シェアハウス コロナ パーティ 子ども 緊急事態宣言 解除

第95話 ヤマダくん、爆笑する!?

「♪ハッピバースデー・ツーユー、ハッピバースデー・ツーユー……」
 調子っぱずれな上に、思いっきりカタカナ発音だったが、聴く者の頬をついついゆるませるような歌声だった。
「お、上手いな」
 目尻を下げて顔をくしゃくしゃにしながら、アオノさんがぽつりとつぶやく。親馬鹿まるだしの発言を咎める者は誰もいない。なぜなら、その場にいる全員が同じ感想を持っていたからである。
「つーゆー!」
 懸命に唱和する声は――こちらは歌にさえなっていなかったが――さらにその場の空気を沸き立たせる。たった1本のキャンドルではさすがに光量不足だったので、照度を落とした蛍光灯の下で、9つの影が拙い歌声に合わせてゆっくりと身体を揺らせていた。
「……♪ハッピバースデー・じあ・まゆちゃん、ハッピバースデー・ツーユー」
 名前のあたりになると発音はひらがなっぽくなったものの、幼い歌姫は何とか終いまで歌い切った。すかさず、拍手の波が沸き起こった。

 長テーブルの上座、いわゆる「お誕生日席」で母親の膝に抱っこされていたパーティの主役は、おもむろに、目の前に置かれた小さなケーキの上に灯るキャンドルの炎に息を吹きかける――もちろん、真似だけだ。1歳児の吐息では揺らぎもしないだろう炎を、実際に吹き消したのは背後の母親だったが――キャンドルが消えると、ふたたび、盛大な拍手が起こる。
 ――室内が明るくなった。
 壁際に立って蛍光灯の照度を通常に戻しながら、満面の笑みを浮かべたヤマダくんが言った。
「……誕生日おめでとう、マユ」

 ――ヤマダ家、アオノ家、イシザキ家の3世帯が暮らすシェアハウス『バーデン-S』の共有リビングには、この日、ひさびさに9人の住人全員が集結していた。
 長テーブルには所狭しと料理の皿が並べられ、大人たちの前にはそれぞれ複数のグラスが置かれている。子ども用のプレートには離乳食も用意されていたが、母親の手をわずらわせているのは最年少の――何しろ1歳になったばかりだ――ヤマダ家のマユちゃんのみ。2歳になったイシザキ家のソウタくんは、いささかあぶなっかしい手つきながら自分でスプーンを握っていたし、最年長であるアオノ家のノゾミちゃん――この春、3歳の誕生日を迎えていた――に至っては、自前の箸で大人たちと同じメニューをつついている。もっとも、箸の扱いにはまだまだ不慣れなようで、食べるうちにすぐ握り箸になってしまうのだが――ちゃんとした箸の持ち方は一応、教わっているようだった。
「――すごいねーノゾミちゃん。もう、お箸使えるんだ」
 目ざとくそれに気づいたイシザキ夫人が指摘すると、ノゾミちゃんは澄ましてこう言ったものだ。
「おねえちゃんだもん」
 微笑ましいやりとりに破顔したヤマダくんだったが、ふいに気づく。
 ――ちゃんと会話が成立している。
 いつの間にか、幼児語でなく、かなりしっかりしたコミュニケーションが取れるくらい、ノゾミちゃんは成長していたのだ。語彙もだいぶ増えてきたようだし、なんというか、その場のTPOまで理解しているかのようなやりとりができている。
(――子どもの成長って、本当に早いんだな……)
 初めて見たときには赤ん坊だったのに――と、当たり前の事実に今さらのように思い至って、しみじみと時の流れを感じるヤマダくんだった。

「――そろそろ、こっちを開けようか?」
 ブランデーのボトルの首をひょい、ともたげて、アオノさんが言った。
 ――パーティの開始から小一時間が過ぎ、子どもたちの姿はすでにリビングから消えていた。
 主役のマユちゃんは、30分もしないうちに母親の胸ですやすや寝息を立てていたし、すっかり乳歯の生えそろったソウタくんは、自分の離乳食を食べつくして大人用の皿にちょっかいを出し始めたところで、母親のイシザキ夫人のストップがかかった。ノゾミちゃんもおとなしく座っているのに飽きたらしく、いつの間にか庭の犬小屋で「バリー」――このゴールデン・レトリバー種の犬のことは、もはや命名者のヤマダくんでさえ「バーディ」とは呼ばなくなっていた――と遊んでいたようだが、ついさっき、母親のアオノ夫人に呼ばれて浴室に引き上げていた。
 そんなわけで、今リビングに残っているのは3人の父親だけだ。この『バーデン-S』に引っ越してきた当初は、月に1、2度こうしてテーブルを囲んで酒を酌み交わしていたものだったが、それもすっかりご無沙汰になっていた。
「――いいっスね、ひさしぶりだ……」
 アオノさんの誘いに応じて、イシザキくんが手早くブランデーグラスと氷を用意する。ヤマダくんは一度立ち上がって空いた皿を流しに運び、いそいそとリビングに戻ってくる。
「ヤマダさんはロックで?」
「もちろん」
 気心の知れた間柄だけに、余計なやりとりは抜きだ。めいめい、好みの量とスタイルのグラスが行き渡ると、イシザキくんが音頭を取る。
「……ほんじゃ、改めて」
「乾杯――」
 唱和する。
 しばらくは、とりとめのない雑談がポツリ、ポツリと続く。
 アオノさんとイシザキくんは職場の同僚だったが、勤め先の違うヤマダくんがいるからか、この3人で呑むときには仕事の話や愚痴はめったに出ない。話題はほとんど家庭内のことであり、それも子どもの話が中心だった。もっぱら、3人の中では新米パパであるヤマダくんが質問し、先輩パパのふたりが答える、というパターンだった。
「……そういえば」
 と前置きして、ヤマダくんは、先日思いついた疑問を口にした。
「ふたりは、どのくらいからご飯食べさせてた?」
「離乳食のこと? うーん、どのくらいって言っても……」
 アオノさんが首をひねる。もったいをつけているわけではなく、とっさに思い浮かばないらしい。
「うちはもう、カミさん任せっスね」
 一方のイシザキくんはあっさり答えた。
「――じつは、いっぺんやらかしたもんで……」
 苦笑しつつ、イシザキくんが告白したことには――半年ほど前、見よう見まねでイシザキくんが食べさせてみたところ、ソウタくんが盛大にリバースしたらしい。ダイニングテーブル中にぶちまけた吐瀉物をイシザキくんがせっせと拭き掃除している間、イシザキ夫人は手伝おうともせずにソウタくんにつきっきりであやしていたそうだ。
「――当たり前だろ」
 アオノさんは冷ややかに切って捨てる。万事に器用でそつのないアオノさんのことだから、その手の失敗談には縁がないのだろう――と、ヤマダくんは勝手に思い込んでいたのだが。続いて、アオノさんはあっさり自分の失敗談を披露した。こちらは「シモ」の話題だったので、ヤマダくんもイシザキくんも、思わず鼻をつまみたくなったほどだ。
「――しかし、まあ……」
 ひとしきりそんな話題で盛り上がった後、ヤマダくんは感慨ぶかげに漏らした。
「おたがい、いい大人になってから、食事中に“ゲロとウンコ”の話題で盛り上がることになろうとは、正直、思ってもみなかったよ……」
 まったくだ――と全面的に同意しながら、3人はひとしきり――寝室のほうを気にしながら、声をひそめて――爆笑したものだった。
(つづく)

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