シェアハウス 遺産 相続 不動産 商業ビル オフィスビル 土地

最終話 ヤマダくん、がんばる!!!!

「――このたびは、誠にご愁傷さまでございます……」
 定番の挨拶ではあったが、万感の想いがこもっていた。深々と頭を下げてくる弔問客に対して、ヤマダくんはカウンターの内側からひたすら頭を下げ返していた。
「……ありがとうございます」
 黒ネクタイを締めたヤマダくんの喪服の腰には、「受付」と書かれた札のついたリボンが安全ピンで留められている。弔問客が記帳したカードと香典袋を受け取り、返礼品の引き換え券を渡すだけの簡単な仕事なのだが、弔問客が引きも切らず、先ほど交代してからぜんぜん休む暇もない。――故人の遺徳が偲ばれるというものだ。
 長いながい行列をつくっていた弔問客の流れがようやく途切れた頃、ようやく待ちに待った交代の声が背後からかけられた。
「お疲れ様です。交代しますよ」
 そう言ってきたのは、ヤマダくんより10歳ほど年少の青年だった。曖昧な記憶によると、故人の妻の遠縁の親戚のようだ。昨夜、通夜の席で紹介されたものの、ヤマダくんにしてみれば初対面の赤の他人に違いない。だが、今では故人を通じて、ヤマダくんとも縁のある関係者のひとりであるらしかった。
 青年にカウンターを預け、腰の受付のリボンを外すと、ヤマダくんは声もなく式場内に偲びこんだ。
 正面の祭壇には、口元に柔和そうな微笑を浮かべた初老の男性の遺影が掲げられていた。ヤマダくんにとっては、恩人であり、恩師であり、ビジネスパートナーでもあり――そして、最後には?父?と呼ばれる存在となった男性。ヤマダくんの最愛の妻の実の父親であり、愛娘マユちゃんの?じぃじ?であった人物。義父・ワタナベ氏の急死であった。

 ――突然の訃報だった。
 2022年4月13日未明、一本の電話がヤマダ家の安眠を破った。電話の相手は、ヤマダくんの妻の母親、ヤマダくんにとっては義母であるワタナベ夫人。用件は、その前夜まではヤマダ家の誰一人としてまったく予想もしていなかった凶報であった。
「お父さんが…………!」
 ひと言口にしただけで、絶句する妻。暗いベッドの中で、まだ半分以上寝ぼけていたヤマダくんは、その一瞬で覚醒した。まさか――言葉にならない驚愕が、ヤマダくんの全身を貫いていた。
 ほんの数日前――ワタナベ氏が入院したという話は妻から聞いていた。次の週末にはお見舞いに行こうか、マユも連れて――そんな会話を交わした記憶もある。
 だが、そのときに聞いていたのは、生き死にに関わるような重大な話ではなかったはずだ。
「なんか、持病が悪化したから検査入院するみたいなの――」
 妻はさして心配するでもなく、のんびりとした口調でそう説明していた。実際、そう思っていたのだろう。持病といっても、もうかれこれ10年来の病気であるらしく、その間に2度ほど短期入院したこともあったという。
「病院の食事は不味いからって、いつもさっさと退院しちゃうのよ」
 あきれたように言う妻の言葉を疑う理由もなく、ヤマダくんも「そうなんだ」と軽く受け流していた。ヤマダくん自身の両親はもちろん健在であり、70歳を過ぎても現役バリバリで仕事を続けている。そして、ワタナベ氏はヤマダくんの父親よりさらに若く、まだ60代のはずであった。
 ――気がつくと、通話は終わっていたようだ。
 最初のひと言だけで絶句した妻は、通話の切れたスマホを手にしたまま、ベッドで半身を起こした姿勢で固まっていた。隣で寝ていたヤマダくんが身を起こし、そっと妻に寄り添ったことにも、気づいていないようすだった。
 ヤマダくんは静かに手を伸ばし、スマホを握りしめた妻の手に触れた。そして、優しく妻の手からスマホを取り上げると、傍らのサイドテーブルに置く。
 コトリ、とスマホを置く音が寝室に響いた。
 次の瞬間――妻はヤマダくんの胸にしがみつき、声を押し殺して泣きじゃくりはじめた。

 義父の直接の死因は、肺炎によるものだという。そもそも、今回の検査入院に至った義父の「持病」については、ヤマダくんはそれまで詳しい話を聞いたことがなかった。何でも、一度聞いたくらいでは覚えきれないような、やたら長ったらしい病名がついていたらしい。
 生前の義父は、日頃持病を苦にするそぶりも見せず、食事や酒にも特に気を配っていたようすもなかった。
「――まあね。私くらいの年になると、身体のどこも悪くない人間なんてそうそういやしませんよ」
 今年の正月に、孫娘の顔を見せに挨拶に行った時には、何でもないようにそう言っていたものだ。とはいえ、義母のおせちを肴に、ヤマダくんと酒を酌み交わしながらの雑談である。ヤマダくんも、その場では気にも留めなかった。
「そんな〜、お義父さんはまだまだお若いじゃないですか。うちの父なんて、ちょっと油断するとすぐ血圧が150超えるもんだから、もうず〜っと塩分控えめの食生活ですよ」
 そんな会話をした覚えがある。その実父にしたところで、高血圧とは長いつきあいだから、ヤマダくんもいちいち心配したりはしていない。
 ――そういうものだと思っていた。
 たとえ小難しい病名の持病を抱えていたとしても、それは死ぬまでの長いつきあいであり、いわば個性のようなもの。「怒りっぽい」とか「頑固」とか、そういう困った性格が死ぬまで直らないように、持病のひとつやふたつを抱えたまま、寿命が尽きるまで人は生き続けるものだと思っていたのだ。しかし――どうやらそうではないらしい。
 義父の突然の死は、ヤマダくんにその事実を突きつけるものであった。

 ――告別式は、粛々と進んでいった。
 読経が終わり、焼香も済んで、一般の参列者は三々五々、引き上げていく。喪主を務めるワタナベ夫人は、気丈にも人前で涙を見せることもなく、毅然として振る舞っていた。
 ヤマダくんの隣で、マユちゃんを抱いた妻も必死に涙をこらえていた。まだ1歳半のマユちゃんは周囲の異常な雰囲気に怯え、しきりとむずかっていたが、今は疲れて眠っているようだ。
 親族だけがその場に残り、ほどなく出棺となった。
 ワタナベ夫人が位牌を持ち、遺影の額は故人の義理の息子であるヤマダくんが抱える。斎場から一歩出た時――ポツリ、と雨粒が落ちてきた。懸命に涙をこらえている故人の妻と娘に代わって、天が泣いてくれたのかもしれない。

 今どきの例に漏れず、初七日の法要は告別式と併せて済ませていたから、四十九日の納骨までは、ひとまず葬儀関連の用事は落ち着いた。
 この間に、残された遺族には片づけなければならないことが山ほどある。ワタナベ氏はそこそこの資産家であったから、遺産の整理と相続の手続きは膨大なものになった。現金や株式などの証券については、法定相続人が少ないこともあって滞りなく済んだが、問題は、故人が所有していた不動産であった。
 ワタナベ氏は生前、不動産に関わる業務について夫人にはほとんど話をしていなかったという。そのため、ワタナベ夫人は、夫が所有していた不動産がどれだけあり、どのくらいの資産価値があるのかさえ把握していない。ひとり娘であるヤマダくんの妻も同様だった。
そのため、不動産関係の遺産整理については、娘婿のヤマダくんに全面的に委託されることになった。といっても、ヤマダくん自身が相続したわけではなく、名義上は半分をワタナベ夫人、4分の1をヤマダくんの妻が所有し、残った4分の1は相続税の支払いなどに充てるため売却することになるだろう。
 これは、予想以上の重責であった。そもそもヤマダくんにしてからが、不動産の専門家というわけではない。彼が知っているのはせいぜいシェアハウスの経営だけであり、商業ビルやオフィスビル、土地などの物件についてはまるで門外漢である。それでも、義母や妻よりはまだしも知識も経験もあるから、「大変なことだ」ということだけは着手する前から予想がついた。どう考えても、サラリーマン大家さんが片手間にどうにかできる仕事ではない。
「――こうなったら、おれも覚悟を決めなけりゃならないかもな……」
 葬儀から10日ほど経ったある夜、ヤマダくんはついに妻に打ち明けた。
「…………会社、辞めるの?」
 夫の思いつめた表情から察したものか、妻がそう水を向ける。
「すぐにじゃない。そっちはそっちで、いろいろ都合があるからな――」
 思い出したように、ヤマダくんはややうんざりした口調で応える。本業である会社勤めのほうでも、新年度が始まって何かと業務多忙なのだ。昨年、係長に昇進したこともあり、それなりに責任ある立場で仕事を任されてもいる。義父の葬儀で何日か忌引休暇を申請したため、滞っている業務もある。
 おまけに、亡くなった義父がなまじある程度の資産家であったため、口さがない連中が陰で何を言っているか知れたものではない。「義父の遺産で左うちわか。このご時世に、なんとも羨ましい話だな」などと――さすがに、面と向かって口にする者はいないが――下司の勘繰りをしてくる人間もいるようだ。
(―-―冗談じゃない!)
 まったく、冗談ではないのだ。オーナーであるワタナベ氏が亡くなったことで、これからハイエナのような輩が少しでもおこぼれにあずかろうと群がってくるに違いない。舌先三寸で素人の遺族を丸めこみ、労せずして物件を掠め取ろうとたくらむ悪党も現れるだろう。そいつらの手から、義母と妻の正当な財産を守らなければならない。代われるものなら、いっそ、誰かに代わってほしいくらいだ。
 それでも――。
「――近いうちに、課長には相談するつもりだよ」
 ヤマダくんはきっぱりとそう言った。サラリーマン大家さんから、専業の不動産オーナーへ。それはいわば、アマチュアからプロへのジョブチェンジである。一から勉強し直さなければならないことが山ほどあるし、失敗しても、サラリーマンとは違って何の保証もない。今までは、ベテランの先達であった義父が陰に日向にサポートしてくれた。これからは義父のサポートもない。ヤマダくんはたったひとりで、荒れ狂う大海に船を漕ぎ出していかなければならないのだ。
 否――そう思いかけて、ヤマダくんは心配そうに彼を覗きこんでいる妻に目を向けた。
 ひとりじゃない。ヤマダくんには、彼をこれまで支えてくれた、愛する妻がいる。彼女と力を合わせて守らなければならない、最愛の娘がいる。ならば、きっと――。
「……これから頑張らなきゃね。パパ」
 妻が言う。その腕の中で、マユちゃんもたどたどしい口調で言う。
「……ぱぱがんばって」
 この世で一番大切な、愛する家族のために――ヤマダくんの新たな挑戦の日々がはじまる。
(おわり)

ログイン

ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失


シェアハウス大家さん
倶楽部(無料)

シェアハウスで不動産投資に踏み出すサラリーマンやOLの皆様を応援する会員制プログラムです。ご登録いただくと各種不動産投資情報やサービスを無料提供致します。
入会申込(無料)