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第99話 ヤマダくん、思い出す……

「――そんじゃ、ヤマダさんからひと言、お願いします」
 全員の手に飲み物のグラスが行き渡ったのを確認して、いきなりイトウくんがそう言った。事前に打ち合わせも何もなしの無茶ぶりだったが――流れからいって、「こんなこともあろうかと」予期していたヤマダくんは、あわてず騒がずその場に座ったままリクエストに応えた。
「えっと、ヤマダです。皆さん、『バーデン-H』へようこそ! 今夜は遠慮なく楽しんでください」
 たったそれだけの、ごくごくあっさりした挨拶だったが、万感の想いがこもっていた。ヤマダくんにとって、オーナーとして所有した最初のシェアハウスであるこの『バーデン-H』で開催したパーティで挨拶をしたことなど、それこそ数えきれないくらいある。だが、今夜のパーティは、過去のどんなパーティと比べても感慨深いものがあった。思わず目をつむり、開業以来の苦労の日々の回想に入り込んでしまいそうになったのだが……。
 ふと気づくと、周囲からもの言いたげな視線がヤマダくんに集中していた。中にはわざとらしく、グラスを持った手首をユラユラさせて視線の意味を悟ったヤマダくんは、はっとして、あわててもう一言、付け加えた。
「――乾杯」
「かんぱーい!!!」
 参加者全員が唱和する。もちろん、コロナ禍ゆえの少人数制で、全員が一堂に会することはない。いわば「メイン会場」であるここ、『バーデン-H』のリビングにいるのはヤマダくんを含めて4人だけ。残りのメンバーは順次入れ替わることにして、テーブルの空席にはタブレットPCが置かれていた。モニター画面の中の参加者はもちろん、現実のリビングにいる参加者たちも、乾杯のグラスを他人のグラスに触れさせることはない。基本的に「リビングでは黙食」、そして「歓談は自室からモニター越しで」というのが、この日のパーティのルールだったのである。
(――「ノーマスクで参加OK」と聞いた時にはどうなるかと思ったけど、よく考えたもんだ……)
 口に出しては言わないものの、ヤマダくんは内心、このルールを考えたイトウくんをいささか見直していた。シェアハウス内の感染対策、といっても、ヤマダくんが今住んでいる『バーデン-S』の場合は、家族単位で3世帯同居という形だから、なかなかこういうやり方は思いつかない。かといって、識者やメディアの推奨する「マスク会食」――飲み食いするときだけマスクを外し、しゃべるときにはマスクを付ける――とやらは、しょせん絵空事にしか思えなかったが、このやり方ならそれなりに現実的だと思えた。まあ、本格的に酔っぱらってきたらどうなるか、保障の限りではなかったが……。

 2022年2月22日――2が6つも並ぶことから、一部では「スペシャル猫の日」などとも呼ばれるこの日、ヤマダくんのシェアハウス第1号『バーデン-H』は華々しい再スタートを切ることになった。と、いうのも……。
 前々日の日曜日に205号室の新たな入居者が引っ越してきたことで――ついに(!)待望の(!!)満室稼動(!!!)となったのである。ほぼ1年ぶりの「満室」だ。
 この日は週中の火曜日だったが、翌23日の天皇誕生日で祝日。なまじ週半ばなのでこれという予定のないメンバーも集めやすかったため、急遽この日にパーティが開かれることになった。すでにローンは完済しており、家賃は管理会社への支払い分を除いてオーナーであるヤマダくんの貴重な副収入源となっていたが、つい先月までは常時空室を抱え、赤字にこそならないものの、維持するだけで精一杯という状況が続いていた。
 仮にも家1軒維持するには、固定資産税から水道光熱費まで含めて、バカにならない金額が発生する。シェアハウスの家賃は水道光熱費込みで設定されており、敷金・礼金・保証金の類もない。1室でも空室があればその分月々の家賃収入が減るのだから、目減りした総収入からこれらの支出が出ていけば、当然、経営はカツカツになる。そんな苦しいやりくりが1年間続いていたのだ。
 思い返せば3年前の春――ヤマダくんと妻が新居となる子育てシェアハウス『バーデン-S』へ移った後も、後任のシェアメイトリーダーであるイトウくんのもと、ほどなく次の入居者が決まり、『バーデン-H』は安定した満室稼動が続いていた。ヤマダくんも新居での生活と本業の会社勤めで忙しく、勢い、『バーデン-H』のことはイトウくんと管理会社に丸投げになっていた。それでも、当初は上手く回っていたのだ。
 もちろん、何の問題もなかったわけではなかった。イトウくんが元カノからなし崩しに引き取ったゴールデン・レトリバー犬――今では庭のある『バーデン-S』の「バリー」として住人たちの愛犬となっている――の問題もあったし、オーナーであるヤマダくんの眼が届きにくくなったことで、彼の知らないところでもいろいろ細かいトラブルは起きていたようだ。だが、総じて大きな問題はなく、ヤマダくんのシェアハウス経営は順風満帆であった。
 その歯車が狂いだしたのが、2年前から続いているコロナ禍である。2020年春先の最初の濃厚接触者騒動こそ大事には至らなかったものの、その1年後、ついに感染者が発生。陽性が確認された203号室のタバタさんは在宅療養となり、これを機に退去者が続出する。満室で8人が入居可能な『バーデン-H』は、2021年のGW明けには入居者わずか4人と半減していた。
 この頃はちょうど、首都圏は緊急事態宣言の真っただ中で、ヤマダくんの職場でもテレワークが積極的に推奨されており、気にはなってもなかなか『バーデン-H』まで足を伸ばす機会がなかった。その後、夏の終わりには長らく続いていた緊急事態宣言も解除され、世の中が徐々に落ち着きを取り戻しはじめたことで、ようやくヤマダくんもオーナーとして本腰を入れて再建に取り組むことにしたのである。
 とはいえ、ヤマダくんは当初、それほど先行きを案じてはいなかった。日々報道される新規感染者数はほとんど問題にならないレベルだったし、人びとの行動は急速に「コロナ前」のそれに近づきつつあった。あるいは、人類はこのまま、コロナを征服できるのではないか――そんな期待も膨らんでいた。しかし――。
 デルタ株と置き換わるように猛威を振るいはじめた新たな変異株「オミクロン株」(BA・1)、さらにその派生株「ステルスオミクロン」(BA・2)の出現で状況は一気に悪化した。いくら入居者募集をかけても、問い合わせすらほとんどなく、オンライン併用で面接をしても、なかなか新たな入居者は決まらなかった。苦労して対面での面接の約束を取りつけても、ドタキャンされるケースが相次いだ。それが、わずか1ヶ月前までの状況であったのだ。
 それがようやく好転した“きっかけ”は、たぶん――つい先日、入居面接に1時間以上遅刻してやってきた某大学職員のサヤマさんだった。もちろん、結果論ではあるし、たまたまのめぐりあわせなのだろうけれど……彼女の面接時に居合わせた妻が、彼女を強力にプッシュしたことも理由の一つだった。
「入ってもらおうよ。絶対そのほうがいいと思うよ――」
 名目上は「共同経営者」だったが、これまでハウスの運営方針にそれほど積極的に口出しすることのなかった妻が、この件では珍しく強硬にそう主張した。じつのところ、ヤマダくんにも否やはなかった。約束に1時間以上も遅刻し、その間に何の連絡も寄越さなかったことなどすべて帳消しにしてしまうくらい、入居者として魅力的だと思えたからだ。
 そして――結果的に、ヤマダくん夫妻の目に狂いはなかった。サヤマさんはまさしく、『バーデン-H』にとって“幸運の女神”となった。彼女が入居したとたん、それまでなかなか埋まらなかった他の空室が、あれよあれよという間にバタバタと立て続けに決まっていき、1ヶ月と経たないうちに満室となったのである。202号室にサヤマさんが入ると、彼女の紹介で204号室にはイケダさん、103号室にはカワジくんが立て続けに入居してきた。いずれも安定した収入と人当たりの良い性格の持ち主であり、このご時世に申し分ない条件を兼ね備えていた。しかも、サヤマさんから誘ったというわけではなく、彼女の人望を慕って――あるいは、彼女の物件を見る目を信頼して――『バーデン-H』をわざわざ選んできたのだという。
 最後に決まった205号室のホリイさんについては、直接的にはサヤマさんとはまったくの無関係である。だが、ホリイさんが入居する気になったのは、『バーデン-H』が満室稼動の活気あるシェアハウスだったという理由もあり、それは間違いなくサヤマさんの功績と言えた。つまり、すべてはあの日――1時間以上遅刻してきたサヤマさんを玄関払いせず、ハウスに上げて話を聴いてみることにしたことがもたらした幸運だったといえるだろう。
(――すなわち、俺の功績だ……)
 と、まあ、こんなふうにすぐ調子に乗ってしまうのが、不惑を過ぎても一向に改まらないヤマダくんの困ったところだったが……。

 ともあれ――一時はどうなることかと気をもんだ『バーデン-H』の空室問題が無事解決したことで、ヤマダくんはすっかり意気軒高であった。この時期、都内では「マンボウ」こと「まん延防止等重点措置」の延長が取り沙汰されていたが、イトウくんの感染対策プランを聞いて、「いける」と判断したヤマダくんは、新入居者の歓迎を兼ねてひさびさにハウス内のパーティに出席することにしたのである。
 ヤマダくんが『バーデン-H』のパーティに参加するのは、コロナ禍以前の2019年暮れのクリスマス以来のことだ。その後、オフィシャルではコロナ禍、プライベートでは妻の妊娠〜出産〜育児が重なって、外へ飲みに出る機会もめっきり減っていた。そんなわけで、この日はじつにひさしぶりのシェアハウスでのパーティだったわけだが……。
(――楽しい……)
(――本当に楽しい!)
心の底からそう思わずにはいられないヤマダくんだった。そもそも、10年以上前、生まれて初めてシェアハウスに(試験的に、ごく短期間だが)住んでみたとき、「これだ!」と思ったのは、「家族でも、友達でも、同僚でもない」シェアメイトたちとのパーティの楽しさだった。そのとき、体験入居のヤマダくんを歓迎し、なにくれとなく面倒を見てくれたのは、当時のシェアメイトリーダーで、現在も一つ屋根の下で暮らしているアオノさんだった。
 そして、今――。
 イトウくん発案による、「オンラインとオフラインのハイブリッド」パーティに参加しながら、ヤマダくんはひさしぶりに「シェアハウスならではの楽しさ」を思い出していた。
 参加者のうち、パーティの間中一貫してリビングにい続けたのはヤマダくんひとりである。他のメンバーは、自室で歓談に興じながら、料理の取り皿や飲み物のグラスがカラになるたびにリビングへきて補充している。その場で顔を合わせても、お互いに声はかけない。そんなぎこちないやり方だったが、ヤマダくんも徐々に慣れてきていた。自室にいる相手はもちろん、同じリビングにいる相手とも、面と向かってではなくモニター越しで会話しなければならない――そんな面倒な制約も、慣れてくるとさほど気にならなくなった。
(――この楽しい時間が、ず〜〜〜っと続けばいいのに……!)
 そう、心の底から祈りたい気持ちになるヤマダくんだった。
(つづく)

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