つ置かれていた。そこへ、新たな段ボールを抱えたイシザキくんが入ってくる。
「まだあるの――?」
 いささかあきれた口調でヤマダくんが問うと、
「ビールはこれで最後ッス。あと、日本酒とワインとウイスキーと――」
 都合4ケースもの缶ビール――じつに96本分である――のほか、大量の各種アルコール類をいっぺんに買い込んできたイシザキくんは、寒空にも関わらず腕まくりさえした格好で平然と答えた。

 1月下旬の週末――。
 ヤマダくんたちの暮らす子育てシェアハウス『バーデン-S』では、今夜のパーティの準備に余念がなかった。女性陣は、めいめい手分けして料理に勤しんでおり、ヤマダくんはリビングの片隅にいる幼い子どもたちのようすを見ながら、パーティ会場の設営――といっても、たいした飾りつけもないのだが――を担当していた。ついさっき、イシザキくんと一緒に買い出しに行っていたアオノさんが戻ったので、子守りの役目を交代して荷物の運び入れをしているところだった。
「ぱぱー、みてみて!」
 アオノ家のノゾミちゃんは、大好きな父親が帰ってきたのでさっそくじゃれついている。そのすぐそばのソファには、モコモコの産着にくるまれたイシザキ家のソウタくんがすやすや寝息を立てていた。男の子だからか、それとも両親から受け継いだ気質のためか、ソウタくんはあまり神経質なところがなく、近くでノゾミちゃんが声を上げてもわりあい平気で眠っていたのだが、アオノさんはさすがに気を遣って、はしゃぐノゾミちゃんをさりげなく宥めている。
 そんな、微笑ましい父娘の光景にそっと目をやりつつ――ヤマダくんは忙しく手を動かしながら、残りの搬入作業をてきぱきと片づけた。その片頬に、思わず知らず幸せそうな笑みが浮かんでいることに、ヤマダくん自身は気づいていなかった。
「――なんか、いいことあったンスか?」
 両手に数本の酒瓶入りのビニール袋を下げたイシザキくんが、廊下ですれ違いざまにヤマダくんにささやく。
 ヤマダくんは反射的に澄まし顔をつくって答えた。
「さあ……どうかな?」
 たったそれだけのやりとりだったが、イシザキくんは何やらピンときたようすで、黙ってニヤニヤしている。そんな顔をされると、ヤマダくんはますますムキになったように、ことさら無表情を装って言った。
「別に……たいしたことじゃないよ」

 否――じつは、「たいしたこと」だったのである!

 ――話は、1週間ほど前にさかのぼる。
 その日は、ヤマダ夫妻の結婚記念日であった。
ちょうど1年前のこの日、ヤマダくんたちは華燭の典を上げたのである。ひとつ屋根の下に暮らすアオノ家、イシザキ家も当然、そのことは承知していたが、当日は夫婦水入らずで祝い、1週間後の週末――すなわち、今夜だ――にハウス全体でパーティを開くという段取りになっていた。
 その日の夕食は、都心のレストランでディナーの予約を入れてあったのだが、ヤマダ夫人は乾杯のグラスに形だけ口をつけると、中身がそっくり入ったままのグラスをすっ、と夫に差し出した。
「――あなたが呑んで」
 酒豪でこそないものの、どちらかといえば「いける口」だった妻の突然の態度に、ヤマダくんはとまどった。
「しばらくは我慢しないとね――」
 ――その言葉の意味を理解するまで、しばらくかかった。
(…………そういえば)
 ヤマダくんは1ヶ月前のクリスマスパーティを思い出していた。あのとき、ヤマダくんは、彼の所有するもう1軒のシェアハウス『バーデン-H』のパーティに顔を出していた。その後、ハシゴしてこの『バーデン-S』のパーティにも合流したが、少なくともヤマダくんの目の前では、妻は一滴もアルコールを口にしていない。そのときには「合流するまでの間に、こっちはこっちで十分呑んだんだろう」と思い、さして気にも留めていなかったが……。
 その後、正月にお互いの実家を表敬訪問した際にも、妻は酒を口にしようとしなかった。もっとも、ヤマダくん自身はご機嫌で盃を重ねていたのだが、妻はもともと日本酒があまり好きではなかった。
 だから、気づかなかったのだ――そんな大事なことに。
 鈍いヤマダくんも、そのとき、ようやくそのことに思い至っていた。

「――えーっと、それじゃ、そろそろ始めたいと思います」
 午後6時――予定通り、パーティが開始された。
「ヤマダさん、奥さん、結婚一周年、本当におめでとうございまーす!!」
 イシザキくんの音頭に、主賓のふたりを除く全員が唱和した。
「おめでとうございまーす!」
「おめでとうございます!」
「おめでと!」
 グラスとグラスがぶつかる澄んだ音色がチン、チンと続く。ノゾミちゃんだけはプラスチック製のマグカップにオレンジジュースだが、大人たちはそれぞれ透明な液体を満たしたワイングラスを手にしている。グラスの中身は、この日のために用意したとっておきの白ワインだが、じつは、その中のひとつはミネラルウォーターである。
「ありがとうございます!」
 主賓のヤマダくんがまず返礼し、それから隣に座るもうひとりの主賓に目をやる。
 ミネラルウォーターのグラスを手にしたヤマダ夫人は、一瞬、はにかんだように目を伏せたが、やがて、意を決したように顔を上げた。
「じつは、今夜は皆さんにご報告があります」
 全員の視線がいっせいにヤマダ夫人に注目する。短い沈黙――。
「おm……ッ」
 お調子者のイシザキくんがフライングしかけるのを、隣席のイシザキ夫人があわてて制止する。見ると、アオノ夫人もにこにこしながら続きを待っている。さすがに女性陣は全員察していたらしい。アオノさんだけは、何ごとかと息を呑んでいた。
「……我が家にも、どうやら新しい家族が来てくれたみたいです――!」
 ヤマダ夫人はそう言って、自らの下腹部にそっと手を当ててみせた。
(つづく)

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