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第134回 個別事例とシェアハウス

3月13日、朝日新聞を皮切りに各メディアが一斉に「石破茂首相が、自民党の当選1回の新人議員との会食で、1人10万円の商品券を配布した」とのスキャンダルを報じました。報道によれば、その10日前の3月3日、首相公邸で開催された会食の直前、石破首相の秘書が15人の新人議員の事務所を訪れて「お土産代わり」として手渡したといい、総額は150万円に及ぶと言います。商品券配布については複数に証言が得られたとのことで、石破首相は13日午後11時20分という非常識な時間帯からの取材に応じることになりました。石破首相は「自分のポケットマネーであり、政治資金規正法に抵触するものではない」と主張したものの、そんな言い訳が世間に通用するはずもなく、17日午前の参院予算委員会での質問に対して「世の中の感覚と乖離した部分が大きかったと痛切に思っている」と語り、改めて謝罪しています。なお、朝日新聞が15、16日に実施した世論調査によれば、内閣支持率は26%となり、前回2月調査の40%から急落しています。自民党の「政治とカネ」問題といえば、ここ10数年以上にわたって選挙のたびに取り上げられ、いい加減「耳にタコ」の感がありますが、けっきょくのところ、いかに総裁の首をすげ替えても自浄作用などは望めないようです。アメリカのトランプ関税が発効し、今や「貿易戦争」といわれる緊迫した国際情勢の中で、日本の政権担当者がこのようなお粗末ぶりでは、国民は暗澹たる気持ちになるしかありません。

さて、今月も不動産関連の直近のニュースからシェアハウス大家さんに関心のありそうな話題をいくつかピックアップして参りましょう。まずは、不動産情報サイトの『健美家』に3月11日付で掲載された「昭和100年、戦後80年の節目の年。不動産投資は“怪しい業界の烙印”を消すことができたか。」( https://www.kenbiya.com/ar/ns/jiji/etc/8819.html )という記事から。以下、内容を一部抜粋して引用します。
「2025年に入って各種メディアでは、『昭和100年』『戦後80年』という節目の年としてさまざまな観点から考察が行われている。その流れを汲んで、ここでは住宅・不動産業界、とりわけ不動産投資市場を振り返ってみたい。
不動産市場は、景気変動に伴い浮き沈みがある循環的な景気変動に左右されるマーケットであることは言うまでもない。バブル景気に沸き返った1980年代後半を経て1991年にバブル景気が崩壊し、その後の30年に及ぶ景気低迷を経験し、2013年のアベノミクスと日銀の大規模金融緩和を契機に息を吹き返し始めた。2024年には日経平均が初めて4万円台にのせた。
足元では、米国の政策遂行能力を判断しかねる状況を受けて株価上昇の勢いに急ブレーキがかかったが、不動産価格は、過去最高水準まで駆け上がっている。
今後の展開として、当時のバブルのようなことはないとの見方が一般的だ。当時のバブルは、極端なカネあまりが引き金であり、現在もそのカネ余り状態ではあるが、原野商法がはびこるような状態ではない。利回りという考え方が定着し、収益還元法を下に不動産価格がはじき出されるようになった」
ここまでが記事全体のリード文および導入部分となっています。本文では、まず、この「収益還元法」が成立する以前の不動産投資が、歴史的に「社会悪」と見なされてきたという経緯を述べ、近年においても、例の「かぼちゃの馬車事件」に代表されるような「暗黒面」が、不動産投資によからぬイメージを付与しているという事実を指摘します。その上で、現代の「収益還元法」に基づく不動産投資が、客観的に見ても公正かつ真っ当なビジネスとなっていることを改めて再確認し、以下のように続けています。
「(前略)高度経済成長期、バブル経済期に不動産投資をしていたのは企業経営者や富裕層、地主といった一部に限られていた。
しかし、「相続税問題」や金融庁の報告書を端緒にした「老後資金2000万円問題」などを受けてサラリーマンなど個人が不動産投資に参入するようになった。
将来の不安が不動産投資を後押ししたが、利回りという考え方が定着してきたことで客観的な判断により不動産投資ができるようになったことが大きいとみられる。(中略)
サラリーマン投資家が購入しやすいワンルームマンション。投資家への登竜門としての人気は不動産だ。戦後の単身者向け賃貸は、アパートや長屋、下宿が主だったが、マンションという新たな形態が市民権を得た。
急速に普及したワンルームマンションだが、制度的な締め付けもなされた。東京都内では、ワンルームマンション開発計画が出ると、周辺の住民から反対の運動が起こることが珍しくない。
入居者が地域のルールを守らない、ゴミ出し、夜中に騒ぐなどのマナーの悪さ等、管理面の体制ができていない物件が多く存在することを挙げて反対する。
こうした住民の声に対応して新宿区や江東区などでワンルーム開発を規制する条例を設けた。これら規制では、建物の高さ制限であったり、ワンルームの最低専有面積の引き上げ、一棟収益マンションの中には一定数のファミリー向けやディンクス向けなどの部屋を設けることがなど(※引用者註 などが?)求められるようになった。
新型コロナウイルス禍を経て再び東京都心に人が集まってきている。単身者向けの需要はおう盛であるが、求める広さは広くなっている。今後も国内外の政治・経済、社会情勢の変化により不動産投資業界に影響が及ぶことが想定される。
それに対応できるよう個人の不動産投資家は、健美家を始めとする信頼できるメディアから情報収集を怠らないようにしたい」
結論としては『健美家』サイトの自己宣伝めいた文章で締めくくられているのは、まあ、ご愛嬌というところですが……言っていることに間違いはありません。当コラムでもしばしば「情報収集の大切さ」を結論としていますが、これは誰の口から語られようと真実。ただし、特定の立場からの情報だけに偏らないことが重要です。仮に、客観的に信頼できそうな情報源からの情報であったとしても、丸ごとすべて鵜呑みにしてしまうのはやはり危険が伴います。その意味では、「その情報を信じるも信じないも、最終的な判断は自己責任」であることを前提とすべきでしょう。

次にご紹介するのは、大分を楽しむWebマガジン『edit oita』に3月7日付で掲載された「シェアハウスで暮らし方を実験! 竹田市〈暮らす実験室〉市原史帆さん、正さん」( https://edit.pref.oita.jp/series/meeting/5801/ )という記事。これは、「あの人に会いたい!」という連載シリーズの1本で、たまたま地方に移住したあるシェアハウスオーナーの事例を紹介したものですが、「読み物」としてなかなか面白い記事になっておりますので、少々長くなりますが以下に導入部分を引用しておきます。興味がありましたら、ぜひ上記リンク先にて全文に目を通されることをおすすめしておきます。
「『実は、婚活事業の一環でシェアハウスのプロジェクトを始めたんです』と言うのは、〈暮らす実験室〉を運営する市原史帆さん、正(まさし)さん夫妻。東京から竹田市に移住し、3人のお子さんを育てながら城下町でふたつのシェアハウスを運営しています。
ふたりの出会いは、東京にある結婚相談所や婚活パーティーなどを手がける会社。当時は、正さんが上司、史帆さんが部下という関係でした。社内結婚し、長女が生まれ、東京での子育てが始まると、息苦しさを感じ始めたという史帆さん。そんなとき、広島の田舎に移住した史帆さんのお兄さん宅を訪れ、田舎暮らしの心地よさに目覚めたといいます。
ふたりで仕事を辞め、移住地探しの下見旅へ。はじめは、『海が近くて空港が近い場所がいい』と思っていたそうですが、福岡県庁に勤めている知り合いの知り合いから、『いま九州でアツいのは、大分県の竹田と鹿児島の深山』とメッセージが届いたことで、行先は大分と鹿児島に。竹田市を訪れた際、案内をしてくれた市の移住担当者との出会いが、その後の運命を決定づけることになりました。
『当時の市の移住担当者が、500名近くの移住を実現させたカリスマ担当者だったんですよ。彼がいなかったら移住していないという人はたくさんいて、私たちも彼がいなかったらここには来ていなかったと思います』(史帆さん)
案内をしてもらっているなかで、前職で婚活に関わっていたことを伝えると、『竹田市でも婚活に力を入れたいが、人手が足りない。地域おこし協力隊というかたちで、婚活担当をしてみませんか?』と、声がかかります。さらに、古民家をリフォームした5LDKの立派なお家まで紹介され、案内の途中で住む家も仕事も、いっぺんに決まってしまいました。
『「この人たちと一緒に生きたらおもしろそうだな」って思えるすてきな人たちをたくさん紹介してもらったので。ここだろうな、って』(史帆さん)
それまでは聞いたこともなかったという竹田がすっかり気に入ってしまい、2か月後には竹田に住み始めていました。それが2017年のこと。親子3人で移住し、正さんは地域おこし協力隊の婚活担当として働き始めます。
その婚活事業の一環として始めたのが、シェアハウスのプロジェクト。都会に比べ、人口が少ない田舎では、成婚までたどり着くのはとても難しく、都会のような『数打てば当たる』は通用しません。
『同じメンバーが、自然と何度も出会えるような環境づくりをしたい』と考えていたとき、正さんが思いついたのがシェアハウスでした。東京の知人が運営しているシェアハウスで、出会ったカップルが結婚して子どもが生まれ、近所に家を探して定住するというコミュニティができていたことも後押しに。
『この感じを地方に持ち込めたらいいな、という思いもありました』(史帆さん)」
以下、この「婚活シェアハウス」としてスタートしたプロジェクトが、その後どのように変遷していったのかについては、リンク先の続きをご参照ください。写真も多く、本文もなかなか読み応えのある記事にまとまっています。シェアハウス運営のノウハウ云々というよりは、地方移住の一事例としてですが、都心部のシェアハウス大家さんにとっても貴重なヒントが得られるのではないかと思います。

続いてご紹介するのは、リクルート社の情報サイト『SUUMOジャーナル』に3月6日付で掲載された、ライターの星野真希子氏の「障がい者と地域の人々がシェアハウスで共に過ごす。店舗&ショートステイ併設『はちくりはうす』の想い 東京都目黒区」( https://suumo.jp/journal/2025/03/06/207954/ )という記事。星野氏は編集プロダクションと出版社の住宅インテリア編集部に計7年4カ月在籍されていたというキャリアの持ち主で、取材力・文章力はもとより、住まいの専門知識もお持ちのライターさんです。こちらも、導入部分のみ引用することにいたします。
「東京都目黒区の住宅地にある『はちくりはうす』は、1 階にカフェなどの『日替わり店舗』と『ショートステイ』、2 階に『障がい者用シェアハウス』、3 階に『一般向け賃貸住宅』、4 階に『共用ダイニングキッチン&屋上テラス』を備えています。さまざまな人が立場を超えてつながっていける集合住宅として支持され、2024 年のグッドデザイン賞金賞に輝きました。賃貸人でありオーナーの竹村眞紀(たけむら・まき)さん達に、竣工までのストーリーと、運営がはじまってから見られる変化を伺います」
ここまでがリード文で、以下はその詳細になります。ライターの星野氏は、竹村オーナーやハウスの設計担当者から詳しく事情を聞き、この「はちくりはうす」という物件の誕生の経緯から現在までの運営状況を記事にまとめています。こちらもかなり特殊な事例ではありますが、シェアハウスの持つ一つの可能性を突き詰めたケースとして、一般的なシェアハウス大家さんにとっても参考になることがあると思われます。ぜひ、リンク先をご一読されることをお薦めしておきます。

「『婚活シェアハウス』から『暮らしの実験室』へ」「障がい者とその家族が暮らすシェアハウス」など、今回はシェアハウス経営における「独自のコンセプトの試み」というアイデア的な面よりも、「その試みを存続していく上でのさまざまな困難」や「それらの困難を乗り越えていった当事者たちの努力」にスポットを当てた読み物記事を紹介する形になりました。言うまでもありませんが、シェアハウスに限らず、不動産物件の運営というのは千差万別。物件の数だけ事例があり、それら個別の事例は付帯するさまざまな事情や条件に左右されますから、「このやり方を真似すれば必ず成功する」というものではありません。しかし、当事者の皆様は、誰もが真剣に「夢の実現」に取り組み、おそらくは記事の文中では触れられていない多くの困難を乗り越えて一つひとつ問題を解決していったはずです。その過程で誰かに助けられたことも多かったでしょうが、「天は自ら助くる者を助く」――本人が必死で努力していたからこそ、助けてくれる者も現われたのに違いありません。漫然と誰かの助けを当てにすることなく、今、自分にできることに懸命に取り組んでいくことが大事なのではないでしょうか。
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